キス以上のこと

椿莉子こと津曲椿のハウスキーパーになって、今日で1週間を迎えた。


「よし、洗濯物は終わったな」


ベランダに干して乾かしている洗濯物を見ながら僕は言った。


椿から言われた家事を全て終わらせると、僕はキッチンへと足を向かわせた。


コーヒーとチョコレートをお盆のうえに乗せると、椿の書斎に向かった。


コンコン


「椿、入るよ」


ドアをたたいて中で仕事をしている椿に呼びかけたら、


「どうぞ」


中から椿の声が聞こえたので、ドアを開けて中へと足を踏み入れた。


パソコンに向かって仕事をしていた椿はクルリと椅子を回転させると、僕の方に視線を向けた。


「仕事は順調?」


「…まあまあかな」


椿はそう答えると、お盆のうえのチョコレートに手を伸ばした。


机のうえにコーヒーを置くと、僕は書斎を見回した。


パソコンと机、本棚だけのシンプルな書斎だ。


本棚に視線を向けると、いろいろなジャンルの小説やコミック本が入っていた。


その大半が今まで彼女が書いて出版した小説だからと言うものだから、何だかおかしなものである。


「大地」


椿が僕の名前を呼んだので、彼女の方に視線を向けた。


椅子に座っている椿と同じ目線になると、僕は自分の唇を彼女の唇に重ねた。


唇から、先ほど食べたチョコレートの味がした。


1週間前に初めてキスを交わして以来、椿は僕にキスをねだるようになった。


好きな子の役に立つのならば、椿が満足をするならば、何より彼女の気持ちが落ち着くならば、キスを交わした。


好きな女の子とキスができることは、僕にとっても都合のいい口実になる。


「――ッ…」


椿が唇を離したかと思ったら、僕の頬に自分の手を添えた。


角度を変えて、また彼女の唇が僕の唇と重なった。


上手だなと、僕はそんなことを思った。


日を追うごとにだけど、キスが上手になっているような気がする。


「――ッ、はっ…」


そんなことを思っていたら、椿の唇が離れた。


…ああ、終わった。


僕は心の中で呟いた。


「――気が済んだ?」


そう聞いた僕に、

「――もう少しだけ…」


椿は呟くように答えた。


また唇を重ねようとした時、椿は僕のエプロンに手を伸ばした。


「――えっ?」


何をするって言うんだ?


突然のことに戸惑っていたら、椿がエプロンを外そうとした。


「わっ、わっ、わっ、待って待って!」


椿の手から逃れると、僕は彼女を見つめた。


な、何をしようとしていたんだ…?


「何で止めたの?」


訳がわからないと言うように聞いてきた椿に、

「君こそ、一体何をしようとしたんだ?」


僕は聞き返した。


「いきなりエプロンに手を伸ばしたかと思ったら脱がしにかかろうとするなんて」


続けて言い返した僕に、

「私にキス以上のことはまだ早いってことなの?」


椿が言い返した。


「えっ?」


キス以上のこと?


「大地とキスをして、もう1週間だよ?


それ以上のことを進めたっていいじゃない」


椿が言った。


それ以上…と言うことは、

「いわゆる、BとかCみたいな?」


要は、そう言うことですよね?


「私に教えてくれるんでしょ?」


「ま、まあ…」


僕が返事をしたことを確認すると、椿は再び手を伸ばしてエプロンを外しにかかった。


わっ、わっ、わーっ!


パパッとエプロンを脱がされたかと思ったら、僕のシャツのボタンを外し始めた。


待て待て待てーっ!


いろいろとツッコミを入れたいところはあるが、まずはどこにツッコミを入れたらいいのだろうか?


シャツのボタンを全て外し終えると、椿は僕の躰を観察するように見つめた。


一体何がおもしろいんだ…。


腹が出ているとかガリガリと言う訳ではないけれど、いい躰なのかどうかと聞かれたらイエスと答えることはできない。


当然、人に自分の躰を見せる趣味なんてないのでどうすればいいのかわからない。


僕は何をして、どう対応すればいいんだ?


そう思っていたら、椿が僕の胸に顔を寄せた。


そこにチュッ…と口づけられたかと思ったら、ペロッと生暖かくて濡れたものが胸を舐めた。


これって、舌だよな!?


「ぎゃあああああっ!」


僕の悲鳴に、椿は驚いたと言うように離れた。


「び、ビックリするじゃない!


いきなり悲鳴をあげるなんて!」


強い口調で言い返した椿に、

「ビックリしたのはこっちだ!」


僕は何クソと言うように言い返した。


「躰を見たかと思ったら口づけられて舐められて、これが悲鳴をあげられずにいられるか!」


好きな女の子の頼みだからとは言え、これはいくら何でもない!


容量と範囲が越えているにも程がある!


「教えてくれるって言ったじゃない!」


椿が言った。


そう言えば僕が何でも言うことを聞くと思っているのだろうか?


クソ、だったらやってやろうじゃないか!


「じゃあ、教えてやる。


その代わり、椿は何もするな」


僕はそう言うと、椿の背中に自分の両手を回した。


勢いで椿を抱きしめたけど、特に抵抗をしようとする様子はなかった。


まあ、抱きしめただけなんだけど。


細いなと、椿の躰を抱きしめた僕は思った。


ちゃんと食べていると言えば食べているけど、本当に細いな。


太らない体質なんだろうなとは思うけど。


そう思いながら僕は下へ下へと手をずらすと、椿のニットのすそをそっとまくりあげた。


それに対して、椿がビクッと躰を震わせた。


ニットを胸のところまであげると、僕は視線を向けた。


大きさ的には、Cくらいか?


紫色のブラジャーを見ながら、僕はそんなことを思った。


ブラに触れるか胸に触れるか…そう言うギリギリのところに唇を近づけると、僕はチュッ…と口づけた。


「――んっ…!」


それに対して椿は声をあげて、躰を震わせた。


「――ブラ、外してもいい?」


そう聞いた僕に、

「――わ、私は何もするなって言ったじゃない…」


椿が呟くように答えた。


ああ、そう言えば言ったな。


僕は心の中で呟くと、椿の背中に片手を伸ばしてプチンとホックを外した。


ブラをずらすと、胸が露わになった。


胸の突起はキレイなピンク色をしていた。


誰にも触れたことがなければさわられたこともないそこは、本当に何も知らないんだなと僕は思った。


胸の突起を唇で挟むようにすると、チュッと音を立てた。


「――あっ…!」


ビクンと椿が躰を震わせたかと思ったら、声をあげた。


自分の声に驚いたのか、椿は慌てて自分の手で口をふさいだ。


僕は椿の耳に唇を寄せると、

「別に声を出してもいいよ?


ここにいるのは俺だけなんだから我慢する必要なんてないよ」

と、ささやいた。


「――ッ…!?」


ビクッと反応した椿の耳にフッと息を吹きかけると、ビクビクと躰が震えた。


口をおおっている彼女の手を取ると、手の甲に口づけた。


「――だ、大地…」


震える声で僕の名前を呼んだ椿に、

「――椿…」


僕は名前を呼ぶと、彼女の唇に自分の唇を重ねた。


「――んっ、ふうっ…」


苦しそうに声を出している唇を離すと、その胸に顔を埋めた。


先ほどと同じように胸の突起に口づけると、

「――んあっ…!」


椿はビクッと躰を震わせて、声をあげた。


ずっと夢見ていた。


僕に触れられた椿はどんな反応をして、どんな声を出して、どんな顔をするのだろう…と。


「――あっ…ああっ…!」


顔を真っ赤にさせて目を潤ませて声をあげる椿に、僕の中の理性がだんだんと消えて行くのがわかった。


触れていない方の胸に手を伸ばそうとその時、机のうえのスマートフォンが震え出した。


それに驚いて、僕たちは躰をビクッと震わせた。


「――わ、私のだ…」


「――ああ、そうだな…」


僕のスマートフォンは自室に置いてある。


僕は椿から離れた。


椿は机のうえのスマートフォンに手を伸ばすと、それを手に取った。


指で画面をタップして耳に当てると、

「はい、もしもし」

と、言った。


「はい、原稿は順調です」


電話の内容からすると、仕事の話のようだ。


「はい、わかりました」


椿はそう言って話を終わらせると、スマートフォンを耳から離したのだった。


「…何だって?」


僕が声をかけると、

「原稿の締め切りを3日ほど早めて欲しいって、萩尾さんから」


椿は返事をした。


「そう…」


光恵さんからの電話だったか。


椿莉子の担当編集者だから、彼女から仕事の電話がくるのは当然だ。


それにしても、何ちゅータイミングでかけてくるんだ…。


椿は外したブラジャーをとめて、乱れた服を整えていた。


「仕事に戻るようだったら、席を外した方がいい?」


そう聞いた僕に、

「別にいてもいいけど、仕事の邪魔はしないでね」


椿は答えた。


他にやることもないから、彼女の言葉に甘えることにしよう。


その前にやることはあるけれど。


「ちょっとトイレ行ってくる」


「んー」


椿は返事をすると、パソコンに向かった。


僕はそれを見た後で、書斎を出たのだった。


バタンと書斎のドアを閉めると、下の方に視線を向けた。


ジーンズ越しからでも何が起こっているのかわかった。


僕はトイレに入ると、下着ごとジーンズを脱いだ。


雄(オス)は完全に臨戦態勢に入っていた。


もし光恵さんからの電話がなかったら、椿と最後までシていたかも知れない。


そんなことを思いながら、僕は右手を雄に添えた。


先ほどの椿の乱れた姿を思い浮かべながら、処理をする。


「――ッ、くっ…!」


手の中で欲を吐き出すと、僕は息を吐いた。


ずっと夢見ていた好きな女の子とキス以上のことをした。


それに対して興奮して喜んでいる自分が何とも言えない。


「俺は中学生か…」


自嘲気味に呟いた僕だけど、そうなのかも知れないと思った。


躰は大人になったかも知れないけれど、気持ちは中学生のままで止まっている。


椿が僕の前からいなくなったあの頃のまま、時間が止まっている。


中学生時代の初恋を忘れることができないまま、僕は大人になってしまった。


元気にしているのだろうか何をしているのだろうかと、そんなことばかりを考えていた。


違うとわかっていても、つきあっている恋人と椿を比べた。


どんな顔をするのだろうかどんな声を出すのだろうかどんな目で僕を見るのだろうかと、そんなことばかりを思っては比べていた。


「バカか、俺は…」


初恋を忘れることができないうえに初恋に縛られている自分に、僕は自嘲した。


トイレから書斎に戻ると、椿は仕事に集中していた。


その後ろ姿から目をそらすと、本棚の方に視線を向けた。


そこから手に取った本は、椿莉子の2冊目の書籍である『異邦人の十字架』だった。


床のうえに腰を下ろすと、僕はそれを読み始めた。


カチャカチャとキーボードを打つ音が聞こえるが、特に気にならなかった。


それをBGMにしながら、僕は小説を読み進めたのだった。


…なるほど、あのシーンの伏線はこのページのためのものだったのか。


そう思いながら、僕は次のページをめくった。


デビュー作の『月影に咲く花』は大正時代が舞台の純愛小説だったが、『異邦人の十字架』はミステリーラブストーリーだった。


いろいろなところに出てくる伏線が次から次へと回収されるのにあわせるように、登場人物たちの恋愛も次から次へと進んで行く。


これはミステリーが苦手だって言う人はもちろんのこと、ミステリーが好きだって言う人にも大喜びされそうだな。


『月影に咲く花』は泣いたけど、これはおもしろくてあっという間に読み終えた。


「――はあっ…」


本を閉じると、感嘆の息がこぼれ落ちた。


「どうだった?」


そう聞いてきた椿に視線を向けると、彼女は僕を見ていた。


「あれ、仕事は?」


そう聞いた僕に、

「とっくに終わった」


椿は答えた。


「マジか…」


仕事が早いな。


それも人気の秘訣なんだろうなと思いながら、

「椿は何で小説家になろうと思ったの?」


僕は聞いた。


その質問に椿は唇を開くと、

「なろうって言うか…私の場合は、気がついたら小説家になっていたって言う感じなの」

と、答えた。


「転校してもお姉ちゃんのことでいろいろと言われて…陰口はもちろんのこと、嫌がらせを受けたこともあった。


それを不憫に思った両親が私を母方の親戚のところに預けて、父の姓だった“清水”から母の旧姓の“津曲”に改姓したわ」


「…そうだったんだ」


「だけど、人が怖くなった。


もしお姉ちゃんのことが周りにバレたら…と思うと、怖くてバイトもできなかった。


今から3年くらい前だったかな?


ネットサーフィンをしていたら、『葉月出版社』の小説大賞の広告を見つけたの」


椿はそこで話を区切った。


「いい思い出にはなるかなくらいの気持ちで『月影に咲く花』を書いてエントリーをしたの。


結果はダメだったけど、出版社の人が私が書いた小説を気に入ってくれて“本を出しませんか?”って連絡をしてくれたの。


それが今から2年前のことだった」


椿は言った。


「ペンネームを“椿莉子”にしたのは、その当時読んでいた小説のヒロインの名前からつけたの。


もし本名で出版したら、どこかでお姉ちゃんのことがバレると思ったから。


私が取材を断っているのも、お姉ちゃんのことを隠すためなの」


「うん」


「次から次へと小説を書いて、次から次へと売れて、よくわからないままに重版が決定して、さらにはドラマ化の話まできて…自分でも信じられなくて、何が起こってどうなったのかって戸惑う時間もなくて…。


だから、気がついたら小説家になっていました…みたいな、そんな感じかな」


椿はそう言って話を終わらせた。


「だけど…もしあの時、小説大賞の広告を見かけなかったら今の私はなかったんじゃないかと思う。


1人で静かに生きて行くいい仕事を手に入れたと考えればいいし、何より誰にも会わなくてもいい訳だから、結果オーライかなって」


「そうか」


僕は返事をした。


椿の言う通りかも知れないと、僕は思った。


もし彼女が小説家としてデビューしていなかったら、こうして再会することはなかっただろう。


もしかしたら、一生会えなかったかも知れない。


「大地」


椿が僕の名前を呼んだ。


「椿」


僕はその場から立ちあがると、彼女に歩み寄った。


顔を近づけると、自分の唇を彼女の唇に重ねた。

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