第81話

 


「――シャル、話があるんだ」

「……はい」


 ある日の授業が終わり、私はやる事も無いので寮へ帰ろうと荷物を纏めている時の事だった。

 最近伯爵家へ帰る頻度が上がり、あまりの忙しさ顔も合わせられなかったクリス様が教室までわざわざ呼びに来た。

 その姿は相変わらずで、多忙さによる疲れを感じさせる事が微塵も伺えない程いつもどおりだったが、その表情からは少し余裕のなさそうな雰囲気も醸し出していて少しだけ胸騒ぎがする。

 良くない事が起きたわけではない事を祈りたい。

 私は鞄を持って彼のもとに歩いていくと、すぐに鞄を取り上げられて空いた方の手を繋ぐ形で握り引かれる。連れて行かれるままついていくと、到着したのは屋上のいつもの庭園だった。便利な場所だなとつくづく思う。

 私を、ハンカチを敷いたベンチに座らせるなり、隣には座らず正面から片膝を付いてこちらを見上げてくる。まるで跪いているような光景に行動が読めず動揺を隠せない。

 ジッとこちらを見つめる端正なその顔は、どこか心配げにしていて胸がざわつく。


「シャル――」

「ごめんなさい」

「……え?」


 クリス様の話を聞かずに咄嗟に謝ってしまった。彼もぽかんとして困惑気味にしている。


「な、何が?」

「私に駄目な所があったのなら、ちゃんと言ってください。……ちゃんと改めるので……だから――」


 ――……私の事を避けたりしないで。


 そう言いたいのに、グッと喉の奥に何か詰まったような感覚にうまくそれを伝えられない。

 重い女だと思われたらどうしよう……。好き過ぎて距離感が分からなくなっている。

 私の様子がおかしいと思ったのか、目を瞠って驚き硬直してしまったクリス様はまるで言っている意味がわからないと言うようなそれだった。


「いや、特には……」

「え……?」


 無いのに避けるのか、それとも言えないのか。そもそも避けていなかった……?

 どの予想にも行き着くから分からない。

 だから、話題をどうにか誤魔化すために今回私を呼び出した件をきちんと聞こうと深呼吸して笑顔を作る。


「――すみません、それで何か用件があったのでは?」

「……シャル、何か誤解があったら大変だから確認を取る」

「……はい」


 私が何か思う所があると悟ったのか、作り笑いを浮かべる頬を大きな両手で包み込まれた。

 じんわりと伝わるクリス様の体温に、心が不思議と穏やかになっていく。


「決して君が思うような事は無いから。それと今日呼び出したのは、次の休日に伯爵家に来て欲しいという誘いの話なんだ」

「……伯爵家?」


 私の言葉の繰り返しにしっかりと頷いた。

 邪険にしていたり、距離を起きたい相手を家に招く人間なんて居ないはずだ、そう思うと肩の力が抜けた。


「そう、なんですね……勘違いしていたようです」

「……僕が何かしたのか?」

「い、いえ……! とても忙しそうにしていただけです!」


 眉を下げて不安げに見つめてくるクリス様に、私は必死で胸の前で手を振って否定した。完全に私の早とちりだ。

 誤解が解けた事に安堵したクリス様は、にこりと笑って立ち上がると私の隣に座った。

 先程まで勘違いして落ち込んでいた自分が恥ずかしくて顔が熱くなっているが、顔を逸らしておけばバレないだろうと伺えないように反対側を見た。


「シャル?」

「はい」

「こっち向いて」

「嫌です……」

「嫌って……」


 即答する私が面白いのか、笑いを堪えながら頬に手を添えられて強引に向けさせられる。

 どんな反応していても視界に入らなければまだマシだと目を閉じて居ると、唇に柔らかい物が当たって、不意打ちに驚きで目を開いてしまった。


「んぅっ……!」

「やっと、こっち見た」


 赤い目は弧を描き、綺麗な唇の口角は満足げに上がる。

 美形な彼のそんな表情に目を奪われてぽかんとしていると、「まだ足りないか?」と艶っぽい声で耳元で囁かれ、まるで漫画のようにブンブンと首を横に振った。

 全身がビリビリとした感覚に襲われて、おかしな気持ちが込み上げる。


「シャルがどんな誤解をしていたか聞いても?」

「……恥ずかしいので勘弁してください」


 頬に手を添えたまま目を合わせて問いかけてくる瞳は、咎めるものではなく至っていつも通りの優しさを含んだ物だった。

 しかし、それでも口が裂けても言いたくない。


 ――クリス様に〝好き〟と言えていないから愛想尽かされて避けられてると思っていた……なんて言えるわけがない! 言いたくない! 墓まで持って行きたい!


 どうやって誤魔化そうかと目を泳がせながら思考をフルに回転させる。


「ほら、早く言わないとまたキスするぞ」

「ひゃっ」


 低めの囁き声で迫ってくるクリス様に、背中がゾワゾワとして後退ると、頬に添えられた手が離れる。

 私がどうしても言いたくないと分かってくれたのか、小さい溜息の後に「それじゃあ忘れる事にする」と呆れ半分の声色になった。

 それだけで胸がズキンと痛んだ。


「あの……本当に、私の早とちりだったので」

「シャルでもそんな事あるんだな――僕に避けられてるとか思ったとか?」

「っ! ……誰かに聞いたのですか?!」


 私の一言で、実は知っていたと言うような口ぶりに声を荒げてしまった。

 図星だと分かるとニコリと笑う。


「クルエラが〝シャル、思ったより乙女で甘え下手だから猫可愛がりしてあげて下さい〟って」

「あの子……!」


 文句の一つでも言ってやろうと立ち上がろうとするが、腕を掴まれてそのまま腕の中に閉じ込められた。

 強い力で抱き締められて少しもがくが全く動けない。


「クリス様……?」

「猫可愛がりってどうすればいい?」

「私は猫ではないので……わかりませっ……ちょっと! クリス様苦しいです!」


 逃げられまいと強く抱き締められた私は、ギブアップだと背中を叩くと少しだけ緩められ、髪をくしゃくしゃと撫でて「こうか?」と言って笑う。

 ポニーテールの位置がズレていくのが頭部の感覚で分かる。


「僕が忙しかったから不安だったとか?」

「ち、ちが……」

「本当に?」

「……」


 念押しをするように二度問われると、かぁっと顔が熱くなり首元まで熱を感じる。そしてこくりと一度だけ小さく頷いた。

 すると、ぐしゃぐしゃになったポニーテールを解かれてぱさりと髪が落ち、優しく撫でて整えてくれた。男性の指が私の髪に絡みつくが痛くない。

 解けたスティから貰った赤いリボンを持ったクリス様は、私の左手を掬い取るように優しい手つきで持ち上げると、そのリボンを薬指に結んでチュッと音を立てて口付けた。


「あ、あの……」

「幼い頃に暗に婚約が決まって、シャルに渡そうと思っていた指輪は小さくなったから今慌てて準備させているんだ。だからとりあえずこれで」


 私の薬指に結ばれたリボンを眺めながら、その指先の爪を愛おしげに緩やかに撫でた。

 それがなんだかくすぐったくて、ピクリと肩を震わせるとまた笑った。


「クリス様、もしかして私が突然卒業が早まったから……」

「その通り、結婚式の準備も今まさに進めていて驚かせてやろうと思ったんだ。クルエラ達には先に話していて、学園に来る頻度も減るからと学園長には説明も済ませているんだ」


 やっぱり私へのサプライズだったのかと理解すると、胸のつっかえは全て取り払われた。

 未だにリボンの付いた左手を見つめるクリス様の手を握り返すと、目が合った。


「それで、週末はドレスの採寸をするために仕立て屋を手配しているから伯爵邸に来て欲しいんだ」

「なるほどそれで……」


 ウェディングドレスの手配をするために、わざわざこんなに早くから準備をしてくれているのかと思うと先程まで不安がっていた自分が恥ずかしくなる。

 こんなに多忙な日々が続いて、聖夜祭は大丈夫なのだろうかと気になった。


「クリス様……、聖夜祭は来れますか?」

「もちろん、シャルのエスコートも僕がちゃんとするからほかの男と約束しないでくれ」


 それにホッとして胸が熱くなる。

 目頭も熱くなって顔を隠すためにクリス様の胸に抱き着くと、とんとんと背中を優しく叩いて子供をあやすような手つきにまた安心した。


「……クリス様」

「……ん?」


 腕の中でぴったりと耳を胸にくっつけて名を呼ぶと、規則的な心拍の音と、大好きな優しい声色で返事が来る。声による体から響いてくる振動が心地良くて目を閉じた。

 今なら言える。言わなきゃ。

 勇気を出して言おう。そう決めて言葉にした。


「好きです……」

「っ……シャル?」


 頭上から余裕の無い動揺したクリス様に名を呼ばれた。耳から聞こえる心拍が一度激しく動いた気がする。その後も先程よりも鼓動が速まった。

 見上げると、顔を真っ赤にした彼の顔があって、いつも赤くさせられている仕返しにもなったかなと満足げに口角を上げた。


「してやりました」

「あまり可愛い事をされると、本当に我慢できなくなりそうだ」

「――私はまだもう少し二人きりがいいですけどね」


 そういうと、クリス様も「それは僕も同感だ」と返って来て、額にキスをされた。

 しかし、まるで一世一代の告白みたいな空気になった後和やかなムードに戻って私は再びクリス様の胸に顔をうずめた。


「あーもう恥ずかしい……」

「誤解していた事が?」

「そうです! 本当に……不安でした」

「シャル」


 ぐりぐりと彼の胸に顔をこすりつけて恥ずかしさを誤魔化していると、真面目な声で呼ばれた。

 呼ばれれば反応しないわけには行かないと顔を見ると、顎を掬い取られてそのまま上を向かせて瞳を合わせる。何故かそれを逸らせなくて見つめ続ける。


「聖夜祭の日に、誘われても他の男と踊らないで欲しい」


 ダンスパーティーは誘われれば出来るだけ受け入れるのがマナーだが、婚約者が居れば話は別だ。

 しかし、公にしていない私達の婚約状態を分かった上で言うという事は〝もういいだろう〟と言いたいのだ。

 それに私はしっかりと頷いた。


 ――もう隠すのはやめよう、嫌なこと言われても受け入れよう。本当に不快なら無視すればいいのだから……。クリス様がいるのだから。仲間も多いのだから……。



2019/08/28 校正+加筆

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