第3話: アサヒスーパードライ

恋愛相談をする相手はよく見極めて欲しいのに。愚痴はため息に溶けて、相手の鼓膜を揺らすほどの力は持っていない。届いて欲しいとも思っていないのだから、そうなるのは当然だ。私の顔は笑みをずっと浮かべて、真紀の渋い顔に向き合っている。気持ちはこの前の台風で見た景色と同じくらいに荒れているけれど、それが誰かに気取られるような場所までは上がってこない。胸と胃を烈火のごとく焦がし、次々と痛みを送り込まれても、私の唇は一番印象の良い角度に留まり続ける。今すぐにのたうちまわって這いずり回って、真紀の細い手を掴んで走り出したい衝動を腹の底で膨らませながら、肘をテーブルにつけて、真紀へ相槌を打ち続けている。


真紀はモテる。学生の頃から隣で見てきたけれど、本当にモテる。夏がよく似合う容姿で人目を引いて、持ち前の明るさで輪を作り、努力家の部分で好感度を上げ、分け隔てのない優しさで撃ち落とす。意図しているのかしていないのか、時折抜けていて笑いを誘い、誰かの苦しみを知れば持てる全てで立ち向かう。それが真紀だ。書けば書くほど出来すぎた人間だ。真紀が所属するコミュニティで、真紀の名を知らないものはない。非の打ち所がない。真紀の為にある言葉だと思う。

真紀には友人が多い。たくさんのグループを持っていて、そのグループにも均等に加重を与えている。これは特別だというグループというものを持たず、名前の呼ばれる部分は全て特別なのだと言う。休日の予定は二ヶ月待ちなんて聞いたことがある。真紀自身はいつ休んでいるのだろう。

そういう私も真紀にやられたクチだった。とりわけひどく。幼馴染とも言い切れないが、小学校に入学したあたりくらいから、真紀の友達の一人に数えられていた。登下校を共にし、同じクラスになればペアになることが多かった。それは、私があまりにも鈍臭く、真紀が手を述べてくれる形が多かったと言う意味である。

真紀と私は正反対だ。明るくもなければ、鏡なんてみたくないほどの容姿。暗さで人目を逆に引き、サボり癖で反感を書い続ける。面倒なことからはいの一番に逃げ出すせいで、誰も私の名前は覚えない。そういう残念な人間だ。

真紀はそんな私を見捨てずに、何かとつけて側にいた。大学に入り道を違えてからも、「久々にご飯行こうよ」だとか「相談があるんだけど聞いてくれない」だとか。言い訳を立てて。すぐ近くで発される真紀の仕草は、いちいち心を揺らしてかかる。真紀のことが好きで好きで仕方なくなっている自分が出来上がるまで、時間はかからなかったと思う。


「羽柴ー、ねえ聞いてよー」

ファストフード店の隅の席で、真紀は愚痴をこぼす。大げさにため息をついて、冷めきったポテトをつまんで食べる。私はとにかく、笑みを保つ。

真紀はモテる。同性であるところの私がこうも好意を寄せているのだから、異性から見た場合の魅力は、きっと言葉にわざわざする意味がないくらい自明に。真紀は優しいから、付き合ってという言葉にいいえが言えない。勝手に呼び出されて、真紀は自分の時間をあけてまでその知らせに乗って、独占欲をぶつけられるのだ。告白なんて綺麗な言葉で、優しい真紀を絡め取る。

真紀は断れない。優しい真紀は、いいえを言わないから、だから相手は舞い上がって、真紀は辛い思いをする。勝手に一段進められた人間関係に、真紀は振り回される。初めは耐えて、耐えて、笑って、そうしてどうしようもなくなった頃に、私が呼び出される。

「羽柴だけなんだもん、愚痴を聞いてくれるの」

大体AさんだとかBさんだとかにぼかされた人間と真紀の話を聞かされるのは、とにかく苦痛だった。真紀は誰かのものになろうとしている。今はまだ真紀が好意がないから成り立たないだけで、真紀もいつかは。そんな苦しみにとらわれる。

羽柴は本当に優しいから、何でも話せるんだよ。真紀は言う。どのグループにも特別を向けないはずの真紀は、愚痴の終わりにいつも言う。そう言って、私をひどく、混乱させる。

笑顔を崩さぬように対応していると、いつも血まみれの自分が脳裏をよぎる。真紀が寄せてくる勘違いしそうになる特別さが、刃の形を取る。きっと不思議な力でできた刃で、悪しき心を持ったものだけが傷ついていく。だからいつも、真紀の言葉が体を抜けるたびに、私の心は。

肯定も否定もせず、私は頷く。真紀が少しでも楽になるならと祈りながら。それと同時に、この時間が一秒でも長く続けば良いと。そうすれば、真紀は私のそばにいて、誰かが強いた特別の中に帰っていくことはないから。

真紀は唇を尖らせながら、愚痴を続ける。こうしたいわけじゃなかったんだと、誰にでも優しい真紀が一瞬薄らいで、本当の真紀が映る。私だけがそれを見ている。でもそれは、真紀が悩みを抱えていなければ見られなかったもの。真紀が誰かに特別な関係を強いられなければ、見る機会は永遠に。

こんなことで一喜一憂するくらいなら、私も真紀に特別を迫ればよいのではないかと、思ったことがある。すぐに砕けて消えた妄想の一つだ。そんなことをすれば、真紀は二度と私を呼び出さない。愚痴を聞くことも、顔をあわせることも、羽柴と呼ばれることもなくなる。全てを失うかもしれない覚悟で挑むには、今ここにある全ては重たすぎる。失った時に、自分がどう生きていけるのか、全く想像がつかない。

羽柴が男だったら、私迷わず告ってたね。

遠い遠い昔に聞いた、真紀の声。絶たれた可能性。羽柴も真紀も、同じ身体構造を有している。年の数だけ遡らなければ叶わないもしもは、ずっと昔に通り過ぎて、二度と取り戻せない。

羽柴は浮かれない。絶たれた可能性に。真紀の言葉の優しさは、時折ひどく残酷に響く。羽柴は怒らない。絶たれた可能性は、それでも存在していたことは事実で、その事実がほんの少しだけ煮えたぎる心を慰めてくれるから。

優しい真紀は、どういう気持ちでそう言ったのだろう。答えはわからない。真紀は笑う。だから私も笑って頷く。真紀の欲しいものを、真紀は知っているのだろうか。そんな疑問が、フッと浮かんだ。

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