向き合うこと
赤ちゃんがリーネアの家に本格的に暮らし始めて三日。
「おはよう」
「……おはよ」
リーネアが僕を出迎える。
「ケイは物件の手続きで出てる。父さんは赤ん坊にデレデレ」
「微笑ましいな」
「ひぞれは?」
「今日は予定なしだ。なので、見守りはオウキと交代するよ。探索の目処がついたそうだから」
「……父さんが交代渋りそうだな」
「はは、そこまで子どもじゃないだろう」
聞いた仮説が正しいなら、僕では《母親》を探せない。オウキもそこはわかっているはずだ。
リビングに入る。
「あぁ〜……かわゆいでしゅねー……」
「むぁう」
「もちもちだねえ」
本当にデレデレだった。
「……」
リーネアがぽつりと呟く。
「親のこういう姿見るの、不思議な気分。かれこれ二時間くらい触れ合って遊んでる」
オウキは赤ちゃんがにぎにぎして遊べるおもちゃを渡してすごく幸せそうだ。
「あ、ひぞれ。おはよ」
「……お、おはよう」
「ぁー」
「ご挨拶してくれるのか。ありがとう」
可愛いなあ。
和んでいると――リーネアが自分から赤子を抱き上げた。
「!?」
驚く僕に、彼はバツの悪そうな顔をして言う。
「……俺だってちょっとは進歩するんだよ」
「そうか。……うん、そうか」
なんだか、すごく嬉しいな。
「やめろ、温かい目で見守るな。恥ずかしい」
「ぁー!」
リーネアが好きではしゃぐ赤ちゃんも可愛い。
「……?」
てっきりオウキの爆笑が聞こえてくるかと思ったら、彼は何も言わずに姿を消していた。
「……珍しいな。体調、悪いのか?」
僕も、彼の余命のことは聞いている。
「そういうわけじゃないと思うよ。それより、話したい」
「……」
リーネアはじっと僕を見ている。
僕は姿勢を正し、彼と向き合うことにした。
「俺なりに考えたんだ」
腕の中の赤ちゃんを優しい目で見下ろして、静かに問う。
「こいつの母親、レプラコーンだろ?」
「……」
やはり彼は賢い。誤魔化しもだんまりも通用しないだろう。
「そうだよ。まだどこの誰かまではわかっていないが」
「ふうん」
「……怒らないんだな」
「もっと前に黙られてたのに気付いたら、キレてた自信があるよ」
彼らしい。
「まあ、あれだ。《母親》には、結婚どころか恋人も出来ないであろう俺に子どもを見せてくれたことを感謝したいと思う。放ったらかしにしてることに説教はしてやりたいけど」
思ったが、彼が『身に覚えのない子どもを誕生させられたこと』に怒るそぶりが見えないのは、キスで子どもができると思っているからかもしれない。
真実を知った状態なら『行きずりの女性とあれこれして挙句子どもを押し付けられた』という疑惑をかけられているのと同義だと気付くから。
その点、彼のメルヘン知識に助けられたな……
「……でも、なんで俺なんだろうな」
「…………」
「同じレプラコーンだからか?」
とても不思議そうな彼だが、その発言だけは訂正しなければ。
「女性が『その人の子どもが欲しい』と本気で思えるには、相手を愛していなければ成り立たないよ」
「……」
彼は虚をつかれた顔をして、それから眉間にしわを寄せる。
「ここ最近、女性相手に何をした覚えもないんだが……」
リーネアは光太とタイプが似ている。
光太も、『自分の善意は誰にでもあるもので特別ではない』と考えがちだ。
他人にためらいなく手を差し伸べられること、それを当たり前だと考えられる心が稀有だというのに。
「……きっと、キミが気づいてないだけだよ」
「…………」
赤ちゃんを見下ろす。
すやすやと眠る彼女は心から安らいでいる。
「そうかな」
「そうだよ」
「……何か迷惑かけて恨み買ったのかと思ってた」
「絶対、ぜっったい、違う」
でなければ、生まれた子どもを包む毛布に、あんなに丁寧な刺繍をするはずがない。
毛布を見たシェルとオウキは刺繍を見て驚き、感心したようにモチーフの意味を僕に教えてくれた。体温を保つための魔法、安らぎを与える魔法……複数の魔法を融合させるには、技術はもちろん根気と愛情がなければできない。
「《母親》は……彼女は、キミに恋している。一方的なものではあるが、その恋心は本物だ」
「……」
「手段は褒められたものではなかったかもしれない。キミからしてみたら『お前のせいで周りから変な疑いをかけられた。勝手なことをしやがって』と罵っても仕方がない行為だが、彼女の気持ちだけは否定しないであげて欲しい……!」
「…………」
彼はしわを解き、柔らかに笑う。
「文句言うかどうかは、そいつと会ってから決めるさ。……今はこいつとお前とで、吉報を待つよ」
「……うん」
床に敷かれた柔らかなマットの上に赤ちゃんを寝かして、件の毛布をかける。
ソファはリビング隣の和室に、ローテーブルはリビングの端に……と、赤ちゃんのために家具の配置換えがされていた。
「カルミアやルピナスには知らせたのか?」
「うん。二人とも忙しいから、まだ会えてないけど」
「そうか。きっと喜ぶな」
「写真送ったら発狂してた」
「……そうか」
見せてくれたメールは、文面が見事に崩壊していた。
「あああ……物件、あともう少し後なら、もっと赤ちゃんを見てられたのに……!」
京は、帰ってくるなりリビングでくずおれた。
彼女は物件の準備が終わって、あとは家具と荷物を移動させるだけの状態だ。
リーネアの家に泊まるのは今日が最後。
「そんな落ち込むなよ」
「ぁー!」
「お前ん家は近所だし、また遊びに、」
「ゅぁー!!」
「一旦落ち着けって」
リーネアの言葉を赤ちゃんの叫び声が遮る。けっこうなカオス具合だ。
落ち込んでいた京も噴き出してしまっている。
「ぁう」
「……慰めてくれるの?」
赤ちゃんは人見知りせず、京にも笑顔を振りまいている。
京と共にやってきた光太は苦笑気味ながら微笑ましく見守っている。
「光太はどうだった?」
彼には僕から物件業者を紹介させてもらった。用事の帰り道に京と合流したのだそう。
「そうですね……大学と大きなスーパーが近い上、驚きの3LDKでネット完備。風呂場とキッチンもなかなか使い心地が良さそうでした。なんとお値段4万8千円。こいつは買いだ! ……と思える物件でした」
「おお!」
友人はいい仕事をしてくれたようだ。
「札幌で下見した時も驚きましたけど、すごい良かったです。……でも、気になってそのマンションの他の部屋のお値段……もとい、家賃もみたんですよ」
「うん」
そうだろうなとは思っていた。
「階で違いましたけど、当然、18〜20万超え。ほぼ三倍以上」
「東京だからな」
「ベランダの端に何かぶら下がってると思ったら、丸められたお札なんですよね」
「うん」
目を逸らす。
「ねえ先生」
「うん」
「あの部屋、事故物件ですよね?」
光太は涙目で僕の肩を掴んでいる。
「それは違うぞ、光太。あの部屋で死んだ人は一人もいない。ただ、なぜか住む人みんな『ここでは暮らせない』と言って二日も経たずに出て行ってしまうだけだ」
「そっちの方が怖いわ!!」
彼は長年怨霊と暮らしていたというのに、何を怖がっているんだろう……
「……部屋に異常は見つからないんだ。幽霊も居なければ、妖怪も居ない。何か魔術が仕掛けられた痕跡もない……本当になんの変哲も無い部屋のはずなんだよ」
友人もなんとかしようと、ツテを使ってその手の調査を専門とする人物に依頼したのに、何も見つからなかった。
「もう契約してきちゃいましたけども……でももっと、なんか……」
「部屋に入って説明を受けても躊躇なく契約してきたってすごい肝っ玉だと思うぞ!?」
「安さに釣られてついサインを……」
度胸があるんだか無いんだかわからない……!
「光太。僕としても、その物件は本命ではなかったんだ。あと二つ紹介しただろう。8万のと9万のと、あれこれと」
「安くて設備良くて広いとか最高だと思って、勢いで……なんで俺こんなアホなんだろう……」
アホというか大物というか。
「八つ当たりして、すみません……決めたの俺ですよね。先生、紹介してくれてありがとうございました」
「あ、う、うん……」
密かにリーネアが笑っていた。
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