麗人からの忠告
2週間を迎えた。
洗濯と風呂掃除、今日は玄関の掃除が仕事だった。
玄関の掃除をしていた時、チャイムが鳴った。
光恵さんがきたのだろうか?
それとも、宅配業者だろうか?
そう思いながらモニターに歩み寄ると、
「どちら様でしょうか?」
と、僕は声をかけた。
「竹中です、椿さんにお会いしたいのですが」
返ってきたのは、男の声だった。
竹中さん?
そんな人、いたか?
「はい、少々お待ちください」
僕はそう言うと、書斎にいる椿のところへ足を向かわせた。
コンコンとドアをたたくと、
「どうぞ」
椿が返事をしたのでドアを開けた。
「椿、お客さんがきた。
竹中さんって言う人なんだけど」
僕が声をかけると、
「わかった」
椿はそう言うと、椅子から腰をあげた。
「知りあい?」
僕が聞くと、
「みたいなものかな」
椿は答えると、僕の横を通り過ぎた。
みたいって、何だよ。
そう思っていたら、今度は玄関のチャイムが鳴った。
いけない、掃除道具が出しっぱなしだ!
僕は早足で玄関へと向かうと、出しっぱなしにしていた掃除道具を手早く片づけた。
「どうぞ、お入りください」
ガチャッとドアを開けて出迎えた僕は驚いた。
…えっと、男なんだよな?
ウェーブがかかった黒髪は天然なのかパーマをかけているのかはよくわからないが、さわると柔らかそうだなと思った。
アンダーリムの眼鏡越しから僕を見つめているその目は一重の三白眼で、とても涼しげな印象を感じた。
親戚に白人でもいるのかと聞きたくなるくらいの肌はとても白く、まるで新雪のようだ。
小さな鼻に上下の厚みが均等なピンク色の唇は、一瞬だけ…本当に一瞬だけだけど、心臓がドキッ…と鳴ってしまった。
念のために言う、その気はない。
端正に整っている顔立ちは、女性ではないかと思ってしまった。
身長は160センチほど…と言うところだろうか?
相手が年上だと言うのは確かなことだが、僕の方が身長が高い――と言っても、178センチである――故にどうしても見下ろすことになってしまった。
椿ほどではないけれど、体型は華奢な部類に入るだろう。
そんなのことを思っていたら、
「君は誰だ?」
彼が唇を開いたかと思ったら、聞いてきた。
「あっ…えっと、ハウスキーパーの関谷大地です。
先日から椿さんのところで働かせてもらっています」
僕は名前を名乗ると、頭を下げた。
「なるほどね」
彼は返事をした。
何だろう、この感じは…。
僕、この人のことが嫌いかも知れない…。
表面だけは愛想よくしようと努めている…とは思うんだけど、心はしっかりと鎖を巻いて南京錠をつけているみたいな?
簡単には相手に心を開かせないと言う警戒心が半端ないんですが…。
「環さん」
椿が玄関に現れた。
彼の名前は竹中環(タケナカタマキ)かと、僕はそんなことを思った。
…あれ?
何かどこかで聞いたことがある名前だな…。
椿の姿を見た竹中さんはフッと口元を緩ませると、
「久しぶり、椿ちゃん」
と、言った。
つ、椿ちゃん…だと!?
なれなれしい呼び方をするな…と言うか、椿が現れたとたんに愛想を思いっきりよくしやがったぞ!?
「お久しぶりです」
そう返事をした椿も嬉しそうだった。
「取材で1ヶ月くらいくることができなかったからね。
はい、おみやげね」
竹中さんはニコニコと笑いながら、椿に紙袋を渡した。
「ありがとうございます」
椿はそれはそれは嬉しそうに、彼から紙袋を受け取ったのだった。
な、何だこれは…!?
と言うか、それ以前にくるとかこないとかって何の話をしているんだ!?
「それじゃあ、あがらせてもらってもいいかな?」
「はい、どうぞ」
「お邪魔します」
竹中さんは靴を脱ぐと、家の中に足を踏み入れたのだった。
2人の後ろ姿が見えなくなると、
「なっ…!?」
竹中さんが脱いだ靴の向きを変えた。
わっ、この靴ってかなりの高級ブランドだよな!?
「あいつは一体何者なんだ…!?」
椿のことを“椿ちゃん”なんてなれなれしく呼んでたし、僕に対する態度と椿に接している態度が全くと言っていいほどに違うし!
「金持ちのパトロンか何かか!?」
いや、そんな訳がないか。
椿は小説家としての収入があるし、何より人と関わることが嫌いな彼女にパトロンがいるとは考えにくい。
玄関からリビングへと足を向かわせると、竹中さんはソファーに座っていた。
椿はどこだと思いながら探すと、キッチンにいた。
僕はキッチンにいる彼女に歩み寄ると、
「何か手伝おうか?」
と、声をかけた。
「いいよ、私がやるから」
椿はそう返事をした後で声をひそめると、
「環さん、ちょっと気難しいところがあるのよ」
と、耳元で言った。
「そうなの?」
そう聞き返した僕に、
「だから…私がやっておくから、大地は環さんの相手をしててよ」
と、椿が言った。
「えっ…!?」
僕があいつの相手をするって、酷じゃないか!?
半ば強引にキッチンから追い出された僕は、これもハウスキーパーとしての仕事だと言い聞かせながら竹中さんのところへと歩み寄った。
何で僕が初対面の人の相手をしないといけないんだよ…。
僕は心の中でブツクサと文句を言いながら、竹中さんの前で正座をした。
チラリと横目で彼に視線を向けると、なかなかの美人だった。
いや、彼の場合は“美人”と言うよりも“麗人”と言った方が正しいかも知れない。
そんなことを思っていたら、
「椿ちゃんのハウスキーパーだと言っていたね?」
竹中さんが僕に話しかけてきた。
「えっ…ああ、はい」
僕は彼に視線を向けると返事をした。
「ここに通っているの?」
「いえ、住み込みです」
竹中さんの質問に僕は答えた。
「住み込み…へえ、そうなんだ。
どこの会社から派遣されたの?」
そう聞いてきた竹中さんに、
「会社に勤めている…と言う訳ではないんです」
僕の答えに、彼は訳がわからないと言った様子で首を傾げた。
「実は半年前に勤務先の会社が倒産してしまいまして…」
そう言った僕に、
「それは、お気の毒だったね」
竹中さんは返事をした。
「この不景気で就職先もなかなか見つからなくて…それで、光恵さん――僕のおばなんですけど――が椿さんの担当編集者で、僕はその伝手で彼女のハウスキーパーとして雇われることになりました」
ハウスキーパーとして雇われることになった経緯を手短に説明した。
「一応、半年前まで1人暮らしをしていましたので家事はできます。
掃除洗濯はできますし、料理は本やネットで見ながらですけど少しずつレパートリーを増やしています」
「そう、なるほどね」
…何だろう、この上から目線な感じは。
僕はこの人が嫌いなんだと言うことを確信した。
竹中さんはキッチンにいる椿に視線を向けた。
つられるように僕もキッチンの方へと視線を向けると、椿はまだお茶の用意をしているところだった。
「椿ちゃん、何か言っていたかい?」
そう聞いてきた竹中さんに、
「言っていたと言いますと、何を…?」
僕は質問の意味がよくわからなくて聞き返した。
「何も聞いてないんだ」
「ですから、何を?」
何なんだ、この人は。
「彼女の家族のことだよ」
そう言った竹中さんに、
「もしかして、お姉さんのことですか?」
僕は聞き返した。
竹中さんは驚いたと言うように目を見開いた。
「実を言いますと…僕と椿は、中学時代の同級生なんです」
僕の返事に竹中さんは納得したと言う顔をした。
「椿がお姉さんが起こした事件のせいで転校して…その後のことも、彼女から話を聞いたので」
そこまで説明すると、僕は竹中さんから目をそらした。
「お待たせしましたー」
椿がティーセットとマカロンをトレイに乗せて、こちらへと向かってきた。
テーブルのうえにカップを置いたのと同時に、フワリと紅茶のいい香りがした。
「ありがとう、椿ちゃん」
お礼を言った竹中さんに、椿はペコリと小さく頭を下げた。
本当に、この2人はどう言う関係なんだ?
友達…ではないよな?
人づきあいをしない、ましてや恋の経験もない彼女に友達と言う存在がいるのだろうか?
「仕事は順調かい?」
そう聞いてきた竹中さんに、
「はい、順調です」
椿は答えた。
仕事って、小説のことだよな?
「環さんも順調みたいですね。
原作を担当してる『黒猫協奏曲』が来年の冬に連続ドラマ化されると聞きました」
そう言った椿に、
「いや、椿ちゃんほど活躍はしていないけどね」
竹中さんは困ったように笑うと、紅茶を口に含んだ。
『黒猫協奏曲』って、どこかで聞いたような…ああ、そうか!
「そんな顔をしているって言うことは、僕が何者なのかわかったみたいだね」
そう言った竹中さんと僕の目があった。
「電子書籍ですけど、読ませてもらっています。
“黒猫”と称されている凄腕の女泥棒と捜査一課出身の元エリート刑事がコンビを組んで事件を解決する…」
そう言った僕に、
「ありがとう、でもできれば紙の方も買ってね」
と、竹中さんは言った。
どこかで聞いたことがある名前だなと思ったら、僕が読んでいる漫画の原作者だったから聞いたことがある訳だったんだ!
だけど、椿はどこで竹中さんと知りあったんだろう?
そんなことを思っていたら、
「またいつものように作り置きをしておくから」
竹中さんがそんなことを言った。
えっ、作り置き?
「いつもありがとうございます」
それに対して、椿はペコリと頭を下げた。
竹中さんはソファーから腰をあげると、キッチンへと足を向かわせた。
その後ろ姿を見送ると、
「作り置きって…冷蔵庫に入ってる料理のことだよな?
あれ、光恵さんが作っているんじゃなかったのかよ?」
僕の椿に声をかけた。
「違うよ、萩尾さんはそんなことまでしないよ」
椿は答えた。
…まあ、そうでしょうね。
光恵さんがキッチンに立って料理をしている姿も、スーパーマーケットで買い物をしている姿も想像できなかったから…。
「環さんがきてくれて、作り置き料理を作ってくれるの。
私がコンビニ弁当で食事を済ませているって話したら、環さんが“女の子がそれじゃよくない、バランスを考えて食べた方がいい”って言って作ってくれてるの」
椿が言った。
「椿ちゃん」
竹中さんがキッチンから戻ってきた。
彼は椿にメモを渡すと、
「ここに書いてある食材を買ってきてくれないかな?」
と、言った。
「はい、わかりました」
椿は竹中さんの手からメモを受け取ると、腰をあげた。
「えっ…ちょっと、椿」
リビングを出る椿の後を追うように、僕もリビングを出た。
薄手のコートを羽織り、エコバッグを手に持っている椿に、
「なあ、1人で大丈夫か?
代わりに俺が行こうか?」
僕は声をかけた。
「1人で買い物に行けるから大丈夫よ。
たまには外に出て、外の空気を吸わなくっちゃ」
椿は靴を履きながら返事をした。
「それに、環さんは大地と2人だけで話がしたいんだと思う」
そう言った椿に、
「マジかよ…」
僕は信じられなかった。
ああ、あれか。
椿を狙う男として対決をしようってヤツか?
話がしたいって、僕は竹中さんと何を話せばいいんだよ…。
「じゃあ、環さんの相手をお願いね」
「気をつけろよ」
そう言った僕に椿は手を振ると、ドアを開けた。
バタンと目の前のドアが閉まったのと同時に、僕は息を吐いた。
竹中さんと2人きりか…。
何かもうすでに、嫌な予感しかしていない…。
玄関からリビングに戻ると、青いエプロンを身につけた竹中さんがキッチンに立っていた。
このまま自室に引っ込んでいようと思って立ち去ろうとした時、
「ちょっと手伝ってくれないか?」
竹中さんに見つかってしまった。
仕方なくキッチンへと歩み寄ると、
「これ、お願いね。
菜箸でダマにならないように混ぜるだけでいいから」
竹中さんは菜箸とボウルを僕に差し出した。
「はい」
僕は竹中さんの手からそれらを受け取ると、言われた通りのことをした。
ボウルの中には卵と小麦粉が入っていた。
揚げ物でもするのだろうか?
そんなことを思いながら、僕は菜箸で卵と小麦粉を混ぜた。
僕が混ぜている間、竹中さんはエビの下処理をしていた。
手なれたように背わたを取っているその様子は、普段から料理をしているのだろうと思った。
「椿ちゃんと同級生だって言ったね?」
竹中さんが僕に話しかけてきた。
「はい、そうですが」
僕が答えたら、
「中学生時代の彼女は、どんな女の子だったの?」
竹中さんが聞いてきた。
「どんな女の子って…特に今と変わっていませんね。
彼女と仲がよかった友達もいませんでしたし、休み時間は1人で本を読んでいる子でした」
僕は彼の質問に答えた。
そんな彼女の姿を見ることが僕は楽しみだった。
1人で本を読んでいるその横顔やページをめくるその指を見ることが好きだった。
「好きだったのかい?」
そう言った竹中さんに、
「えっ、ええっ?」
僕はどうすればいいのかわからなかった。
「関谷くんは椿ちゃんのことが好きだったのかい?」
竹中さんがもう1度聞いてきた。
「す、好きって…」
これはあれか?
遠回しにライバル宣言されているのか?
「お…俺がもし、椿のことを“好き”って言ったら竹中さんはどうするって言うんですか?」
僕が聞いたら、
「別にどうもしないよ。
椿ちゃんは妹みたいなものだから」
竹中さんが答えた。
「い、妹…!?」
「簡単に言うならば、椿ちゃんとは兄妹のような関係なんだ」
竹中さんが言った。
「兄妹ですか…」
「彼女も僕を同業者としてはもちろんのこと、兄として慕ってくれているから」
「えっ、同業者?」
竹中さんは漫画の原作者じゃないのか?
そう思った僕に、
「原作者は本業の傍らでやっている仕事、本業は椿ちゃんと同じ小説家なんだ。
と言っても、僕はミステリーとファンタジーが専門で、何年かに1回だけ恋愛ものを書くだけなんだけどね」
竹中さんは言った。
「そ、そうなんですか…。
椿とは、どう言った経緯でお知りあいになったんですか?」
僕は竹中さんに聞いた。
「僕が彼女に興味を持ったから」
竹中さんは答えた。
「椿ちゃんがエントリーした小説大賞で、僕が書いた小説が大賞を受賞して本を出すことになったんだ。
その半年後くらいに、彼女がエントリーした小説が出版されたんだ。
僕が椿ちゃんの小説を読んだのは2作目の『異邦人の十字架』なんだけど、恋愛とミステリーを同時に味わえる作品に僕は感動したんだ」
「あれ、本当におもしろいですよね。
次から次へと伏線があきらかになって、恋愛も進んで、読み終わるまでページをめくる手が止まらなかったです」
そう言った僕に、
「君も読んだんだ」
竹中さんは言った。
「ここにきてからですけど、椿の小説は2作目まで読みました。
今は3作目の『マンハッタン』を読んでいるところです」
僕は言った。
「それで椿ちゃんに会って話をしてみたいと思ったんだけど…彼女はかなりの取材嫌いで有名だろう?
まあ、お姉さんのことを隠したいからと言う理由で取材を断っているんだけどね」
竹中さんはフフッと笑うと、
「彼女に会うために、編集部に自ら企画を持ち込んだんだ」
と、言った。
「編集部は僕が持ち込んだ企画に喜んですぐに話は進んだ。
だけども、それに対して椿ちゃんは首を縦に振ってうなずいてくれなかった。
彼女の担当である萩尾さんがそのことを話したんだけど、“私以外の人とやって欲しい”と言って断ったんだ」
「そうですか…」
衣につけたエビをパン粉につけてバッドのうえに並べながら、僕は返事をした。
「だけど、僕も諦めが悪いものでね…椿ちゃんを説得させるために、萩尾さんと一緒に彼女の自宅を訪ねたんだ」
「えっ…」
すごいな、ものすごい根性だな…。
「萩尾さん立ち会いの元で椿ちゃんと話しあったんだ。
最初は断ってばかりだった彼女も、最後は根負けをしてコラボ企画に首を縦に振ってうなずいてくれたんだ」
「へえ…」
僕には到底マネできないと思った。
彼のような根性があったら、僕も違っていただろうか?
「僕がヒロインの目線を、椿ちゃんがヒーローの目線で、同じ時系列に起こる出来事を書く…って言うシステムで話を書いたんだ。
椿ちゃんの自宅で打ちあわせをすることもあれば、僕が彼女を外に連れ出してカフェとかで打ちあわせをやる…そんな感じで、彼女と一緒に仕事をしたんだ」
竹中さんは話を続けた。
「最初は頑なだった椿ちゃんも次第に僕に心を開いてくれて、小説が完結した頃にはお互いの家に遊びに行ったり、たまにだけど食事に行ったり…と言う感じで仲良くなったと言うところかな。
当然のことながら椿ちゃんの家族のことは彼女から直接聞いたから知っているけど、僕からして見たら過去がどうであろうと椿ちゃんは椿ちゃんだって思ってるから。
だけど、椿ちゃんのことが好きなのかどうかと聞かれたら話は別になるかな。
彼女のことは妹のように思ってるから」
竹中さんはそう言って、話を終わらせた。
彼がうらやましいと、僕は思った。
同時に、僕ができなかったことをいとも簡単にやっている彼に嫉妬を感じた。
「関谷くん、どうかした?」
竹中さんが聞いてきた。
この人の前では隠し事はできないなと、僕はそんなことを思った。
「――うらやましいなって、思ったんです」
だから、正直に自分の気持ちを打ち明けた。
「俺にも竹中さんのような行動力があったら、少しくらい人生が変わったのかなって」
そう言った僕に、竹中さんは訳がわからないと言った様子で首を傾げた。
「俺、椿に“好きだ”って告白できなかったんです。
告白したら彼女に迷惑がられるんじゃないか、嫌われるんじゃないかって思って、何も言うことができませんでした」
まるで懺悔をするように、僕は言った。
「そうしたら、椿は俺の前からいなくなって…。
俺、今でも悔やんでいるんです。
何で椿に“好きだ”って言うことができなかったんだろう、って。
例え迷惑だと思われても嫌われても、椿に自分の気持ちを伝えれば今でも縛られることなんてなかったんだろうなって」
友達にも家族にも、初恋の女の子への気持ちを打ち明けることができなかった。
「その後で何人かの女の子とおつきあいをしていたんですけれど、心のどこかで椿と目の前の彼女を比べていることに気づいたんです。
椿だったらどんな顔をするんだろう、椿だったらどんな声を出すんだろう、椿だったら何を言うんだろうって、そんなことばかりを比べていたんです。
目の前にいる彼女と椿は違う人間だから当然のことなのに、ですよね」
ハハッと、僕は自嘲気味に笑った。
「当然のことながら、振られましたよ。
何を考えているのかわからないって言われました」
「椿ちゃんのことが忘れられないんだね」
そう言った竹中さんに、
「初恋の女の子ですからね、今でも忘れられないですよ」
僕は言い返した。
「さっきも言った通り、僕は椿ちゃんのことを妹だと思ってる」
竹中さんが言った。
「正直なことを言うと、彼女はこの世で1番幸せになるべき人間だと僕は思ってる。
過去のこともあるから、彼女にはなおさら幸せになって欲しいんだ」
そう言った竹中さんの目は、とても真剣だった。
兄と言うよりも、父親と言った方が正しいかも知れない。
「だから…もし君が椿ちゃんを傷つけたり、泣かせたりするようなことがあったら、その時は絶対に許さない。
あんまり物騒な物言いはしたくないんだけど…もしそうなった場合、僕は君を殺しに行くから。
例え君が地獄の果てまで逃げたとしても、僕は追いかけて殺しに行くから」
顔立ちが端正な分、とても迫力があった。
だけども、それくらい椿のことを大切に思っていると言うことなのだろう。
「殺されたくなかったら、椿ちゃんを幸せにするんだね」
竹中さんはそう言い終えると、僕を見つめた。
それに対して、
「はい」
僕は返事をした。
竹中さんはフッと口元をゆるめると、
「それじゃあ、続きをやろうか」
と、言った。
「後は冷凍庫に入れて、食べる時に揚げればいいから」
「はい、わかりました」
衣をつけたエビのうえにラップをかけると、冷凍庫に入れた。
「ただいまー」
椿が帰ってきた。
パタパタとこちらへ向かってくる足音が聞こえたかと思ったら、
「環さん、買ってきましたよ」
エコバッグを手に持った椿が現れた。
「お帰り、椿ちゃん」
竹中さんは椿に歩み寄ると、彼女の手からエコバッグを受け取った。
「じゃあ、私は仕事に行きますね」
そう言った椿に、
「うん、わかった」
竹中さんが返事をしたことを確認すると、椿は立ち去った。
「それじゃあ、君にはもう少しだけ手伝ってもらおうかな」
そう言った竹中さんに、
「えっ…?」
僕はギョッとなった。
まだやらないといけないんですか…?
そう思った僕の頭の中を読んだと言うように、
「最低でも2週間分の作り置きが必要なんだ」
竹中さんが言った。
「に、2週間ですか!?」
驚きのあまり、僕は大きな声を出した。
「ただでさえ椿ちゃんは細いうえに太りにくい体質をしているし…そのうえ、締め切りが近くなると食事もロクにしないからね」
「た、確かに…」
椿のことをわかっていらっしゃる…。
締め切り間近の彼女は食べる時間がもったいないからと言う理由で、チョコレートとコーヒーしか口にしないのだ。
「続きに取りかかろうか?」
「はい…」
ハハハ、やっぱり僕はこの人が苦手だ…。
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