第35話 不穏な風に吹かれて


 シャンデリアの下で弦楽四重奏付きの豪華なディナーを堪能した俺は、出口近くに佇んでいる男女二人組に近づくと、小声で話しかけた。


「そっちの首尾はどうだい」


「まあまあってところね。逃走経路さえ確実に抑えられれば楽勝よ」


 淑女の装いで身を固めたジニィが、得意満面と言った風に応じた。


「あとは旦那たちがうまく合流してくれれば、帰りは陸路でも水の上でも構わない」


 シェリフが横顔に勝ち誇った笑みを浮かべていった。肝心の射撃の腕を披露できなくても不服ではないらしい。意外と盗賊稼業が肌にあったという事か。


二人と別れた俺たちは、ラウンジの演奏会が始まるまで夜風に吹かれようと甲板に足を運んだ。


「見て、ゴルディ。あれブルたちじゃない?」


 クレアに囁かれて視線を前方に向けると、甲板にへたり込んでいる巨漢が見えた。


「あいつ、酒に弱いだけじゃなく船にも弱かったのか」


 俺たちが駆け寄ると、ノランが孝行息子のふりをしつつブルに「しっかりしろよ」と檄を飛ばしていた。やれやれ、こんなざまで金庫破りができるのだろうか。


「おい、どうした農園主。もうすぐ仕事だぜ」


 俺が頭上からどやしつけるとブルはうっすらと目を開け「ちょっと涼んでただけだ」と虚勢を張った。


「うちの『親父』ときたら、グラス半分のワインでこのざまなんだ」


 ノランがブルの腕を引っぱって立たせようとした、その時だった。


「おや、昼間のチャンピオン殿じゃないか。その様子だと船は初めてかな?」


 声のした方を見ると、立派な体格の中年男性が冷やかすようにこちらを見ていた。


「モーガン大佐……」


 俺が思わず名前を口にすると「おや、私をご存じとは。これは光栄です」と上機嫌な反応が返ってきた。


「言っておくが、昼間のアームレスリングであんたにのされたのは、船酔いのせいじゃない。確かに全力で倒そうとしたはずだが、あんたの腕は根が生えたようにびくともしなかった。……ひょっとすると機械仕掛けかなんかじゃないのか」


 ブルは身体を起こすと、頭一つ以上も背の低い軍人に毒づいてみせた。


「ほう、そんな風に思うのかね。……ではいかさまなどないことを証明して見せよう」


 モーガン大佐はそう言うと、右の袖をまくり上げた。筋肉が盛り上がった見事な上腕に、俺たちは一様に溜息を漏らした。


「……見事な腕だな。疑ったりしてすまなかった。俺の完敗だよ。やれやれ、田舎で王様を気取っていればよかった」


「ふふん、その体格なら我々の軍を訪ねてくれればすぐにでも徴用しますぞ。ではまた」


 そう言うと、不敵な軍人はきびきびとした動きで立ち去っていった。


「おかしな遊びに首をつっ込むから痛い目に遭うんだ。早いとこ仕事にかかってくれ」


 俺が苦言を呈するとブルはちっと短い舌打ちをくれた後「わかってるって」と言った。


 俺たちはブルとノランをその場に残すと、人気の少ない後部甲板に足を向けた。すると静かに食後のひとときを楽しんでいる乗客に交じって、見覚えのある顔が立っているのが見えた。


「あれは昼間会ったオーギュストとかいう学者だな。何をしているんだろう」


 オーギュストは手すりから身を乗り出すようにして、なにやらライトのような物を水面に向けているようだった。


「こんばんは、オーギュストさん」


「やあ、これは昼間の不動産屋さん」


 俺が声をかけると、オーギュストはこちらを向いて苦笑した。


「いったい何をしておられたんです?」


「いやあ、水中の生き物にメッセージを送っていたんですが、反応が今一つでして」


「メッセージを?」


「はい。このあたりには鴎だけじゃなく、もっとさまざまな生物がいましてね。我々の想像を超えるような大きなものも潜んでいたりするのです」


「へえ、そんな怪物がね……もし話ができたらパーティーの余興に呼んで下さいよ」


「わかりました。言っておきますよ」


 冗談に真剣そのものの表情で応じるオーギュストを見て、俺はやはり上流階級というのは変わった人間が多いのだな、と思った。


「それでは私はこのへんで」


 オーギュストがそういって身を翻しかけた、その時だった。


「おいおい、クルーズの最中まで研究かい。たまには控えたらどうだい」


 いきなり声がかけられ、スコットが姿を現した。


「研究とは大げさだな。これは習慣みたいなものさ」


 オーギュストはスコットの揶揄に軽い口調で応じた。どうやら二人は友人らしい。


「そんな調子じゃ妹の将来が心配だな。こっちは親父の計画をぶち壊してまでお前さんたちに肩入れしようというのに」


「なに、心配召さるな兄上。物事、いずれはなるようになるというものだ。君もたまには鯨や亀のようにのんびり構えてみてはどうかね」


「あいにくとこちらは亀のように悠長に生きちゃあいられない身の上でね。……とにかく演奏会には顔を出せよ」


 オーギュストの受け答えに呆れたのか、スコットは肩を竦めるとその場を立ち去った。


「ねえゴルディ、ヴァネッサの恋人って言うのはもしかして……」


「ああ十分、ありうるな。だが当分、俺たちの興味は別のことに向けなきゃならない。……行こう、もうじき怪盗ゴルディのショーが始まるぜ」


 俺たちはオーギュストたちに背を向けると、人の集まり始めたラウンジへと移動した。


             〈第三十六回に続く〉

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