第16話

 


 翌週の火曜日。

 授業が一通り終わった放課後に、学園長から校内放送で私が呼び出された。

 なぜクルエラじゃないのか、と正直脳裏でめんどくさいなと思いつつ重い足取りで学園長室へ向かう。

 一体何の用なのだと、誰にも言えない文句を心の中で吐き捨て、私の副委員長という立場を利用して早速呼び出してきたなと思った。


 ――向こうはどういうつもりで私を指名したのか、面識はないはずだし……。


 実行委員会に関しての事ならば、クルエラを呼べばいいのだ。私じゃなくていい。

 何だかんだ文句を口に出さないように歩いていると、学園長室に到着して扉を叩く。すると、扉越しに返事が聞こえて、学園長が中から扉を開けてくれた。

 中へ入ると、ソファに勧められた為、腰掛けて姿勢を正した。

 このソファ、とてもふかふかしていて気持ちがいい。

 かなり上質な物だと直ぐにわかった。


「それで、お話とは……」

「あぁ、突然呼び出してすまないね。学園祭の実行委員会についてなんだがね――」

「……クルエラ様は、お呼びでないのですね」


 何の用だと聞いた後に、学園祭の事である事が分かった途端にクルエラの名を出すと、髭のない綺麗な顎を撫でながら渋るように唸った。何か不都合な事でもあるのだろうか。

 これ以上聞いていいのかも分からなかった為、手を差し出して「すみません、話を続けてください」と返した。


「学園祭の委員会だけどね、もう大まかな事は決まっているのかな?」

「はい、先週……寮へ帰宅した後に少しだけ話し合いをしましたが、先に有志を募って委員会を正式に整える所から始めようと思います。その為に、早めに学園長先生に急遽許可を貰いに行っていただきました」

「そうか、良くわかったよ。実はね、フェリチタ君には実行委員を進めてもらうのと同時に別件で進めて貰いたい事がある――いや、ベース的には同じなんだけど」


 応接用のテーブルに両肘をついて、その手に顎を乗せる。

 まるで会議室の社長のような風貌に、少ない前世の記憶で会議室の事を思い出して口元が緩むが、今は大事な話をしている所だと、きゅっと口元を締めた。


「実行委員会の発足をよく思わない生徒が居るようだから、それの対策も考えて欲しい。もしかしたら、準備期間中に妨害があるかもしれないから気をつけるんだよ」

「はい……、まさかそんな人達が出てくるとは盲点でした」

「そうだね、何か物事を起こす時はなんでもそうだ」


 その言い回しは、学園を立ち上げた時に誰かに反対されたのだろうかと思わせるような言い方だったが、それには触れなかった。

 まさか、実行委員会を作るだけで快く思わない生徒が出てくるとは思わず、もしかすると危険な目に遭うかも知れないリスクが生まれた事に悩みが増えた。


 ――というか、この話が出て一週間も経過していないのにこの人はどこからその情報を得たんだろう……?


 些細な疑問は生まれたが、にこやかにこちらを見ている彼に追及して返答が来るかどうかは分からない。聞くのは諦めた。

 クルエラを呼ばなかった理由は、おそらく気にして『実行委員会自体を廃止にしたい』と言いかねないからだろう。

 彼女の事をよく分かっていらっしゃる。


「分かりました。その……集団? 人? 誰か、というのでも探せたらいいのでしょうけど」

「私も昨日聞いた話だからね。大まかな人物は絞れているから、これを参考にして欲しい」


 そう言って、テーブルにぱさりと置いた書類の束に目を疑った。

 この量は尋常ではない、ぱっと見の枚数だけで二十枚はある。

 それを呆然と見下ろして脳裏に過ぎったのは束の問題ではなかった。


 ――これを、一晩で? 作った……? パソコンでもあるの?


 昨日知って今日までにリストアップされたその書類を手に取り、パラパラと一覧を見ると、数名見覚えのある人間が居る程度で、その一覧の全ては女子生徒だった。

 貴族生徒も居れば、平民生徒も居た。


「学園長先生、申し訳ございません。先程の話で少し変更があります」


 ひと通り一覧に目を通した後、その束を学園長に差し出して告げる。

 学園長は、にこりと琥珀の瞳を細めて見せてそれは差し上げるとでも言いたげに手を振った。

 しかし、これの管理をきっちりしなければ、それこそこちらが危険だと突き返した。

 身の危険を晒すような事をしたくはない。


「……一覧を見なければ対策が取れないのではなかったのかな?」

「はい、なので名前だけ覚えたのでお返しします。これは危険すぎるので今すぐ破棄をお願いします」


 そう答えると、目を見開き驚いている様子だったが、シャルティエの頭脳はとても頭の回転が早い。人名を覚えるくらいならば大丈夫だ。

 貴族はパーティーの来賓リストを覚えるほどなのだからこれくらい覚えられないと困るだろう。

 それに若いだけに記憶力もいい、過去の自分が若い頃はこんな感じだったっけななんて考えたが、結局細かい事を考えるのは止めた。

 思い出せないのだから……。


「あと、変更の件ですが、実行委員会のメンバーは有志を集めますが、こちらで厳選してもよろしいですか?」

「……やはり君に相談してよかったよ」


 私の判断は間違いなかったようで、穏やかな笑みを崩さずに誉れの言葉を紡がれて照れくさそうに俯いた。

 率直にこうやって褒められるのは得意ではない。

 照れてしまうのだ。


「ありがとうございます。これに関しては、話す人物は信用出来る生徒会長、副会長、そしてエストアールだけの内輪のみにしておきます」

「分かった」

「それでは、失礼します。場合によってはクルエラに話す事になるかと思いますが、優先順位は下げておこうと思います。思いつめてしまうと思うので……」

「あぁ、彼女の事は頼んでおくよ」


 ぺこりと頭を下げて学園長室を後にしようと出口に振り返ると呼び止められた。


「眼鏡やめたのかい?」

「? はい、少し肩が凝るので止めました」

「……なるほど。今はそっちの方がいい」


 ――〝今は〟?


 よく分からない事を言われたが、改めて会釈をして学園長室から出た。

 優等生という立場も困りものであるが、スティの取り巻き兼親友をする為にはそれなりの事もしなければいけないから行動にも気を配っていた。

 まさか。それでこんなふうに学園長に頼られる事になろうとは思わなかったが、悪い気はしなかった。

 実行委員会を快く思わない人間は、一体どう言う考えなのか、どういうつもりなのだろうか、今の私には想像もつかなかった。

 後でスティに相談してみよう。

 今日は、この話が終わったら実行委員会の拠点でもある生徒会室へ行き、委員会の有志を集める為のポスターの作成をするのだ。


「私、絵心がないからクルエラ様とかなら得意そうだなあ……」


 早く行って、作成してくれているクルエラに生徒会で検討して厳選する事を書き足してもらわねばならないと、走ってはいけない廊下を早歩きで少し距離のある生徒会室へ急いだ。





「ただいま戻りましたー」

「おかえりなさい、学園長はなんて言っていたの?」


 帰ってきてすぐさま聞いてくるスティ、恐ろしい子である。

 まずは空いている椅子に腰を掛け、周りを一瞥して信頼おけるメンバーしかいない事を確認してからだらしなく机に突っ伏して深い溜息を吐くと、慌ててクルエラが狼狽した。


「ど、どうしたんですか? まさか、実行委員会やっぱりダメって言われました!?」

「違う違う……、〝有志を集める時に少しだけ人を選んで欲しい〟って事を言われただけです」

「……希望者全員は、ダメという事ですか?」


 突っ伏したまま、こくりと頷いて肯定する。

 間違った事は言っていない。

 反対者が居るとは彼女に言えない為、とりあえずポスターに書き加える事を伝えた。

 一つの問題が解決してほっとしていると、自分の側にコトンと食器が置かれる音がして顔を上げると、クリス様が紅茶を淹れてくれたようで、目の前で輝かしい笑顔をこちらに向けてくれている。めちゃくちゃ笑顔が眩しい。

 疲れが浄化されるようだ。


 ――イケメンの笑顔ってある意味、体に毒かもしれないな……。


 というか伯爵様が入れた紅茶ってレアじゃないかとカップを覗き込むと、具合のいい色合いになっている紅茶が入っている。

 湯気が、ゆらゆらと湧き上がりそれが視覚的に和んだ。

 この一週間で、すっかり生徒会室に慣れてしまったような気がする。


「クリス様が入れてくれた紅茶……」

「口に合うと良いんだけど」


 淹れたことがあるのか無いのか分からない回答に、私は一口含むと、アップルティーだった。ほんのり口の中に広がる蜂蜜の風味が疲れをほぐしてくれるような気がした。


「アップルティーなんて珍しいですね」

「先日貰ったんだ。林檎の輸出が盛んな国があってね」

「へぇ、私これ好きです」


 また一口と飲んでいると、嬉しそうにそれを眺めるクリス様の瞳がきらりと光ったような気がした。

 とても嬉しそうだ。

 スティも実行委員会の手伝いをしてくれるようだが、彼女は生徒会の手伝いは一切やらない。理由は、王妃教育を受ける為の準備があるからだ。

 彼女は思った以上に忙しいのだ。

 しかし、私が提案した実行委員会の事が気になるとかで、なんだかんだ手伝ってくれたり助言をくれたりする。それだけでも十分に女神過ぎて頭が上がらない。


「紅茶が心に染み渡りますね……」

「お疲れ様。シャル」


 クリス様からの貴重な労りの言葉と、再び体を机に預けたままの淑女あるまじき姿の私の頭をぽんぽんと撫でたあと、目の前の席に座って向かい合うようにして頬杖をついている。

 その姿が完全にイベントスチルのようで、カメラがあるなら今すぐ持ってきて欲しかった。

 改めて体を起こして、残った紅茶を飲むと本当に疲れているからなのか、甘さが私の疲れを完全に吹き飛ばしてくれた。まったくもって気の利く男である。

 一息ついて、少し疲れた雰囲気を醸し出しながらクルエラを見た。


「――クルエラ様、少し頼みがありまして……」

「はい? なんでしょうか」

「実は、私ったら教室にカバンを置きっぱなしにしていまして……。取ってきてもらえませんか? このとおり体が今使い物になりません……」

「だ、大丈夫ですか?」


 このカーディナル学園は、敷地も異常な程の広さゆえ、学園の校舎も城かなにかかと言いたい程の広さだ。

 私達の教室は生徒会から少し離れていて、学園は西棟が教室、東棟が生徒会室や教員室、特別教科の専用の教室などが配置されている為、行って戻って来るまで遅くても三十分前後はかかる。

 移動教室も一苦労なのだ。

 だるそうに顔に疲れを滲み出しながら頼むと、心配そうに「急いでいってきますね!」と了承してくれてそのまま出て行った。


 ――本当にごめんなさい! 今度何か美味しいものプレゼントします。


 出て行った扉を全員が見たあと、クリス様が扉を開けて廊下を確認した。

 クルエラが遠くなり、それ以外には誰もいない事をしっかり確認した後、扉を閉めて座っている私の正面の席に座り直した。

 その隣に先程まで黙っていたグランツも座り、私の隣に座っていたスティも本を読んでいたのかそれに栞をはさんで机に置く。


「それで、なんて?」

「……実行委員会の反対派が居るみたい。理由とかは分からないけど」


 万が一、廊下に人がいた時の為に声を潜めて喋る。私は用心深いのだ。

 すると、グランツとクリス様は「やっぱりか」と小さい声で呟いた。

 彼らはとっくに気づいていたというのか、あるいは過去にそういう事があったのだろうかと首を傾げる。

 すると、私が何故かと考えている事を読み取ったのか、クリス様が困り顔で話してくれた。


「スティが生徒会の手伝いをしていた頃に、一度嫌がらせをやってくれた事があってね、その時も随分手ひどい事になったんだ。生徒会に関係ないのに婚約者と言うだけで出入りを許すのか……ってね」

「婚約者という立場を利用していると、誤解している者が後を絶たなかった」


 だから生徒会室に出入りもしなくなっていたのかと納得した。

 確かに女の恨みは大きい。嫉妬が絡むと何が起きるか分からないからだ。

 そう考えると、ますます嫌な予感がしてくる。

 この生徒会室を、拠点にするのも危険かも知れない。

 額に手の甲を合わせて悩ましげにしていると、スティが私の肩をぽんと叩いた。


「大丈夫よ、今回は実行委員会でシャルとクルエラ様が立ち上げたもので、生徒会はほとんど関わりがないもの」

「でも、生徒会室を使うのは危険過ぎるような……」

「シャルに何か無いように、僕が守るよ――大丈夫」


 シュトアール兄妹にここまで強く言われてしまうと、そうなのかと思えてくる。

 心強い仲間が居て安堵し、紅茶を全て飲み干した。

 クリス様の心強い素敵なお言葉をいただいたが、ここで照れてしまうと変な空気になってしまう為、悟られないよう目を閉じて「ありがとうございます」と頭を下げた。

 髪で耳が赤いのは隠せていると思う。


「とりあえず、名簿を見せてもらって覚えてきたので共有します……」

「さっきの間に覚えたのか……」

「人名を覚えるのは得意なんです。……顔と一致させるのは自信ありませんけど」


 意外そうに言うグランツに得意げにすると、スティがくすくす笑いながら「シャルが言っているのは本当よ」と認めてくれた。

 お墨付きである。

 顔は覚えられないが。

 そして、覚えた反対派メンバーを言い上げると、またグランツとクリス様が頭を抱えて深い溜息を吐き捨てる。これはさすがに察した。

 つまりは、スティの時に反対した人達と重なるのだろう。

 ここまで来てやっと分かった。私達が生徒会の彼らと関わる事自体が気に入らないのだ。

 そして、グランツとクリス様の話を詳しく聞くと彼らの親衛隊だと言う事が分かった。


 ――クリス様の取り巻き達が私に反発しているのか……。


 あまり見てないけど、クリス様に取り巻きが付いている所を見たことがないのだが、グランツはスティと離れていた時はまとわりついていたが、最近和解を見てからは近付きもしないようで、遠目で見る程度に落ち着いているようだが、接触してしまって発火したのだろう。

 最近、クリス様との熱愛騒動で騒がれた所だから、そこに油を注いで拍車をかけていると予想した。


「やっぱり実行委員会は生徒会を関わらせない方が……」

「生徒会の負担を軽減する為にやるなら、結局同じだと思うよ」


 私の発した言葉を止めるようにクリス様がごもっともな言葉が返ってきた頃、クルエラが戻ってきた。

 しかも、中に入るなり扉の前でぽろぽろと涙を流していた。

 驚きのあまりに全員がぎょっとして思わず揃って立ち上がった。


「ど、どうしました?」


 さっきの話を聞かれてしまったのかと慌てるが、彼女がぎゅっと抱き締める鞄は私のだとスティとお揃いで飾りに付けていたリボンの色ですぐわかった。

 私はピンク、スティはグリーンだった。

 しかし、いつもと違うのが、それはボロボロになっている事だった。


「す……みま……せ……っ……っく……うぇ……」

「え!? クルエラ様……、それどうしたのですか? 落とした、とか?」


 ――いや、落としたにしてはダメージ大き過ぎるし……。


 側まで行き、改めて自分の鞄を見ると、無残にも刃物で切られた跡が多数あり、泣き続けるクルエラが大事そうに抱える腕の中から少々強引に抜き取った。

 本当に無残である。

 中身はどうなっているか確認する為に机の上にひっくり返すと、バサバサと出てきたのはペンケースと予習用のノートだが、それらは全部切り刻まれていた。無事な物が一つもない。

 綺麗に書いてて気に入っていたのにと少し苛立ちを覚えたが、表に出さないように深呼吸をする。


「とりに……いったら……っ……誰かが、でていく所で……ふええ」


 事情を話すごとに、思い出してつらくなったのか可愛い顔が不細工になるまでに汚い泣き顔になる。よほど悲しいようだ。

 泣きたいのはこっちだと思ったが、自分の為に泣いてくれる彼女が可愛く思えて男ならイチコロだななんて考えつつ、以前屋上で抱き締めた時の事を思い出して両手を広げると、とととっと小走りで抱きついてきた。


 ――何この可愛い生き物!


 私のそんなに無い残念な胸に、顔を押し付けてびしょびしょになる制服を見なかった事にして、その尻目にズタズタの自分の私物を一瞥する。


「予備はあるけど、とりあえずまたズタズタにされたら嫌だからお父様にお願いしてカバンの発注のお願いと……あー、言いたくないなあ。文房具は明日の放課後に買いに行くしかないかな……今日は門限あるし」

「寮長にお願いして、文房具を譲っていただけばいいわ」

「でもそれお気に入りだったし……」

「じゃあ買い物に付き合ってあげるわ」

「わたしもいきますう〜……シャルティエさまぁ〜……っ……」


 知らない人物の仕業にしても、何故か不思議と悲しくはなかった。

 この仕業はクリス親衛隊の仕業だろう。

 眼鏡を外して生活を始めたら、地味でブスだと思っていたのに全然違うじゃないかと思われたらこうなるだろう。想定済みだ。


「とりあえず、これをやった犯人が確定したら仕返しでもしようかな――なんちゃって」

「シャル……強くなったわね」


 労しいとでも言いたげに涙を浮かべるスティの頭を撫でてやりたかったが、むしろ私が頭を撫でられた。

 最近、私を妹扱いしているスティをどうやって同じ立場に戻すか悩む。

 未だにグズグズと泣くクルエラに捕まっていて、身動きがとれずしばらくこのままが続いた。


「クルエラ様泣きすぎです……」

「だぁって〜!」

「ふふふ、仲がいいわね」


 クルエラが泣き止む頃には下校時間になっていた。



2019/08/13 校正+加筆

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