第13話
「く、クリス様……! ちょうどいい所に」
また神出鬼没なクリス様が私の背後に立ち、今日はぴったりと胸板を私の背にくっつけている。背中が暖かいが今は夏だ、とても暑い。暑苦しい。
わざとその人肌から逃れるために、体を前屈みにして離れようとすると、また追うようにぴったりと体を傾けてくっついてくる。
――なんだ、このひっつき虫。
実は、先週のクルエラ騒動の一件で、公衆の面前でクリス様に抱き締められ、挙句には誤解を生む含みのある話をしたせいで私といい雰囲気の関係であると誤解した人達が、ひっきりなしに生徒からお付き合いしているのかとか、辺境伯夫人候補なのかとか、よくもそこまで好奇心旺盛に聞いてくれると思った。
そこは『何でこんなに地味な子が!?』と動揺する所でしょ!
……え? 違う?
そんな事より、ここは学び舎で教室にもかかわらず、なんでこんなに人目を気にしないのだろうかこの人は。
もしかして、ゲームでも実はこんな感じだったのだろうか……攻略した時もっと優しいお兄ちゃん系だった気がするんだが……、それでヒロインが妹のエストアールを可愛がるからちょっとやきもち妬いたりして結構キュンキュンなシナリオもあった気がするのだが……。
もっとこう、スマートでさり気なく、いい感じにアプローチしてくるものだと思っていた。
――むしろこれ、エストアールに逆にやきもち妬かれてもおかしくない案件では!?
さり気なくスティを見るが、気にしているどころか私とクリス様が密着しているのを見て幸せそうにしている。何故だ。
決して、クリス様がこんな豹変したからと言って、嫌いになったりとかしたりはしないが、ちょっとイメージと違うという気持ちは拭えなかった。
こうなったのもグランツの言う「私のせい」なのだろうけど、覚えのない事を突きつけられても困る。
さっきからくっついたまま離れないクリスを見上げると、いつ鍛えてるんだこの人はと言いたいくらいしっかりした胸板が後頭部に当たる。
人のぬくもりって落ち着くんだなぁ、なんてくだらない事を考えていたが、暑いし恥ずかしいから抗議をする事にした。
「クリス様、暑いんですが」
「夏だからね、それで何か用なのかな? 可愛いシャルの頼みならなんでも聞くよ」
もはや忠義のレベルじゃないかこれ。と言うか、さらりと可愛いとか言わないで欲しい恥ずかしくて死ねる。
クリス様って、女に篭絡されるとダメになるタイプですか?と疑うレベルだ。
――お付き合いすらしていないんですけどね。
にこりと頭上から笑みが降り注いでくるのを見上げて目を合わせると、首が痛くなって下ろした。
すると、どうしても顔を合わせたいのか横に回り込んで床に膝をついて話を聞く準備をしてくれた。
この王子様みたいに、膝をついて見上げられるのは素直にかっこいいと思う。
「実は、クルエラ様と話をしていて学園祭の実行委員会をやって生徒会のサポート出来たらと思うのですけど……、生徒会の負担が軽減されるといいんですがどう思いますか?」
「へぇ、それは嬉しいよ。最近の件(くだん)で、僕もあんまり生徒会に入っていなかったせいでやる事が溜まってて忙しかったんだ。シャルはよく気が利くね。グランツも喜ぶと思う」
ぽんぽんと、頭を撫でられて顔が熱くなる。
耳まで熱くなったような気がして両手で耳を隠すと、男の手が私の両手首を掴んでやすやすと離させられた。
こんな恥ずかしい所を見られて、どんな顔をすればいいのかわからない。
ささやかな抵抗で視線を逸らす。
前世でもこんな甘い経験した事がないから、今すぐスティに助けを求めたいのに、逸らした視線のままスティへ救いを求める眼差しで向けるが、まるで知らないと言った顔でクルエラと話をしている。
――嘘でしょ……!?
「スティ助けて……」
「土曜のジャスティン様の仕返しよ。それに、お兄様と上手くいっていいじゃない」
「そんな殺生なぁ……!」
土曜にジャスティンを派遣して、二人の事を邪魔した事を言っているのだ。
ここぞとばかりに、ベタベタしようとするクリス様の顔がすぐそこまで来ていて、教室中の生徒が黄色い悲鳴を上げている。絶対に口付けをする距離だこれ。
未だに、手首を掴まれたままの状態だが、全力で彼を押し返す。
しかし、それでもじわじわと顔が近づいてきているのだ。
それより、ここは教室なのだ、場所を考えて欲しい。
周りの悲鳴を聞いて欲しい。
そして私も悲鳴を上げたい!
「く、クリス様……、とりあえず屋上へ……」
「二人きりになりたいのかな? 恥ずかしがり屋さんなシャルも可愛いよ」
その「可愛いよ」の所を、耳元で吐息混じりに言われて背中に変な汗が伝った。
この光景を余裕ありげに無視をするスティとは違い、ちらちらと見るクルエラが一番気まずそうだ。
まだ、予鈴がなるまでに時間がある事を確認してから立ち上がり、その掴まれたまま引きずって、いつもの立ち入り禁止の屋上へ連れて行く。安定のドナドナエスコートだ。
素直についてきたクリス様も、流石に道中は手を離して隣に並んで歩いてくれたが、こうやってみると本当に背は高いし、顔もいいし、声もいい、頭も良かったはずだし、今は伯爵という爵位まで持っている。
すぐに、その爵位を継ぐには結構な努力や労力も必要だったと思う。
――中身は、今いい所がほとんど見当たらないけど……。
私は辺境伯を継ぐ事は出来ないから、時折うちを継ぐ人はどうするのだろうと考える。
婿養子とか迎えないといけないはずなのに、私万が一にもクリス様の所に嫁ぐとしたら伯爵夫人……? 一気に、実家の将来が不安になった。
そんな事を考えていると屋上へ到着し、クルエラと話した庭園の東屋の中にあるベンチへ腰を下ろすと、倣うように隣に彼も座った。
ふわりと、クリス様がつけている香水のいい香りがして何故かそれで心が落ち着いた。
「それで、何か僕に頼みたいのかな?」
「あ、いえ……。生徒会への負担が減るかどうかを聞きたかっただけなんです。だから、もう用件は終わっているといいますか……その……」
「――なるほど……。でも、なぜ実行委員会なんて考えたのか、教えてもらえるの?」
顔を覗き込むように体を傾けて見つめてくる瞳は、何かを問いかけてくるものというより、何かを期待しているような雰囲気を纏わせていた。
私に何か頼まれたいのだろうか。
スティにグランツへ取り次ぎを頼んでしまったから本当にお願いする事が思いつかない。
前世でも、こんなに熱い眼差しを受けた事はないと思う。その視線から逃げるように、顔ごと逸らした。
しかし、すぐに相手の反応が気になって横目でクリス様の顔を見ると、やはり悲しげな表情になる。
「シャル、まだ僕の事が嫌い?」
――え? まだ……?
「い、いえ! 違います! ただ……、恥ずかしくて……」
「本当にそれだけ?」
「え?」
逸らした顔を戻し、彼の真っ直ぐな瞳を見つめ返すと、何か悲しげというか寂しげな雰囲気にどうしてそんな顔をするのかと問いかけたかった。
しかし、それを今聞いていい物なのかわからず、唇を引き結んだ。
すると、私のストロベリーブロンドの髪をひと房だけ手に取り、撫でるように滑らせた。
さらりと、重力に従って落ちていつもの髪の状態へ戻るのを見送って、また視線はクリス様の顔へと戻る。
「クリス様。私……」
「――シャルは、小さい頃に僕と話をした事を覚えていないようだね」
考えていたより、私の頭の中のシャルティエと前世の記憶が消えている部分が結構あるようで、過去の自分が何をしたのか覚えていない。前世の記憶が蘇った時に記憶の一部どころか殆どがそれを代償に失ったのだろう。
幼少時代に、うちの領地でスティやグランツ、そしてクリス様のメンバーで遊んだりしていた事はうっすら覚えていたのだが、どう思い返しても楽しい思い出の中でクリス様がこんな顔をする程の物が思い出せないでいた。
そんな大事な部分が抜けるって、かなり最低な展開じゃないか。
誰だよ、こんなふうにした奴出て来い。
――異世界転生させたやつ誰なんだ。本当にこの状況を分かるように説明して欲しい。
思い出せるものなら、今すぐ思い出したい。
やはり、何かきっかけでもないと思い出せないだろうか。
記憶喪失だとそういうことあるのにと少し気分が沈んできた。
「……すみません、小さかったからなのかあまり覚えていないみたいです」
「そうか……」
「――所で、クリス様のその甘ったるい喋り方はもしかして私への気遣いでしょうか……?」
「どうしてそう思うの?」
「私、最近少しずつ過去の記憶が薄れてきてて……幼馴染で遊んだ記憶とかもあまり覚えていなくて。それで、グランツ様にクリス様の様子がおかしい気がすると話したら私のせいと言われたんです」
こういうのは本人に聞いてしまったほうが良いと、嫌われるの覚悟で思い切って打ち明けた。
多少嘘みたいな事を言っているが、前世の事を話して彼から気味悪がられたら私はこれから笑って生きていける自信がない。
多分、クルエラに土下座してジャスティンと友情エンドしてもう一周してくださいって言うかも知れない。
表情が暗くなった私を心配したのか、クリス様は私の顔を覗き込んで眉をハの字にした。
この表情はとてもスティに似ているから兄妹だなぁと嬉しくなる。
白に近い光輝く綺麗な銀髪に赤い瞳、そして美形の顔立ちは兄妹同じで年齢が一つ違いだけど二卵性双生児の双子と言われてもあまり誰も不思議に思わない程パッと見れば兄妹だと分かる。
あまり、ジッと見つめていたらまた何をされるか分からない為、先程私が打ち明けた事の返事を待った。
「……無理に、思い出す必要はないと思う」
「え?」
一瞬、表情が消えて私はその意図を問おうとすると、またすぐにいつもの笑顔に戻る。
「――百面相してるね。僕の顔に何かついてる?」
「と、とととんでもない! いつも通り綺麗なお顔してます! はい!」
「あはは、ありがとう。シャルみたいに可愛い子に言われたら照れちゃうね」
ヘラヘラと笑ってるだけで、本当に照れたような顔をしているようには見えないが、表情からはどこか嬉しそうで、ついそれにつられて笑ってしまう。
私の笑い顔がそんなに嬉しいのか、彼はそれを見て目を細めた。
そして、さも自然な流れで手を握られた。
大きな手は、私の手を容易く包み込み、ぎゅっと力を込められて、先程のようにじっと強い眼差しで私の顔を見る。
「クリス様……?」
「シャル、僕がもしシュトアール家の人間じゃないって言ったら、なんて答える?」
でた、この質問。
この台詞は、クルエラと相思相愛になる為の選択肢を迫られるシーンだ。
スチルそのまんまの状態だと思い出して胸がドキドキしてきた。
ゲームであれば、『……嘘ですよね?』と『出生なんて関係ない』と、そして『クリス様はシュトアール家の人間です』という三択となっていた。
ここで答えるのは、三番目の『クリス様はシュトアール家の人間です』だった。
クルエラが、詳しい事は分からないが、クリストファールートで唯一仲良くなるスティの事を知っているから、血の繋がった兄妹だという確信を持って回答すると、泣きながら喜んでクルエラを抱き締め両思いになる。
そして、シュトアール家の古株の使用人にそれを証言して晴れて心置きなくヒロインと恋愛が始まるのだが……。
――でも、私はヒロインじゃない。シャルティエとして答えなきゃ。
「クリス様が、もしシュトアール家じゃなかったとして、それで私がクリスへの対応が変わると思うのですか?」
「……そうならないと信じたい」
「じゃあ、もしクリス様が血の繋がりのない庶子だからと親近の方に難癖をつけられて追い出されてしまって平民になったら、その時は私の領地に来て入り婿してくださいね。辺境伯になれます。それにきっと父も母も喜ぶと思います」
私の答えに、少しクリス様は少し泣きそうな顔をしたが、すぐに笑顔を作って握っていた私の手の甲へキスをした。
私の言葉の返しで、少しでも気分が軽くなればと少しは思ったが、正直相手の気持ちがいまいち分からないからそれとなく茶化すように返した。
それをクリス様はどう捉えたのかは私にはわからない。でも、気分を悪くしてなければいいと微笑んだ。
先程、打ち明けた私の記憶について「思い出す必要はない」と言ってそれ以上触れてこない。
それどころか誤魔化されたのだから、もし相思相愛になったとしても私の心は晴れる事はなさそうだ。いつか知る時が来るのを待つしかない。
先程、はぐらかした事に対して私が不快に捉えた事を察したのか、更に思いがけない事を問われた。
「――シャル、幼い頃に僕と結婚の約束をしていたんだよ? 覚えてる?」
「へ!? お、覚えていません……そんな事が?」
突然知らされた昔話に目を瞠った。
「僕は、小さい頃君に〝大きくなったら結婚してください〟って頼んだんだ。すると、君は〝それはほんとうにわたし?〟と答えたんだよ」
クリス様から告げられる過去の話に、じんわりと思い出される感覚と、それを邪魔するかのようにかき消される感覚とのせめぎあいに心の奥底でもやもやとしてくる。
しかし、幼い頃に婚約するような話が出ていた事を知って驚き半分、過去の自分の返しの意味深さになぜだかわからないが悪寒が走る。
何を思ってそう答えたのか、今の私には理解する事が出来なかった。
「その質問に僕は〝キミ以外はありえない〟と答えると、すごく悲しそうな顔をしたんだよ。だから、その時……あぁ、嬉しくないんだと思ったんだ。プロポーズに受け入れてくれたんだけどね」
――じゃあ、どうしてそんなに悲しそうな顔をするの?
昔のクリス様の告白に対して、シャルティエに彼はどんな気持ちでその言葉を投げかけたのだろう。
過去の自分の記憶が戻ろうとすると、靄がかかって邪魔をされてしまう。
きっと思い出さなければならない、そんな気がした。
私は、クリス様の気持ちを受け入れて良い存在なのか余計に分からなくなった。
私が悩んでいると、お昼休憩の終りを告げる予鈴が鳴り響き、時間切れだと立ち上がる。
「そういえば、実行委員会はシャルも参加するんだよね?」
「はい、クルエラ様一人じゃ大変かと思うのでお手伝いしようと思っています」
「そっか、たまに顔を出すようにするよ」
「クリス様は、生徒会の仕事をしてください」
ウインクをして、なんか彼氏っぽい事を言ってくる目の前の人に少々冷たく返し素っ気なく踵を返して歩き出した。
教室に戻ってからも、過去の話でずっと悩んでいるうちに気づくと放課後になっていた。
スティには早速グランツへ話を通して貰う為に、生徒会室へと行ってもらっていて、教室で待っていると言ったが、二人で話もしたいらしく、渋々了承して先に学生寮へと戻った。
2019/08/11 校正+加筆
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