第2話: 赤ワイン


何かを語ること、書くこと、作ること。作品というものを世に出すに当たって、避けられないリスクというものがある。書けば書くほど、出せば出すほど、積み重ねるほどに、増していくもの。盗作というものだ。誰かがすでに発表しているものに、似通ったものを出してしまうこと。知っているか知っていないかは関係ない。盗作を糾弾された瞬間に、作り手がどれだけ言い訳を繕っても、誰も聞いてくれはしないのだ。知らないということを証明することはできない。悪魔の証明。証明の難しさはよく知られているから、はなから耳を傾けられることはないのだ。

盗作は悪だ。佐藤はよく言った。血反吐を吐くような気持ちで作り上げたアイデアが他人に取られるなんて、きっと市中を引き回されるより辛い。魂を殺すこと、尊厳を傷つけることそのものだ。安酒を煽るたびに、何度も何度も聞いた言葉だ。透明な赤色を雑に嚥下して、味を感じるそぶりも見せずにコップに口をつける。繰り返しの中で、そうやって奪われることへの憎しみを語っていた。そして同じだけ、怯えていた。何かに取り憑かれているかのように、自分が無意識に他人の言葉を自分のものとして使っていないかということに。誰かを厳しく断罪する言葉を、等しく自分にも向けていた。殺人者を心から軽蔑しながら、その手が誰かを屠っているかもしれないことを、恐れていた。よく言えば誠実で、悪く言えば頑固だ。そういう面倒な佐藤の性質が、坂本は嫌いだった。彼女を死に追いやった、彼女自身の性質が。何よりも創ることを愛していた彼女が、書きかけの物語を残して命を絶ったのだ。その性質が作用する以外に、死を選ぶ理由が思いつかない。創ること以外に悩みたくないと言って、面倒なことにつながりそうな要素は何もかも自分から捨て去っていた彼女なのだから。

佐藤は死んだ。知らない間に飛び降りていた。警察か何かを経由して、一番最初に連絡を受け取ったのが私だったらしい。残された荷物の中にあった手帳に、連絡先が書いてあったという。ネタ帳だと言って大事に抱えていた、臙脂色の手帳の中に。佐藤の年齢が持つには渋すぎる色合いで、だからこの自死の知らせが人違いではないのだと知った。それだけではない。佐藤が死んだという連絡を受けてすぐ、これは嘘ではないと確信があった。嘘であってほしいという願いも、湧いてはこなかった。死んだ奴が実は生きていたってズルいよね。佐藤の口癖がよぎったから。

佐藤が盗作の次に嫌うもの。それは死者を使ったトリックだった。死んだ奴が実は生きていて黒幕だったなんて大嫌い。時折二人で映画を見ることがあったが、だいたい三回に一回は聞いていたと思う。

だって死んだ奴は語られないから。物語は生きている人の間にあるから。語られないから物語の外側でなんだってできるから。それはズルいよ。

終幕に至るまでの様々な考察を、そのトリックはひっくり返すから。だから嫌い。

作家殺しと読者殺し。

それが、佐藤の嫌いなもの。


佐藤が死んで程なく、私は筆をとった。佐藤が投げ出した物語の続きを、自分で埋めた。物語は生きている人の間にある。だから、続けたかった。佐藤が書きそうなことを、想像で埋めた。佐藤が生きているふりをして、佐藤が描きそうな物語を綴った。

そして私はそれを世に出した。佐藤との物語を続けたくて、佐藤のしそうなことをした。インターネットに投げおいた文章は、何かの流れに絡め取られたのか、いつのまにか本になる話まで立ち上っていた。私は佐藤を装って、出版を進める人間と連絡を取っている。作家としてやっていく覚悟はできたのかと、度々メールが飛んでくる。次の物語の準備もしておけと指示が飛ぶ。

物語は終わらない。

佐藤は生きている。

佐藤の言葉を全て使って、佐藤が死んでいないことにして。

佐藤の嫌いなことを二つも重ねる。断罪の声は聞こえない。

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