第6話
こんにちは、私はやり込みはしたけど思い入れは『推し』のみというクソ乙女ゲー「せかうる」に転生したオタクです! こっちは黒猫のジジ!
――って呑気な事言ってる場合じゃない! っていうかジジって誰!?
保健室へドナドナエスコートをされてしまった私は、クリス様に昨日と同じベッドに連れて行かれてしまい、座らせられたと思ったら今度は慣れた手つきでさっと赤のブレザーを脱がされたのだ。
流石の私の頭も危険信号が働き、逃げる為に立ち上がろうとすると、思い切り肩をグッと掴んで立ち上がれないように押し付けられ、椅子に貼り付けをくらって今に至る。
「く、クリス様…っ……? あ、あのあの、わわ私ちょっと用事を思い出したのでお暇(いとま)しようかなぁってぇ……っ! 」
「ん? シャルはそんな嘘を付くような子じゃ無かったよね? ――本当に悪い子だね」
「ひゃぁ!」
色気のある艶やかな声を耳元で囁くクリス様は、追い討ちをかけるようにふうっと息を吹き掛けると、私はぶるりと体が震えた。
これ以上は本当にまずい、アール指定がついてしまう――と言うよりそれ以上に淑女としての大事な物が無くなりそうだと危惧した。
いつになく積極的なクリス様が、この地味な眼鏡女にまで手を出す程、女に困っていないはずだと言い聞かせているうちにあっという間にシャツの袖を捲られた。
腕くらい見られる事自体は、別に恥ずかしくはないのだが、少なくともこれで第三者から誤解されでもしたら……私は色んな意味でしばらく学園には来れないだろう。
これが理由でいじめられたくはない。
保健室で伯爵と密会してみだらな行為をしているなんて噂になったら――治療を受けているだけなのだが――スティに合わせる顔も無くなるし、停学にでもなったら折角頑張って証拠探しをしているのにそれすら危うくなるだろう。
「あの、クリス様……! やっぱりわざわざベッドで座らなくても良いと思うのですが……!」
こんなに親密な距離感でベッドに居るのだから、貞操を失えば嫁入り前の令嬢は妻として迎える価値が減ると言われている。修道院行きかもしれない。
このあたりは前の世界の方がまだ気楽だった気がする。
「……痛そうだね。あまり、グラムと接触する事はしない方がいいよ。最近すごい機嫌が悪いからね」
「……え? 」
――なんで知って……。
ちなみにグラムとは、幼馴染の私達が幼い頃に呼び合っていた愛称だ。現在は立場がある為そういう風には呼び合えないが、そんな時代もあった。
グランツと会ったのを知っている事に私が驚いているとわかると、クリス様は貼り付けたような笑顔で私の腕へと視線を落とした。
それにつられて自分の腕を見ると、痛々しく青あざになっていた。
確かにこれは痛そうだ。いや、痛いのだが。
自分の体なのだから尚の事それがわかる。そして、これを直視しているクリス様は何を思っているのだろう。
彼にこんな酷い腕、女の子の腕じゃないなんて言われたら立ち直れないかもしれない。
白い肌で際立つ青い痣を眺めて、何故だか泣きそうになった。
「湿布と包帯を用意して来るから僕が――」
「クリストファー様! これくらいであれば自分でも出来るので、そろそろ予鈴も鳴ってしまいます。ほら、遅刻しないよう教室へ戻られた方が――」
「ほら、呼び方が戻っているよ。大丈夫、僕は授業を免除して貰っているから……ね」
じゃあ何故この学園に留まっているのか今すぐ教えて頂きたい。
飛び級して卒業でもしたらいいじゃないか、と言ったらきっと笑ってはぐらかされて終いだろう。敢えてきゅっと口を引き結んだ。
それを見て観念したと判断したのか、さっさと処置する道具を取りに行きすぐに戻ってくる。
私の患部がある腕を片手で持ち上げ、綺麗な指の割にしっかりした男性的な骨ばった手が私の腕を捉える。
もう片方の手では、優しく巧みな手つきで処置を施してくれる。
「器用ですね……」
「これくらいはね」
他愛もない会話をしていたが、目の前で膝をついて居たクリス様が上目遣いでこちらを見上げてきた。
目が合い、情熱のような物がこもった瞳に見つめられ、咄嗟に恥ずかしくて顔を逸らしてしまったが、それでもまだ視線を感じる。絶対今私の顔赤いはずだ。
私の反応に対して不快を示すわけでもなく、くすっと笑った後に包帯を綺麗に最後まで巻いて包帯止めでしっかり止める。
終わりと告げるようにその処置をした方の手を取って、綺麗な唇が甲に口付けをした。
――めっちゃ王子様過ぎて気絶しそう。……伯爵だけど。
彼は相当シャルティエに溺れている。どういうわけか。
グランツルートでシャルティエと結婚する程だ。
そしてあの熱に浮かされたような眼差し、精神年齢の高い私が一番良く分かっている。
伊達に前世で大人をしていなかったはずだ。
未だに掴まれたままの手を少し力を込めて引こうとすると、更にしっかり掴まれてしまい、自分へと向ける眼差しが一層熱くなった気がする。
煽ってしまったのだろうと自覚した。この視線に負けて流されてはいけない。
「クリス様、離してください」
「嫌……と言ったら?」
「……恥を忍んで叫ぶまでです」
間違いを犯さないように手を離す事を促すが、こちらに夢中な彼をどうやって離れさせるか悩んだ。
私は彼のこの好意を素直に受け取るべきなのか悩んでいた。
スティの濡れ衣を晴らし、グランツと結ばれる結果に導けた後は、もしかするとクルエラが次に狙う異性の相手は彼かもしれない。
ゲームでも二番手の人物だ。
私が本気でクリス様を好きになった後に、ヒロインのクルエラに気持ちが移ってしまったら頭がおかしくなるかもしれない。
モブの私は彼に名前を、愛称を呼んで貰えるだけで満足しなくてはならない。この上ない贅沢じゃないか。だから、全てが終わるまでは安心できない。
「私は……、今はクリス様の気持ちに応えられません」
クルエラの事は好意的に思えない、私としては心の奥底から気移りなんて止めて欲しいと切実に願う。
もし、クルエラがクリス様を選ばなかったら、私はゲーム通り結婚出来るのだろうか?
彼は望んで私と結婚してくれるだろうか?
私がクリストファールートに入る可能性は望んでいいのだろうか……と思ったが、彼女がスティと友好にしていないから彼のルートに入るのも難しそうだが。
――あぁ、今の私めちゃくちゃだ。
クルエラの「こんなに幸せを祝ってくれているのにクリストファー様は、シャルティエ様の顔を見ずにどこか悲しげに見えた」と言うのが、どうしても引っかかってどんなに都合の良いように捉えても気分は晴れる事はない。
あれこれ悩んでいると、クリス様は私の言葉に何か言うわけでもなく、ようやく手を離してくれた。
しかし、手当をして貰ったのだからお礼を言わねばと、ここぞとばかりに空気を壊す事にした。
「クリス様すごいです。全然痛く無くなりました」
「そうかな? 伯爵辞めて医者にでもなろうかな」
「あはは、それも面白い人生かもしれませんね」
うまく話を誤魔化せたと安堵していると、クリス様はさり気なくまた手を握ろうとする為、さっと後ろで手を組んだ。
すると乾いた笑いが起きて降参だと両手を挙げた。
「手強いってもんじゃないね――本当に」
「クリス様は、とりあえずスティの幸せだけ願っていてください」
「あ、シャル――」
何か言いかけているようだったが、「失礼します」と強引にそれだけ告げて脱がされたブレザーを回収してそそくさと逃げるように保健室を退散した。
歩きながら、ちらりと振り返ると、流石に追いかけては来なかった。
ここで追い掛けて来たら、私はきっと脳みそが沸騰するだろう。
格好良く去ったのに台無しにするなと叫んだかも知れない。
2018/08/09 校正+加筆
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