第36話 盗賊は闇にたたずむ


「どうもありがとうございます。本日のスペシャルゲスト、エイミー・ネルソンさんの素晴らしい歌唱でした。皆様、もう一度盛大な拍手を!」


 ラウンジに乗客の拍手がひとしきり鳴り響き、声量のありそうな女性歌手がうやうやしくお辞儀をしてステージの袖へと消えていった。


「お集まりのみなさま、実はこの場をお借りしてサプライズなご報告があります。かねてより親交を温められていた、アシュレイ家のご長男、グレッグ氏とカーライル家の長女、ヴァネッサ様の婚約を発表したいと思います」


 司会の言葉にフロア全体が一斉にわっと沸き返った、その時だった。


「待ってください」


 突然、強い意志を感じさせる声が響いたかと思うと一人の男性がつかつかと前に進み出た。手に不思議な形の楽器を携えて芝居がかったお辞儀をしたのは、スコットだった。


「ここで身内としてどうしても質して置かねばならないことがあります。たしかにヴァネッサにとグレッグは良い友人同士です。……ですが二人には現在それぞれ、心に決めた思い人がいるのです。つまり、婚約などもってのほかということです」


 スコットの言葉に祝福ムードに包まれかけたフロアの空気が一変し、戸惑いを含んだ微妙なものになった。


「スコットさま、いきなりそのようなことをおっしゃられましても、私どもでは取り繕いようがございません」


 司会者が泣き出さんばかりの調子で不平を口にすると、スコットはにやりと笑って「これは申し訳ない。宴に水を刺してしまったお詫びに、もう一つの余興を少し長めにご披露させていただきましょう」と言った。


 スコットは手にした楽器を顔の前に掲げると、フロアの一点に視線を向けた。目線の先にいたのは、足元に大きなケースを置いたグレッグだった。


「ではまずこちらの『妖精の葦笛』からご披露いたしましょう。ドヴォルザークの『新世界より』です」


 スコットが葦笛に口をつけると、交響曲の一部が独自の哀愁を帯びた音色でフロアの空気を震わせた。


 葦笛の演奏が一区切りつくと、今度はグレッグが足元のケースから取りだした箱型の楽器を奏で始めた。こちらは異国の民謡風でやはり心を揺さぶる音色だった。


 二つの楽器がそれぞれの曲を見事に奏で、スコットとグレッグが深くお辞儀をするとラウンジ中が割れんばかりの拍手で沸き返った。心を洗うような旋律に身を委ねた後、ふと俺は事前に仕入れた情報を思いだした。


 二つの楽器を同時に演奏すると恐ろしいことが起きるというが、本当なのだろうか。


 そんなことを考えていると突然、目の前が闇に覆われて乗客の悲鳴がこだました。


「みなさん落ちついて下さい、ただの停電です。すぐ復旧しますので動かないで下さい」


 司会者の動揺した声が響き、移動しようとしてぶつかり合う客たちの声があちこちでし始めた、その時だった。再びフロアが光で満たされ、俺は両目を瞬いた。


「消えた……『女神の手風琴』が消えた!」


 グレッグの叫ぶ声が響くと、フロア中の視線が一点に集中した。室内が闇に閉ざされていたのはほんの数十秒にすぎない。それなのに一抱えもある楽器がグレッグの手元から綺麗に消え失せていたのだった。


「やりやがったな……素人盗賊め」


 俺はやはり楽器が消えたと訴えているスコットの方にも目をやった。こちらはどこにでも隠せる大きさだがその分、大事な家宝を盗賊に奪われたという芝居が迫真に迫っていた。

 

 ――盗賊ゴルディもなかなかやるじゃないか。いい余興だったぜ。


 俺が『共犯者』たちにエールを送ってその場を立ち去ろうとした、その時だった。


 突然、アラートが鳴り響いたかと思うと、スピーカーから乗務員の切迫した声が流れ出した。


「乗客のみなさまに緊急連絡です。ただ今、正体不明の人物が数名、小型ボートから当客船に侵入。みだりに動きまわらずに乗務員の支持に従ってください」


 侵入者だと?予想外の展開に俺は踏み出しかけた足を止め、クレアと顔を見合わせた。


             〈第三十七回に続く〉

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