朝8時。

 赤ちゃんと俺を連れて、翰川先生がお隣のリビングに転移する。

「ぁー!」

 赤ちゃんはそれまで少しご機嫌斜めだったのが、リーネアさんを見た途端にぱあっと明るくなった。リーネアさん自身はといえば、被った毛布の隙間から赤い瞳を覗かせてこちらを窺っている。

 翰川先生はじたじたする赤ちゃんをベビーベッドに寝転がらせた。

 白に塗られた、曲線の美しいデザインのベッド。

「……もしかして作ったんですか?」

「うん。だって孫だし、テンション上がっちゃってね……京ちゃんも手伝ってくれたんだよ」

「ぁー」

 孫娘を撫でてニコニコするオウキさんの隣で、京が苦笑気味に教えてくれる。

「私はニスを吹きつけていっただけで、本体はオウキさんが神業で作ったんだ」

「そ、そうなんだ。やっぱり凄いな、職人さん……」

 翰川先生はオウキさんに報告。

「昨日、主治医経由で赤子を診てもらえるよう連絡してもらった。予約は明日の昼。ただ、『異変があったらすぐに連れて来い』と。診てもらえるそうだ」

「ありがとう」

「きゅぁあー!」

「うぁ」

 赤ちゃんの雄叫びに、リーネアさんが後ずさる。

 赤ちゃんはリーネアさんのそばに行こうとベビーベッドの柵の中で身をよじって可愛い。

「…………」

 音もなくいつの間にか入ってきたシェルさんが固まっていた。珍しいリアクションだ。

 ぎこちない動きで赤子を一瞥し、のちにリーネアさんの方を見る。

「あの」

「なんだよ……」

「リーネアは単体生殖が可能なのでしょうか?」

 揺るぎない鬼畜。

「うわぁああああああん……‼」

 ついにリーネアさんがガチ泣きを始めてしまった。

 釣られてか赤子も泣きだす。



 リーネアさんはクッションに突っ伏して泣き続けているが、泣かしたシェルさんは構いもせず、無表情で赤子と見つめ合っている。

「「…………」」

 抱き上げても見つめ合っている。

 何か会話しているんだろうか。

「……」

 京に背をさすられていたリーネアさんは、クッションを部屋の端の棚に置き、いじけながら戻ってきた。

「シェルなんか、敵だ……」

「そう言われましても、『リーネアが子どもを産んだ』と言われたら生命の限界を突破したのかと思うでしょう。……ねえ?」

「ぁー」

 赤ちゃんが相槌をうっているみたいでなんとも可愛い。

「やっぱひぞれのせいじゃねえか!」

「えー……『どう見てもリーネアにそっくりな赤子がいるがリーネアは身に覚えがないと言っている。相手の女性は行方不明だ』と事実を伝えた方が良かったのか?」

 おお、すっごい最低男みたいな表現。

「悪意ある言葉選びをやめろ!」

 また泣きそうになるリーネアさんの手を京が掴み、優しくさする。よく見たら彼女の手から青い火花が放たれていて、パターンを作用させているのだとわかる。

「まあいいです」

「『いいです』とはなんだてめえ! 俺は何も良くないんだよ!」

 ぎゃんぎゃんと抗議する彼など御構い無しに、シェルさんは赤子をオウキさんに手渡す。

「ぁー!」

「おや。ご挨拶してくれるんだね」

 孫娘にデレデレしている。

「……」

 シェルさんは首を傾げて、リーネアさんを見やる。

「リーネア。本当に身に覚えがないのですね?」

「ねえよ」

「とりあえずレッツ抱っこ」

「ひっ。ぐ!?」

 オウキさんに不意打ちで赤子を腕の中に置かれ、彼は咄嗟に抱っこする。

 赤ちゃんは超絶上機嫌ではしゃいでいる。

 翰川先生は困った顔ながら微笑ましく見守り、遅れて到着したミズリさんは苦笑気味。シェルさんは何かに悩むような顔で赤子を見ている。

「ゅぁ――――‼」

「ぅあぁああああ、あああ……‼」

 ――リーネアさんが赤子から手を離し、視認できない動きで後ずさる。

「ちょ……落ちるっ!」

 駆け出そうとしたが、この距離では到底間に合わない。

 そう思ったところで――影で出来たような多数の腕が赤子の下から巻き上がり、彼女を柔らかく支えた。

「……」

 影は消え、赤ちゃんをシェルさんが持ち上げる。

「ぁーうー……?」

 さすが八児の父。赤子を抱き上げて支える動きに淀みはない。泣きそうになっていた赤ちゃんも安心したのか、大人しくしてじっとシェルさんを見上げている。

 彼は呆れた様子で、テーブルの下のリーネアさんを見やる。

「……赤子を取り落とすのはいかがなものかと?」

「だ、だって、父さんが押し付けて……」

「抱っこが無理ならオウキにすぐに返せばいいでしょう?」

「いきなり叫ぶから……」

「あなたは感情を表すときにすべて予告するのですか?」

「…………」

 言い訳を切り捨てるセリフの切れ味も変わらない。

 にしても、リーネアさんが撃沈するのは珍しい。

「怖い……泣くし……」

「あなたの感情など知ったことではありません」

 完全に床に突っ伏したリーネアさんを捨て置き、シェルさんが指示を出す。

「ミズリ、頼んでいたものは?」

「全部買ってきたよ。京、隣の部屋借りるね」

「あっ、は、はい! 手伝います!」

「光太は湯を沸かして、ひぞれはミルクを用意してください。いくら作っておいても足りないですし」

「わ、わかりました」

「了解」

 残るオウキさんには、静かに問うた。

「オウキは《母親》を探す方法、思いつきますか?」

「いくつかは。シェルはどうだい?」

「探せと命じられればすぐにでも」

「あはー! キミらしいなあ」

 会話の内容はよくわからないが、二人は《母親》探しに挑むらしい。

 天才二人なら任せて問題なしなのだろう。

 それぞれが動く前に、赤ちゃんを抱っこしたままのシェルさんは、いじけるリーネアさんに話しかける。

「一つだけ質問させてください。あなたの疑惑を晴らしてあげます」

「……なんだよ」

「子どもはどうやってできると思いますか?」

「キスでできるんだろ……知ってる」

 予想外の答えに時が止まった。

「無罪ですね」

「?」

 翰川先生はほっと一息。オウキさんは笑いをこらえ、ミズリさんは苦笑。

 京は安堵したように脱力する。

「史上最高に無駄な疑惑だったねえ」

「徒労で良かったじゃないか。リーネアらしい」

「部屋の用意してくるよ」

 リーネアさんが絶叫した。

「みんな嫌いだ‼」



「ぁー」

 赤ちゃんはシェルさんの膝上で落ち着いている。

 時折顔をあげたりぐずったりのタイミングでミルクをやっている。

 ……意思疎通ができているようだ。

「8人も育てたら、赤ちゃんの考えてることわかるんですか?」

「魔術を使えば可能ですが、赤子の考えを読むほど疲れることもありません。……ただ、この子は少し特別ですね」

「?」

「リーネアとミズリが親戚なのは知っていますよね」

「はい。シェルさん、前にユングィスって言ってましたね。覚えてます」

 消耗して自室で休んでいるリーネアさんが、ミズリさんを苦手としていることも知っている。

「ユングィスは『神を祖先とする一種族』ではなく、『祖先から末裔まで丸ごと神の一種族』です。なので、曾祖母とはいえ、リーネアはまだまだユングィスの血が濃いといえます。神の形質は簡単には薄まりません」

「……」

「ユングィスは概念を操る言霊の力を持ちます。……この子はその能力で意思を発信しています。俺はそれを受信して対応できるというだけ」

「それってもう、この子が実子だって言ってるようなもんじゃないですか……」

「最初からそのつもりでした。ここまで似ていて魂の匂いも同じなら、疑いようもないので」

 オウキさんが赤ちゃんを撫でる。

「おじいちゃんだよ、可愛い子」

「ゅぁー」

 リーネアさんを相手にしたときの反応ほどではないが、彼女はオウキさんに懐いている。

「……名前はお母さんが見つかってからお母さんに聞こう。もしまだないのなら考えるからね」

「ぁう?」

「ああー……かわゆい……」

 シェルさんはオウキさんに赤ちゃんを渡して、キッチン近くの部屋から出てきた翰川先生に問いかける。

「ひぞれ、セッティングは終わりましたか?」

「うむ。準備万端だ。リーネアから一部屋借りてあるので、みんなで確認しよう」

「何をですか?」

「決まっているだろう――監視カメラだ」

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