妖精さん、隠れる。

 テレビと本棚の隙間に隠れるリーネアさん。

 その彼とそっくりな、簡易ベビーベッドの中の赤子。

「……えーっと。なんでリナリアは隠れてるのかな?」

 父親であるオウキさんにも、彼の心境はわからないらしい。

 彼はコートを脱いでハンガーにかけつつ、息子さんと孫(仮)の様子を観察している。

「やはり、どうしても赤子が苦手なんだそうだ」

「にしたって、前はもうちょっと近づけてたはずなんだけどなあ……」

「今回に限っては、少し事情が……さっさと見せてしまおう」

「ぁーう!」

 翰川先生が赤子を抱え上げると、リーネアさんが赤子の視界に映ったようで、大声をあげてきゃあきゃあはしゃきだす。

 リーネアさんがさらに遠くへ。今度は本棚と壁の隙間に入った。

 ……抜け出たと思った瞬間には飛び込んでおり、やはり人間離れした身体能力だ。

 オウキさんはそれを見て深いため息を吐き、エコバッグから赤ちゃん用品をテーブルに並べる。

「ああなると出てこないんだよねえ」

「猫かなんかですかね……」

「精神状態が野生動物並みだし。仕方ない仕方ない」

 息子さんをさっくりと断じ、白いベビー服の赤ちゃんに向き直る。

「リナリアそっくりだねえ。目はピンクだけど」

「うむ」

 翰川先生は赤ちゃんを撫でたり、ほっぺをつついたりして優しくあやす。赤ちゃんもリーネアさんを名残惜しそうに見つつ落ち着いた。

 今度はオウキさんを見上げてじっとしている。

「賢そうな子だねえ」

「父として赤子時代のリーネアを思い返すとどうなんだ?」

「まるでリナリアが赤ちゃんに戻ったみたい、かな」

「リーネアの隠し子だろうか……」

 最もな感想だ。俺もそう思ったし。

 集め終わったスマホの破片を金属の箱に入れる。

 これは危険物を安全に時間停止させるための用品なんだとか。翰川先生がペンギンさんバッグから出してきた。

「掃除機もかけたんで、破片はもう大丈夫だと思います」

「ありがとう」

 チリトリにカバーをはめていると、オウキさんがひらひらと手を振る。

「やあ、光太」

「あ。こんばんは。そういや挨拶もせずに……」

「いやいや、こちらこそだ。……この度は迷惑をかけたみたいで、ごめんね」

 困ったような笑みで頭を下げる。

「大丈夫っす。気付かなかったらと思うと恐ろしいなあなんて、思いますしね」

「ほんとにありがとうね。キミがボックス開けるの間一髪だったよ。脱水とか体調急変とか、大変なことになってたかも」

 オウキさんは粉ミルクと消毒し終えた哺乳瓶を出して準備。

「ひぞれ、お湯どう?」

「ん。ばっちり人肌だな」

 ひよこちゃん電子ケトルがピヨピヨ鳴いている。小物が妙に可愛い。

「そういうのってどこに売ってるんすか?」

「実は自作なんだ。友人の手を借りて」

「凄いなあ……」

「あとは友達がプレゼントしてくれたりもする」

 たぶん、レプラコーンの方々なんだろう。

「とにかく一息つこう。走って買い出しして、そのまま来たんだろう? ありがとうな」

「あ……ど、どういたしまして」

 翰川先生は残りのお湯を高温に沸かしてコーヒーを淹れてくれる。

 良い香りだ。

「ん。ドリップだが」

「……美味しいっすよ。ありがとう、先生」

 やっと一息つけた。

「いい飲みっぷりだねー」

 オウキさんは孫(仮)をあやしながらミルクを飲ませている。

 赤子が正体不明であることを除けば、祖父と孫の微笑ましいワンシーンだ。

「性別はどうだったんですか?」

 オムツを替えたのは翰川先生だ。

「ん。可愛い女の子だよ」

「ですか」

 見た目美少女リーネアさんに似ているのならば、とびきりの美少女に育つだろう。

 ……やっぱり、正体不明でさえなければ微笑ましいんだけどなあ……

「ところで、京ちゃんは?」

「確かに。見ていないな」

 ふと、オウキさんが問いかけると、翰川先生が俺を見た。

「あー……えっと。少し前まで居たんですけど……なんか、『お祝いに赤飯炊く』とか言って外に飛び出してって」

 京もたまに直情型で、衝動のままに走り出すタイプだから、仕方ないとは思うけど。

 保護者であるリーネアさんがスマホを破壊した上に隙間から動かないため、俺の方から京にメールを送っていた。

「じゃあそろそろ戻ってくるかもね」

「お、返信来たっす」


『from: 京

 お赤飯の材料買えたよ!

 もし赤ちゃんに必要なものがあれば言ってね。買って帰るよ』


「本当に赤飯買ってた……」

「あっははははははは!」

 オウキさんが楽しそうに爆笑する。

「……えーと……なんか必要なものってあります?」

「うーん……京ちゃんの手持ちがいくらかわかんないから……大きめサイズの赤子服一枚をリクエスト」

 オウキさんは来る道中のスーパーで哺乳瓶と粉ミルク、おむつなどなどを買ってきたそうな。

「さすがに服は売ってないですもんね」

「うん。もっと大きい店舗かドラッグストアならあったかもだけど、通り道になくてねえ……京ちゃんには領収書をとってもらって、後でお金を渡そう」

「伝えときます」

「ほんとなら京ちゃん迎えに行って俺が買うべきなんだけど、離れたらリナが発狂するしなあ」

「発狂?」

「あの子ずっとライフル掴んでるよ」

「へっ……?」

「狙撃姿勢を取って引き金引くまで5秒以下。人が居るからとどまってるけど、たぶんもう、精神は瀬戸際だと思うんだ」

「……」

 背筋が凍る。

「ひぞれ、頼むね」

「うむ。頼まれるよ」

 赤ちゃんが飲むのをやめたところで、翰川先生が哺乳瓶を受け取る。

 オウキさんはさして緊張の様子も見せず、自然体でリーネアさんのそばに歩み寄っていく。

「リナリア、おいで」

「……やだ」

「おいでってば。何にもしない」

「…………」

「前にも怖がってたね」

「わざとじゃ、ない。怖い」

 声が震えている。……本当に怖いんだな。

「赤ちゃんのどこが苦手? 声? それなら遮音魔術使ってあげてもいいよ。耳栓だって作ってあげよう。異変があったら俺たちが聞いてるから大丈夫。キミは安心して耳をふさいでいておくれ」

「……」

「答えないなら、全部ってことかな? 存在丸ごとがお前にとってトラウマなのかな?」

「っ」

「こっち来ようね」

「でも、そいつと俺関係ないし……」

「身の潔白を証明したいんなら、俺たちと向き合ってきちんと説明してよ」

「……」

「あの子は……たぶん7か月前後? 京ちゃんと北海道で暮らしてた頃に生まれたことになる。計算が合わない」

「わかってるならなんで」

「それでもこの子はキミとそっくりだ。理屈で納得できても、現実と感情には納得できない。お前が父親の可能性が高い。それはわかるよね?」

 辛うじて頷くリーネアさん。

「身に覚えもないってなれば、この子の正体をきちんと考えなきゃならない。引っ込まれてたら困るよ」

「……う」

「引きずり出す。5秒以内に出て」

 質の違った笑みでオウキさんが言うと、リーネアさんが隙間から出てくる。

「うー……」

「あぶ。……ふぅぅ」

 赤ちゃんは、リーネアさんに向かって手足をぴろぴろと動かしている。

 きゃあきゃあ言いながら、リーネアさんに『抱っこして』とアピールしている。

「「「………………」」」

 俺・翰川先生・オウキさんの視線がリーネアさんに集中する。

「ちょ……待て。お前らが何言いたいのかわかるが待て」

 精神の復調を果たしたようで、いつもの調子を取り戻している。

「俺に心当たりねえからな」

「……なくとも、どう見てもキミに似ているんだが」

「生まれたときのリナリア、こういう顔してたよ」

「いや、だから。俺はそもそも……」

「きゅぁー!」

「みぃあぁあああああ……!」

 リーネアさんの悲鳴を初めて聞いた。

「あっはははははは!!」

 オウキさんは躊躇なく爆笑。翰川先生はそんな彼を諌めつつ、赤子を抱き上げて落ち着かせる。そして俺は何もできずに右往左往。

 状況は、思い切りカオスだった。

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