ハッピー・ワールド・エンド

湯上信也

ハッピー・ワールド・エンド

世界のコアと密接に結びついた女の子がいた。なんでそんな事になったのかは誰も知らないが、女の子は世界の救世主にも、破壊者にもなれるという立場にある。


救世主になる方法は簡単だ。何もしなければいい。彼女が普通の生活を送っていれば、世界は今まで通り続いていく。


破壊者になるのは、少しだけ難しい。と言っても無理難題というほどではない。彼女が涙を流せば、この世界は終末を迎える。


何でこんな仕組みになっているのか、なんて野暮な質問はなしにしよう。先述したように、誰も分からないのだから説明する事も出来ないし、出来たとしてもわざわざ労力を費やしてここに記すほどの価値はない。女の子が泣けば、世界が終わる。その事実だけ認識していただければ、何の問題もない。


話を戻そう。世の中の大半の人はまだ死にたくないわけだから、必然的に彼女を泣かせないように気を使う。気を使うとは言っても特別な事をするわけではない。彼女が寂しくて涙を流すようなことがないように、適度に相手をするだけでいい。


幸いなことに彼女も泣き虫ではなかったので、世界が存亡の危機に陥ることは数百年間で一度もなかった。


女の子は年をとらない。その華奢な身体は、世界が無くならない限り、永遠に朽ち果てる事はない。


女の子は孤独だった。周囲の人からは適度に相手をしてもらっているのだから、孤立しているわけではない。しかし、この『適度に』という部分が、彼女を徹底的に孤独にした。


深入りすれば、無意識に感情を揺さぶって涙を誘うような事が起こりかねない。だから彼女と必要以上に仲良くなろうとする人はいない。そんな中途半端な距離感が、孤独の輪郭を明確なものにしたのだ。


彼女にとって誰かと仲良くなりたいという願いは、星をその手に掴むことよりも、実現するのが難しいことだった。


孤独な女の子は、数百年間泣かないようにすることだけを考えてきた。正直に言えば、世界はどうでもいいのたが、涙を流すことが敗北のよう感じていた。そんなありきたりな意地が、世界をここまで存続させてきたわけだ。


長い間泣かないようにしていると、不思議と他の感情も失ってしまうものだ。彼女は笑うことも、怒ることもない人形になっていた。


ある日、女の子に恋をした男がいた。それだけなら、特筆すべき事ではない。何故なら女の子は美しかったからだ。彼女に恋をしない男の方が珍しいが、世界の存続の為、自分のものにしようとする不届き者はいなかった。


お察しの通り、この男がその不届き者だったのだ。初めて女の子に話しかけた時、男はこんな事を言った。


「僕は君を泣かせるために来た」


女の子は混乱した。こんな馬鹿ことを言う人は初めてだったからだ。


「あなたは自分が何を言っているのか分かっているのですか?世界を壊すと宣言しているのと同じことですよ?」


男はまっすぐに彼女の目を見つめて、真剣な口調で答えた。


「君が自由に泣くことも笑うこともできない世界なんて、滅びてしまえばいい」


女の子は何も言えなかった。自分の奥底に眠っていたものが、静かに頭を上げたのを感じた。それは、絶対に目を覚ましてはいけないものだった。


「……私を泣かせるなんて事ができるなら、やってみてください。ほら、早く」


取り繕うように早口で捲し立てた女の子の身体は、次の瞬間には暖かいものに包み込まれていた。その暖かいものの正体が、男の体だと気づくまでに、少し時間がかかった。


女の子の背に手を回した男は、目を閉じて、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「僕は、どうしようもないくらい、君が好きだ」


いよいよ、女の子の中に眠る不健全なものが暴れ回ろうとしていた。なんとか暴走を食い止めるため、出来るだけ素っ気ない口調で喋る。


「そんなことで、私が泣くと思いましたか?」


「思ってない。君を泣かせる計画は、これからじっくり時間をかけて実行していくよ。今は取り敢えず、伝えたいことを伝えただけだ」


「……本当に、バカな人」


この時、数百年ぶりに女の子が笑った。涙を流すことはなかったが、それでも男にとっては人生最高の瞬間だっただろう。




彼の計画は、成功とも失敗とも言えるような結果になった。二人が抱き合った数十年後に、世界は滅びることになる。でもそれは彼が死んだ直後のことなのだ。結末だけ見れば彼の目的は達成されたけど、彼の生きている間に達成されたわけじゃない。


どちらにせよ、男の死が長い間眠っていた彼女の涙を解放した事に変わりはない。彼が幸福な人間であった事は疑いようがないだろう。


最後に、こういう結末をバッドエンドと考える人々に問いたい。


愛する人の死によってもたらされた涙が、世界を滅ぼす。これ以上のハッピーエンドが、他にあるのだろうか。物語の最後を飾るに相応しいエンディングが、他にあるだろうか。


もちろん、もっと美しいエンディングを迎える物語も、もっと完成度の高いハッピーエンドの小説も、たくさんあるだろう。


あくまでも、この不条理で出来の悪い物語の結末として考えてほしい。


個人的に、これ以上のハッピーエンドは、存在しないと思うのだ。


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ハッピー・ワールド・エンド 湯上信也 @ugami

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