第90話 女神
翌朝も日の出より前に目覚める。
昨日は夜更ししてしまったが、ちゃんと起きられたようだ。
うむ、若い若い。
シェロブにあっと言う間に磨き上げられ、朝の支度を終える。リビングに向かうと、スターシャとポーシャが食事の支度を終わらせていた。2人はソファで仮眠を取っている、神殿へのお出かけに備えているようだ。
『よく眠れたかね』
朝の挨拶を終えたお爺ちゃん、どこかご機嫌に見える。
『この歳になっても、
興奮して眠れぬなどと思わんかった』
うんうんと頷くシェロブに、ニヤリと相好を崩すお爺ちゃん。
女神様か、そんなにか。一般には知らされていないが、一部の貴人たちには大イベントのようだ。この調子では、イカレ王も押しかけて来そうだな。椿にとっては、帰れるか帰れないかの瀬戸際なのだ、お祭りにしてもらいたくないものだ。
『さて、本日の予定だが……』
まずは神殿に向かう。まあ、予想通りである。
すでに神殿は女神を迎える準備も万端だそうだ。何故なら、お爺ちゃんやイオキシー大司教にも天啓があったからだそうな。それも、アレフ翁よりずっと具体的な内容で。地上の事は、地上のヒトじゃないと、女神では手が出せないからな。ポンコツ女神も、事務的な事は手が回るらしい。
『本当はツバキを女神の元へ直接召し上げたかったそうだ。
が、できない事情があるそうでな、直接お話くださる』
『事情?』
顕現するのに冬至の日が一番良いのだっけ。だから、急いでロムトス神殿に向かうことになったはずだ。わざわざ女神様が地上くんだりまで、面倒だろうに。
『女神の影響が少なくなるんでしょう。
力が弱まってたりすんじゃないの?』
『逆に、余波が少ないとも言える』
はあ、なるほど。女神ともなれば、地上に顕われるだけで影響があるのか。せっかく塞いだ霊穴に影響があっては敵わんらしい。ってまるで、
『この
『そういう事だの』
どんな事情か知らないが、そこまで考慮が必要なのに下りてくるのか。
そう言えば、アレフ翁の天啓はたった一言だったらしいが、イリヤお爺ちゃんとは会話レベルの取り交わしがあったようだ。何が違うのだろうか、お爺ちゃんに尋ねると、詳しいことは分からないが、だいたい次のような予想がされているようだ。
女神との相性は、緑の魔力持ちが最も良いらしい。その中から、身分や魔力の多さ、信仰心など、数多の大人の事情で決めているそうな。なるほど、元王だったり、女神教のトップだったりするお爺ちゃんたちはピッタリだ。つまる所、イオキシーお爺ちゃんも緑の魔力持ちなのかもしれない。
食事を終えた頃、ソファーの2人が目を覚ます。
今日は休日なため、時報の鐘もないそうだ。だけど、そろそろ2の鐘が鳴る頃合いとなる。皆で神殿へ向かう。今日は、敢えて歩いて向かうことにした。1時間ほど掛かるが、それで丁度良く日が昇りきった頃に着くだろう。
人っ子一人居ない街を歩く。
人々の眠りを妨げないよう、心持ち静かに歩く。のは椿だけだ。3馬鹿など興奮を隠しきれない表情だ。お爺ちゃんも足取り軽く、スキップを始めそうな勢いだ。誰も言葉を発しないのは、抑えが効かなくなるからだろう。
もう後半は小走りだった。1時間を遥かに下回る速さで神殿に着く。
いつもと違い、白の衣装を纏う儀仗兵が見張りに立つ神殿の入り口を潜った。入り口に扉を設けない神殿も、この日は暖簾のように布を巡らして目隠しがしてある。これらの処置は、女神や椿のためではない。いつも通り、星祭の装いだそうな。
神殿の中には、もの凄い数のヒトが居た。イカレ王を始めとする貴族連中だ。身分に
まあ、シェロブか。
イオキシー大司教を迎えに衛星都市フーリィパチを訪れた際に、ニジニ経由で神都へ戻ったらしい。椿が寝ている間に、余分に働かされたのだな、可哀想に。
椿が中央へ至ると、すぐにそれが起こった。
『おぉ……!』
椿のものではない白い魔力が女神像から溢れる。どよめきに呼応するかのように、像は土台ごと形を変え、ひとりの女性を形作っていった。見紛うことなき温泉おっぱい枕の女性だ。やはり、あの女性が女神であったようだ。
女神は半裸で顕れた。
元々、石像がまとっていた薄布一枚である。
集まった貴族連中の目当てはコレか? わざと像の着衣を少なくしたのではなかろうな。2度目の召喚でストリーキングを強制された椿も他人事ではない、腹が立ってきた。
椿が糞どもを追い出そうとするよりはやく、女神が片手をあげた。
椿が魔力を纏って着ぐるみにするように、女神が自身を中心とする部屋を作り出した。シェロブと3馬鹿がすぐに、女神に服を着せる。いつの間に用意していたんだ……
部屋に残っているのは、イリヤお爺ちゃん、イオキシー大司教、アレフ翁に、イカレ王夫妻と、3馬鹿にカザンくらいだ。
『やれ、魔力の低い連中は追い出されたようだの』
アレフ翁が言う。
『今頃、外で落胆しておるだろうよ』
『静かになって丁度よいわ』
さっきまであんなに興奮していたくせに、打って変わって静かに女神の言葉を待つお爺ちゃんたち。これがON/OFFの使い分け、立派なオトナの装いだ。
女神は、一度周りを見渡すと、まっすぐにこちらに向かってきた。
『椿、ようやく言葉を交わせます。
よくぞ使命を果たしました』
はい、良いように使われましたよ。
『仕方がないのです。
貴女には魔法が効かないのですから』
うん? どういう意味だろう。
『召喚の折、我々は使命を帯びる者に加護を与えます。
貴女も例外ではありません』
貰った記憶はないが…… マーリンの鑑定にも無かったじゃん。まあ、マーリンが本当のことを言ったかは分からないけど。
『始めは貴女が拒否したと思いましたが……
貴女の魔力に阻まれて、単純に届かなかったようです』
ふん?
『私より、貴女の方が
魔力的に格上だったのでしょう』
はあ? 椿が女神より格上?
『さもありなん』
カザンが頷く。あんなデタラメは存在しない方が良いからなとも付け加える。
『妹は大喜びでしたけれども。
我々ができないことを成すのに、
これほど相応しい聖女は居ないと』
そう言えば、女神像がひとつ残っている。まだ見ぬ妹は何処だ。
『其処に居ます。
今の貴女の体は、我が妹レーリアのものです』
?
マジか、椿の体は女神のもの? 大分なこと傷だらけにしたぞ? ストリーキングまでやった。不敬過ぎない? 大丈夫? 天罰を落としたりしないよね?
『得難い才能を持つ貴女が、
3分も経たずに殺された。
どれだけ慌てた事か……』
あー…… それは心配をお掛けしました。でも、完全に椿のせいではないからな!
『帰還する貴女の魂を、
我々はレーリアの体に留め置いたのです』
知ってか知らずか、シェロブが無駄に懐いてきた原因はそれだったか。
きっと女神臭がしたんだろう。
『ひょっとして気付いていないのは私、
本人だけだった?』
気まずそうに目を逸らす面々、カザンが代表して答えてくれる。
『まあ、女神像そっくりだからな。
黒髪なのは意表を突かれたが。
あと、性格がアレ過ぎるしな。
すぐに別人だと思ったよ』
えぇ……、何度か鏡を見る機会があったが、椿はそれを自身にしか認識できなかったけど…… 姉があんなゴージャスな美人なのだ、妹がそんなに地味なわけない。つか、性格がアレとか言うな。この世界の住人の大半だってアレだろうに。
なら、他人には女神の姿に見えるのかな? 認識阻害とか、ファンタジーだし。
これだけ東洋人顔の椿なのだ、とても姉妹には見えない。
『半分正解ですね。
その姿は、貴女の魂に少しは引っ張られていますから』
改めて女神像を見てみる。うむ、よく分からん。そもそも、女神像はみな顔を伏せ、目を瞑る意匠なのだ。何処かに視線を飛ばしているようなものを見たことがない。椿との共通点を見いだせるとすれば、背中まで垂れるストレートの髪くらいだ。
『さあ、貴女が帰るには準備が必要です。
まずは、その体を返してもらいます』
笑顔で椿の手を取る女神、そこでやっと気付いた。随分と背の高い
『と言っても、貴女には魔法が効きません』
効かないのは多分、椿の白い魔力のせいだろう。
『ええ、貴女が生きている限り
その魔力は巡りますから』
ええ~、やっぱり自殺しろと?
『違います。
妹は返して貰わないと』
ああ、そうだった。自殺すれば、妹神様も巻き込んでしまうのか。早まらなくてよかったよ……
『さあ、すでに依代は準備されています。
その像の手を取って……』
写し身だという女神像の手を取る。胸元で祈るように組まれた両手の上に、椿は自身の手を重ねて置いた。すると、何かが抜け出ていく感覚がする。魔力だろうか? 魔法が効かない根本である、魔力を抜いているのかな。だが、椿の魔力は無限に溢れてくるぞ。だが、女神像も同様に、再現なく魔力を吸い取っていく。
『貴女に魔法が効くのは、その身に纏う魔力が薄いときです。
死にかけた時や、寝ている時は干渉できたのですよ』
ああ、覚えがある。あの温泉が干渉の結果なのだろう。結局、妹の体を殺されないように、椿が意識を失うごとに介入していたのかもしれない。そう言えば、夢で説教された覚えがあるな。内容は覚えていないが。そもそも、言葉が分からなかったのだ。
『あれ、女神様はロムトス語を話せるんだ』
『半年掛けて覚えました』
いや、それはご苦労をお掛けしました……
『普段は魔法で、直接意識を飛ばしていたのです。
我々が使うのは、この世界の古い言葉ですから。
ニジニ語が最も近いでしょうか』
ため息をつく姉神様、通訳を使うのは椿に失礼だと考えてくれたそうだ。いやいや、シェロブにでも魔法で話しかけて、椿に伝えればいいじゃん。あるものは使わないと、だからポンコツなんだよ。
そろそろですよ、の女神の言葉通り、目の前の石像に変化が現れてきた。
何か色が付いて、質感が出てきた。そう、石像が女神に変わっていったのだ。先程、姉神様が顕れたときと同様に、白い輻射を伴って女神に変化していった。
『お嬢様が2人に……』
『お嬢様より気品があります』
『お嬢様の残念さが際立ちますー』
目の前に現れた女神は、椿に似ている気がするが違う。別のちゃんとした美人が現れた! これにそっくりとか、嫌味か! 背丈はおんなじだけど!
椿より垂れ気味の眼尻に、笑みを湛えている。
『ああーっ!!
やっと口が利ける!!
解放されたーーーーーー!!!』
突然、叫びだした妹神様、何なんだ一体!
『なんとも、ツバキそっくりじゃないか……』
失礼なことを言うカザンが、首をグリンと回転して卒倒する。女神のパンチが炸裂したのだ。腰の入った完璧なストレートだった、やるな女神……
『失礼な!』
『ここまでガサツじゃない!』
反論する声は椿と同時だった。
『アンタが簡単に殺されるから
こんなに苦労したんじゃない』
『事情も話さずに異世界に
放り込まれたら、ああなるわ!』
思わず食って掛かってしまったが、大丈夫だったか? まあ、姉は微笑ましそうに、こちらを眺めるだけだし。大丈夫そうだ。
『まあ、体は新しくできたし、
そのボロいのはアンタに下げるわ』
どうやら、魔法で分離ができない事を逆手に取ったらしい。椿が自分で、外に吐き出せば良いわけだ。女神像を触媒に、椿が自身で体から女神成分を吐き出した事になるのだろう。
『さあ、アンタはもう用無しよ』
え? 足元に現れる見覚えのある魔法陣、送還のもののはずだ。待て、魔法は効かないんじゃなかったのか?
『アンタに魔法は効かないけど、
アンタの魔力で魔法は行使できるのよ。
体験済みでしょ?
たった今、たっぷり注いでくれたじゃない。
あんたが自身を送還するだけよ』
いやいや、待って待って。まだ、皆とちゃんとお別れしてないよ。
シェロブ、お世話になったね、ありがとう! お爺ちゃん、たくさん気を付けてくれてありがとう! スターシャに、ポーシャ、カザン…… は、どうでもいいか。 ああ、カミラに会ってないじゃん!
思いは口から出ることなく。
視界は白へと埋まっていく。
立ち眩みのような感覚の後、椿は暗い場所に立っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます