The 13th Year

「ねえあなた、ちょっといい?」

 研究室のデスク越しに、妻が語りかける。

「悪い、今ちょっとコードを組んでる途中なんだ。後にしてくれ」

 私はディスプレイから目を離さずに答える。

「もうこのやり取り五回目よ。少しは休んだら?」

 私は返事せずに作業を続けてると、妻のため息が聞こえてきた。

「こういう人だとはわかっているけど、やっぱりあなたって仕事人間ね」

 妻がコーヒーメーカーを操作する音が聞こえたので、ふと一服したくなった。

 机から立ち上がり、部屋の片隅へ歩み寄る。

「あら、仕事はいいの?」

「ああ、俺にもコーヒーをくれ」

 妻は何も言わずに紙コップにコーヒーをれる。

「たまには自分で淹れたら?」

「君の淹れたコーヒーが一番美味しいんだ」

 コーヒーをすすりながら言うと、妻がかすかに笑った。

「何かおかしいことを言ったか?」

「あなた、プロポーズの時も、同じようなこと言ったわね」

 

 君の淹れたコーヒーを毎日飲みたいな。

 同じ研究室の同僚だった妻に、思わずらした言葉だった。

 別にプロポーズのつもりはなかったのだが、妻の方でそう受け取った。

 その気持ちに嘘はなかったし、そういう流れになってむしろ良かったとさえ思った。

 彼女の手から渡してもらうコーヒーを飲むのが、私は好きだったのだ。

 

「それで、話って何だ?」

 紙コップの中身を半分ほど飲み終えてから、妻に訊いた。

「例の件……早急さっきゅうに進めたほうがいいのかも知れないわ」

 下を向いたまま、妻が呟くように言う。

「……状況はかなり悪いのか?」

秘密裏ひみつりに資産の運び込みが始まってるようなの。政府は最後まで外交努力を続けるみたいだけど、最悪のケースも想定しておいた方がいいみたい」

「……そうか」

 今度は局地戦では済まないだろう。場合によっては、核が使われる可能性も否定できない。

「お隣さんの仕事の関係で、スイスの方の地下シェルターを優先的に紹介してもらえる……だったっけ?」

「うん。あの子達ももうすぐ子どもが生まれるし、大変な時だとは思うけど」

「新婚から一年も経たないというのにな」

 そうなると……、ノイド1号は置いて行くしかないだろう。

 基本、地下シェルターに、ペットやロボットは持ち込めない。

 あの子達は……悲しむだろうな。

 

 夕焼けの光が、研究室内に差し込んでくる。

 窓外の山並みが、朱色しゅいろに照っているのが見えた。

「ねえ、あなた」

 妻が囁くように、私に語りかける。

「こんなにも世界は美しいのに……、なぜ人は争いあうのかしら」

 こんなにも世界は美しいのに。

「わからない」

 私はそう答えることしか出来なかった。


 半分残っていたコーヒーは、もう冷めてしまっていた。

 

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