後回しにしないこと

 朝10時。東京啓明病院。

「よう。リーネア」

 軽い口調に反して眉間のしわが濃い少女。金髪三つ編みに青縁眼鏡。白衣。

 組み合わせはバラバラなのに、“天使”というイメージが浮かぶ不思議な友人は、相変わらず不機嫌そうだった。

「…………よう、天使」

 本名:サラノア・レリアクレシバル。日本名:山重まり。名前が二つあるのには異種族の宙ぶらりんな戸籍問題が絡んでくる。

 あだ名の通り、本物の天使族だ。

「鑑定出して、新生児の連中であれこれ検査してるよ」

 神秘のお陰で、DNA鑑定は『スイッチ一つで30秒』という電子レンジくらいの手軽さに短縮されている。

 いまの俺としては絶妙に嬉しくない短さだ。

 天使に与えられた個室にて、諸々の結果待ち……

「……ふうん……そう……」

「なんだてめえ。私は仕事を全うしてるだけだ。文句あるのか?」

「ないよ。世界一の名医だと思ってるよ……」

 技能も生まれ持った記号も、両方が本物の救命天使。普段は緊急手術が必要な患者のために、救急付近で待機している。

 ひぞれの主治医だ。

「はー……つっかれた」

 天使は棒つきレモンキャンディーを舐めながら、向かいのソファに腰掛けてテーブルに足を載せる。……シェルが見たら『行儀が悪い』ではたくな。

「おいやめろ。私が悪かった」

「察し良いなこの女」

 スマホをしまう。

 綺麗なんだから、きちんと脚閉じて座ればいいのに。

「で」

「あ?」

「どこの誰とだ?」

 何度思い返してもキスをした覚えはない。

「心当たりがねえから相談してるんだよ……」

「浴びるほど酒飲んだ覚えはあるか?」

「ない」

 レプラコーンは妖精の一種。ほとんどの妖精は酒に弱く、酒を飲める父さんの方がレアケース。

 俺には酒の強さは受け継がれなかったようで、飲めば記憶が飛ぶくらい弱い。ライフルの引き金も軽くなるから自分からは飲まない。

「だよな。結果を見せてやる」

 デスクの上に放置されていた封筒をテーブルの上に滑らせる。

 受け取って中身を開く。見るまでもない結果。

「……お前との親子関係、およそ98%証明。実子だな」

「…………」

「正直、疑うのもあほらしくなるほどお前そっくりな娘さんだけど……それでも費用出して検査までさせてくれたんだ。思いやりあるぞ」

「……わかってる」

 あれが自分の血を引いた赤子だというのは、一目見た瞬間からわかってたんだ。

「ふん。ま、謎解きってなれば私の出る幕もない。ただの患者として赤子を診るさ」

「……悪い」

「あ? なんだ。素直に頼むんだな」

「別に、俺は……あれを嫌ってるわけじゃない」

 昔はそれ以上考えたくないから『赤ん坊怖い』で思考停止したが、今はケイのパターンの助けもあって、ようやく考えられるようになった。

 こっちの世界では、ここ日本では、子どもが無為に死ぬことはない。

 だから、未来を見ても大丈夫。

「……。さっきもなんとか抱っこできたしさ」

 父さんが健診に連れて行ってくれる前に、寝てる赤ん坊を抱っこさせてもらった。当然、俺が錯乱した時のために、父さんと天使が構えて……

「見てたよ。成長したな」

「あ、ありがとう」

 天使には叱られることばかりだから、褒められるとなんか嬉しいな。

「だがよ。赤んぼ抱っこするってのに何でぎこちないんだてめえ」

 抱き上げてすぐ硬直したから、父さんが引き取ってくれた。

「あの……でも、あの子は、えっと……」

 たしかに俺の子ではあるけど、俺は生まれたことさえ知らなかったし、

「クソの役にも立たねえ父親初心者を鍛え上げてやる。特訓だ」

「えっ、いや、俺は」

「いいからやるぞ! お前に許された返事は『はい』だけだ!!」



 父さんは後部座席でチャイルドシートの赤子をあやしている。

「……健診、結果、どうだったんだ?」

「全体的に健康だって。……ていうかリナリア、なんかやつれてない?」

【これで安心、赤ちゃんの抱っこマニュアル!

 赤子を持ち上げる時はどっしりとした心で。大人の不安は赤子にも伝わるから……】

「もしダメなんだったら日除けカバーかけるけども」

【赤ちゃんは手足がお父さんお母さんの体にくっついてると安心するよ!】

 マジにうるせえ。

 赤信号の隙にこめかみを指で叩いて黙らせる。

「り、リナリア?」

「大丈夫……」

 天使に叩き込まれたマニュアルが脳内でリフレインされて非常にうるさい。赤ん坊のマネキンみたいなのを使った訓練までさせられた。

「そ、そうかい? ……ダメそうだったら無理しないで言っておくれね」

「ぁー」

「…………。うん」

 考える。

 努めて冷静に。

「ふぇぅ……」

「おや。ぐずっちゃうかー。もうちょっとでおうち着くから、ごめんね」

 父さんは嬉しそうに孫娘をあやしている。

 欠陥品の俺と違って、赤ん坊は泣いたり笑ったりぐずったりと表情豊かだ。……赤ん坊が苦手なのは、そのコンプレックスもあるのかもしれない。

「リナリア」

「なに、父さん」

「父親らしいことしてあげられなくてごめんね」

「いきなりだな……気にしてないよ。《母親》だって父さんとシェルが探してくれるんだろ?」

 どんなやつだか知らないが、会ったら『子どもを放置するな』って言ってやらないと。

「うん。でも、無理することはないと思うんだ」

「……何に?」

「赤ちゃんに慣れること。苦手なものを必ず克服しなきゃならないわけじゃないからさ」

「…………。じゃあその赤ん坊どうすんだよ」

 眠る赤ん坊は自分と似ている。

 今でも怖いが、可愛いとは思える。

「俺も、ひぞれとミズリもいる。お母さんを見つけたら話を聞いて、場合によっては引き取るよ。お母さんへの支援もするかな」

「……」

「どうする?」

 この車はそろそろマンションに到着する。

 父さんは心理戦にまで強くて、ずるいと思う。

「…………。頑張ってみる」

「……サポートするね」

「ん」

 車を入り口側の駐車スペースに停め、トランクを開ける。

 ベビーカーを降ろす。

「……ん?」

 ベビーカーの持ち手部分に、花と剣の紋章・花と金槌の紋章の二つが入っている。父さんと大叔母さんのそれぞれのマークだ。

「もしかして作ったのか?」

「うん。口が固いパール叔母さんに頼んで、ベビーカーを共作したんだよ。お陰で至近距離の機銃掃射も弾く出来上がり!」

「要塞かよ」

 性能の方向性が清々しいほど迷走している。

「事故に遭っても車の方が弾かれるから心配しないでね」

「……」

 愛情があって心配してくれてるのはわかるんだけどなあ……

「これなら安心だよお、孫娘……!」

「ぁーう……?」

 眠たげな赤子を入れて、ベビーカーを押す父さん。

 段差を乗り越えた瞬間の車輪の滑らかさがやばい。あれたぶん、接地面からベビーカー本体までの衝撃吸収にエグい技術使われてる。

「……車、駐車場に停めてくる。寒いし、先上がっててくれていいよ」

 父さんも体調が良いわけじゃないだろうから。

「あ、ごめんね。よろしく頼むよ」

 エメラルドとベビーカーが入っていったのを見届けてから、運転席に戻る。

「……」

 俺は自分が欠陥品だと知っている。

 楽しいのに上手く笑ったりできない時があるし、今でも情緒不安定で極端な行動に走る。殺そうと思えば誰だろうと殺せてしまう。

 ……恋した女性はみんな自分でとどめを刺してきてしまった。

 だから自分が結婚して子どもをもうける以前の問題だと思ってきていて、何より赤ん坊が怖かったのもあって、他人に大した興味も持たずに生きてきた。

「《母親》、誰なんだろ」

 キスもしないで子どもを作れることもそうだけど、そいつがどんなやつで、どういう理由で俺の子どもをこの世に誕生させたのかが知りたい。

 興味が出てきた。

「……ん」

 まずは父さんたちが見つけてくれるまで、赤ん坊に慣れるのを頑張ろう。

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