(仮)

「……」

 窓から脱走を試みたリーネアさんは、お父さんに毛布をすっぽり被せられてソファに体育座りしていた。

「最初からそうしてあげたら良かったね。俺たちにとっても、リナリアにとっても」

「…………。父さん、なんか小さいものが当たってるんだけど」

「なんでもないよお。じっとしててね」

 オウキさんは赤子の手をリーネアさんの背に触れさせており、さりげに容赦ない。赤子はきゃあきゃあ喜んでいる。

 毛布には安らぎの魔法と赤子からの声を弾く魔法をかけたそうで、これもまた容赦ない。

「ぁー……」

 はしゃいで疲れたのか、赤子はやがてまぶたを落とす。

 眠ったところで簡易ベッドに戻された。

 オウキさんが翰川先生に言う。

「隣の部屋で見てるよ。電話してね」

「了解だ」

 ベッドごと転移して姿が消える。

 翰川先生は電話番号を一気にプッシュ。完全記憶のなせる技だ。

「もしもし、シェルか? ……うん。いまはリーネアの家にいるよ。……それがだな。あれこれとあって、リーネアが子どもを産んだんだ」

「ぶふぉあっ」

 俺はコーヒーを噴き出しかけ、毛布を剥ぎ取ったリーネアさんは真っ青な顔で翰川先生に抗議する。

「てめえなんて電話してくれてんだひぞれ‼」

 かなり一方的に一言二言言ってから、翰川先生が振り向く。

「良かったな、リーネア。朝一で来てくれるぞ!」

「ふざっ……おまっ、ふざけ……!」

 とんでもない発言をされたシェルさんの反応が気になる。あの人もぽかんとするのだろうか。

「朝一ってことは明日ですか」

「もう8時になる。……今日は赤子を僕らのところで預かろう」

 見計らったようなタイミングでオウキさんがリビングに転移してくる。リーネアさんは毛布再び。

 そこで玄関のドアが開き、リビングに足音が飛び込んできた。

「っはあ、はあ……!」

 息を切らした京は、オウキさんの抱く赤子を見て相好を崩す。

「可愛い……」

「……京ちゃん、買い物ありがとう」

「あ、はい。ベビー服、よくわからなかったので店員さんに聞いて……肌着とカバーオールっていうものを」

「おや。そこまで気を利かせてくれるとは」

 二人で精算を始めた。

 眠る赤子を簡易ベッドに受け取った翰川先生は、優しい笑みで見つめている。

「可愛い」

「……」

 慈愛に満ちた微笑みに、天真爛漫な彼女も二児の母であることを思い出す。

「ひぞれ、光太」

 精算が終わったオウキさんが声をかけてくる。

「うむ」

「なんでしょう?」

「話し合いの結果、俺と京とでリナのそばに着くことにしたよ。ストレスで潰れて欲しくないし。……孫を頼みます」

「任された!」

「……手伝いしかできませんが、頑張ります!」

 ミズリさんも帰ってくれば子育て経験者は二人になる。家事は俺が担当しよう。

 京が控えめに発言する。

「さっきは、あまりの衝撃ですっぽ抜けちゃってたんだけど……赤ちゃんがすごく苦手だっていうのは知ってたんだ。前にも、友人ご夫婦の赤ちゃんを見れてなかったから」

「……そうなんだ」

 先生やオウキさんも、なんらかの機会で赤子が苦手なことは知っていたのだろう。

「私も寂しいですが、どうかよろしくお願いします」

「うむ。任されよう」



 翰川先生と赤子と共に、転移で家に戻る。

「お帰り」

 リビングには夕食が揃っており、ミズリさんが微笑んでいた。

「……その子がオウキの言う噂の子かな?」

「うん。リーネアの娘(仮)だ。可愛いぞ」

「ほんとだ」

 赤ちゃんがぱっちりと目を開ける。

「ぁう?」

「……!」

 なぜかミズリさんは目を丸くして、それからふっと笑って赤子を撫でた。

「……あの子の娘さんなら、俺にとっても親戚だね」

「ぁー」

「賢い子。じっと大人しくして、いい子だ」

「ぁふう……」

「名前は?」

「まだわからない。母親が見つかっていないんだ」

 確かに、勝手には名前をつけられないよな。

「そっか」

「ミズリさん、夕食ありがとうございます」

「俺もさっき帰ってきたところなんだ。気にしないで」

 礼を言うと貴公子のようにさわやかな笑顔で応じてくれる。

「……赤ちゃんを見るなんて久しぶりだ。緊張するけど嬉しいな」



  ――*――

「先生。大丈夫ですか?」

「……大丈夫、じゃない……」

「そうですか」

 京ちゃんはリナリアのそばに着いて、手を優しくさすっている。

「…………。ちょっとしたら落ち着くから、ほっといていい」

「支えてもらいました。先生に恩返し出来るなら、これくらいなんでもないんです」

「……」

「大丈夫ですよ」

 彼女のパターンは、そばにいるだけで神秘持ちの精神を平常に戻し、安らぎを与える。原理は未だに考察途中。

 でも、精神がピーキーな俺たち妖精には何よりありがたい能力だ。

「オウキさんがグラタン仕上げてくれたんですよ。エビカツも揚げてくださいました。一緒に食べましょう?」

「…………。食べる……」

「良かった」

 京ちゃんがこちらを見たのを確認してから、ソファに座るリナリアにグラタンを見せる。

「父さんも、ケイも……ありがとう」

「どういたしまして」

「頑張ったよ」

「……ん」

 食べ終えて着替えたリナリアが自室で眠った頃、京ちゃんに事情を軽く説明する。

「実はあの子も異能を持っていてね。『鬼神の瞳』と呼ばれるその異能は、可能性を垣間見ることができるんだ。要は未来予知」

「……予知」

「そう。ただし、あの子はそれを自分の意思で使えない。無意識のうちに瞬間的に可能性を垣間見て、自分でもわからないうちに会話の相手に怒ったりする」

 例えば、『見た目美少女』と相手が思ったことを汲み取っちゃったりね。

「自分自身で制御できない異能ほど危険なものもないけれど、リナリアは良くも悪くも直感型天才。大抵のことはなんとかなってきた。でもある日、赤ちゃんを間近で直視した瞬間に無限の未来を見てしまったらしい」

「……」

「いつもなら1秒に届くか届かないかの僅かなビジョン。赤ちゃんを相手にした時だけ、その子の成長していく未来……あるいは成長出来ずに死んでしまう未来を、大量に」

「その赤ちゃんを見たのは……先生の故郷ですか?」

 賢い子だ。

「うん。あの子の世界ではいとも簡単に人が死ぬ。とはいえ、何も抵抗できず無為に死ぬわけじゃない。……赤ちゃん以外ならね」

 いくらドライで自らを怪物と割り切れる精神状態のリナリアでも、無限の未来のほとんどが死に向かう可能性を覗けば混乱する。

「混乱した時はあやふやにして後回しにするのがあの子の悪癖なんだけど、その赤ちゃんと抱っこした女性をつい助けたらしいんだ。後回しが出来ないまま、延々と『鬼神の瞳』で直視していた。……それがトラウマになったみたい」

「……」

 京ちゃんはぎゅっと手を握り、呟く。

「…………。瞳の制御は出来ないんですか?」

「訓練次第ではなんとか」

 瞳自体はシェルかそのお父さん、または俺のおばあちゃんなど、そういう人の助けを借りればなんとかなる。

「でもまあ、一度焼きついたトラウマの払拭なら、どう考えても京ちゃんが適役かな」

「私、ですか」

「さっきもキミのお陰で立ち直れてた。凄いことだよ」

「……私に出来ることなら、頑張ります」

「ありがとう」

 健気で強い子。

「リナリアのそばに居てくれて、ありがとうね。いつも息子がお世話になってます」

「いっ、いえそんな! 私の方が、先生になんでもしてもらってばっかりで……」

 可愛いなあ、京ちゃん。

「明日からはどうなるかわからないけど、もしかしたらこっちの家で赤ちゃんを見ることになるかもしれない。体力勝負になるから補給しないとね」

 エビカツとグラタンを並べる。

「はい。……先生に似た赤ちゃんすごく可愛かったので、明日は、私も抱っこしていいですか?」

「いいとも。抱っこの仕方も教えるね」

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