一釣さんと交際宣言
連休の前半が終わった。
オフィスに顔を出したとたんに、
「相楽さん、ごめんなさいー!」
大和さんが待っていたと言わんばかりにあたしのところに駆け寄ってきた。
「ど、どうしたのよ…」
もう半分ベソをかいていると言っても過言ではない大和さんの様子に、周りは何事かと言うように視線を向けていた。
あらら、これはどう見てもあたしが大和さんを泣かせたみたいになってるよね…?
「や、大和さん、落ち着こうよ、ね?」
あたしは大和さんをなだめた。
「場所を変えて話をしようか…」
そう言ったあたしに、大和さんははいと返事をした。
周りに向かって“違う違う”と手を左右に振りながら、あたしは大和さんと一緒にオフィスを後にした。
…少しでも誤解が解けてくれますように。
非常階段の前に到着すると、
「それで、何があったのかな?
何かこられなくなった事情があったんだよね?」
あたしは大和さんに話を切り出した。
「全部、尊の大バカヤローのせいなんです!」
先ほどのベソをかいていたその顔はどこへやら、怒り心頭と言った様子で大和さんは怒鳴るように言った。
「えっ、芦田くん?」
それはどう言うことなんだ?
「あいつに邪魔をされたんです!」
大和さんの迫力にあたしはどうすればいいのかわからない。
怖い、誰か助けて…。
質の悪い怪談話よりもこっちの方がずっと怖いよ…。
あたしに危害を与える…ことはないと心の底から信じたい。
「うん、それで…?」
震えそうになる躰を隠しながら、あたしは続きを促した。
「すっごい気合いを入れて準備をして相楽さんとの待ちあわせ場所に向かおうとしたら、あいつが現れたんです!」
「うん…」
「“俺につきあえ”って言われて無理やり連行されて、本屋とかラーメン屋とか電気屋とかいろいろと連れ回されて…」
「そ、そうなんだ…」
「そのせいで相楽さんからの連絡にも出れなくて出れなくて…」
大和さんは呟くように言うと、ズズッと洟をすすった。
「そ、そうだったんだ…」
呟くように返事をしたあたしに、
「相楽さん、怒ってないですよね?
あいつのせいで約束をすっぽかすことになっちゃったうえに連絡にも出れなくて…」
大和さんは言い返した。
「お、怒ってないから大丈夫だよ…。
大和さんが事件か事故に巻き込まれてなくてよかったって思ってるから…」
そう返事をしたあたしに、
「ホントですか!?
よかったー!」
大和さんはホッとしたと言うように胸をなで下ろした。
まあ、無事でよかった…。
事件に巻き込まれたんじゃないか、事故にあったんじゃないかと不安になったけど、無事でよかった。
ふうっと息を吐いたあたしに、
「相楽さん、本当にごめんなさい!
約束をすっぽかしたうえに連絡にも出れなくて!」
大和さんはペコペコと何度も頭を下げて謝ってきた。
「本当に気にしなくていいから…。
大和さんが無事でよかった訳だし…」
それにそんなにも謝られたら、あたしとしてもどうすればいいのかよくわからない。
「とりあえず、もう戻ろうか?」
そう声をかけたあたしに、大和さんは返事をしてくれた。
やれやれ、大和さんが無事だっただけでもよしとするか…。
それにしても、朝から結構体力とか気力を使ったな…。
心の中でそう呟きながら、あたしは大和さんと一緒にオフィスに戻った。
オフィスに戻ると、一釣さんは出社していた。
何かあったのかと言いたそうにあたしを見ている彼に、あたしは“後で説明する”と唇だけ動かして返事をした。
一釣さんはわかったと言うように首を縦に振ってうなずくと、仕事に取りかかった。
彼も大和さんのことを心配していたから、ちゃんと事情を説明しないと。
そう思いながら、あたしは自分のデスクに腰を下ろしたのだった。
昼休みを迎えた。
「相楽さん、お昼一緒に食べませんか?」
大和さんがあたしのデスクに歩み寄ってきたのと同時に、そう声をかけられた。
「いいよ」
あたしは返事をすると、椅子から腰をあげた。
一緒にオフィスを後にしようとしたら、
「千鶴、待て」
その声が聞こえたのと同時に、あたしと大和さんの間に誰かが入ってきた。
「何よ、尊」
あたしたちの間に入ってきた芦田くんに、大和さんは迷惑そうな顔をした。
「昼飯つきあえ」
そう言って大和さんの腕をつかんできた芦田くんに、
「お断り!
何で、せっかくの昼休みをあんたにあげないといけないのよ!」
大和さんはバシッと腕を振り払うと、迷惑そうに言い返した。
「飯くらい一緒に食べたっていいだろうが」
「絶対ヤ!」
「あ、あの…」
マジでケンカが始まる5秒前の2人の間にあたしは入ると、
「3人で一緒に食べる、って言うのはダメかな?」
と、提案を出した。
「えっ?」
訳がわからないと言うように聞き返した芦田くんに、
「だから、あたしと大和さんの3人で一緒に昼ご飯を食べる提案なんだけど」
あたしは説明した。
うん、我ながらいい提案をしたな。
そう思ったあたしだけど、
「いや、それは…」
何故だかよくわからないけど、芦田くんは戸惑っていた。
何で戸惑っているのか訳がわからない。
あたし、何か変なことを言ったか?
「相楽さん、行きましょう」
答えを出そうとしない芦田くんを見ているあたしに大和さんが声をかけてきた。
「えっ…ああ、うん」
返事をして大和さんと一緒にその場から離れようとしたけれど、
「――あのさ」
聞き覚えのある声と同時に、あたしの躰がグイッと何かに引き寄せられた。
「えっ、一釣さん!?」
いつの間にか、あたしの後ろに一釣さんが立っていた。
彼があたしの腕をつかんで自分のところに引き寄せたんだと言うことに気づいた。
「相楽さんが出した提案に戸惑っているくらいなら、自分の気持ちをちゃんと伝えたらどうなの?」
芦田くんの顔を見ると、一釣さんが言った。
「はい…?」
芦田くんは訳がわからないと言った様子で、一釣さんに聞き返した。
「そうやってちょっかいを出したら、相手に自分の気持ちが伝わると思ってるの?」
一釣さんは何の話をしているんだ?
首を傾げたあたしに、一釣さんは芦田くんに向かってニヤリと笑いかけた。
「子供の頃から一緒にいるとは言え、ちゃんと自分の気持ちを言わなきゃ相手に伝わらないよ。
大和さんが好きなら好きって、はっきりと伝えなきゃ」
と、一釣さんが言った。
「なっ…!?」
そのとたん、芦田くんの顔が真っ赤になった。
「えっ!?」
大和さんは驚いたと言うように声をあげると、芦田くんの顔を見つめた。
「えっ、どう言うことなの?」
あたしは一釣さんに聞き返した。
芦田くんが大和さんのことが好きって…?
「待っていたら成就した恋もあるけれど、自分の気持ちを伝えなきゃいけないことには変わりはないよ。
好きな女の子の恋路を邪魔し続けてたら、本当に嫌われるのがオチだよ」
一釣さんは続けて芦田くんに言った後、大和さんに視線を向けた。
「は、はい…」
目があった大和さんは呟くように返事をした。
「すぐ近くにいる彼の気持ち、ちゃんと聞いてあげてよ。
彼は長い間、君にずいぶんと片思いをし続けていたそうだから」
そう言った一釣さんに、
「はい…」
大和さんは返事をした。
「それと…」
えっ、まだ大和さんに言うことがあるの?
そう思っていたら、
「父親と娘のように見えるかも知れないけど、相楽さんは俺とつきあっているんだ。
だから、あんまり俺から相楽さんを取らないでね」
と、一釣さんが言った。
「ええっ!?」
大和さんが大きな声を出して驚いたせいで、周りから何事かと言うように注目されてしまった。
「い、一釣さん…?」
この場に便乗して、何ちゅーことを言うんだー!?
時間帯も時間帯で、オフィスにはまだ人が残っていると言う状況である。
「マジか…」
「一釣さんと相楽さん、つきあってたんだ…」
「全然知らなかった」
あちこちから聞こえてくる声に、あたしは自分の顔が熱くなるのを感じた。
もう本当にこの人は何ちゅーことを言うんだー!?
「それじゃあ、後は若い2人に任せると言うことで。
まほろ、行くよ」
「えっ、わわっ…!?」
一釣さんに手を引かれ、あたしは連行されるように大和さんと芦田くんの前を立ち去った。
「今、一釣さんが相楽さんのことを“まほろ”って呼んだー!」
「本当につきあっているんだな」
お昼から戻ってきた時のことを考えるとつらいぞ、これは…。
会社を後にしてコンビニで昼ご飯を買うと、会社近くのベンチに腰を下ろした。
「もう何ちゅーことを宣言するんですか!」
梅干しのおにぎりの袋を開けている一釣さんに向かって、あたしは言った。
「何が?」
一釣さんは返事をすると、おにぎりをかじった。
「何が、じゃないですよ!
あの場に便乗して、あたしたちの交際宣言をする必要なんてないじゃないですか!」
そう言い返したあたしに、
「でも宣言をしなきゃ、大和さんはわからないままだったと思うよ」
一釣さんが言い返した。
「あっ、そう言えば芦田くんは大和さんのことが好きって」
話はそこである。
それはどう言うことなのだろうか?
「まほろは気づかなかった?」
そう聞いてきた一釣さんに、
「全く」
あたしは答えた。
「中学も高校も大学も一緒で、そのうえ会社も一緒だった訳じゃん。
しかも大和さんの恋路を芦田くんが阻止し続けた訳でしょ?」
「うん」
首を縦に振ってうなずいたあたしに、
「もし芦田くんが大和さんのことをただの幼なじみとして思ってるなら、大和さんに彼氏ができても特に気にしないと思うよ。
俺だって女友達に彼氏ができても何とも思わなかったし」
一釣さんが言った。
「そうなんだ」
返事をしたあたしに、
「でもただの幼なじみなのに大和さんの恋を阻止したがるとなると、芦田くんは彼女のことが好きなんじゃないのかなって」
一釣さんは続けて言った。
「いつから芦田くんの気持ちに気づいていたんですか?」
あたしは聞いた。
「本人の気持ちはさすがに俺もよくわからないけれど、この間の連休でまほろの話を聞いてもしかしたらって思った」
そう言えば、あたしの話を聞いた後で一釣さんは“まさかな”って呟いていたな。
「そうでなきゃ、学校はもちろんのこと勤め先の会社まで追いかけてこないと思うよ」
一釣さんは苦笑いをした。
「なるほど…」
あたしはそう呟いた。
「後は本人次第だな。
芦田くんが大和さんに自分の気持ちを伝えて、大和さんがそれを受け入れるかどうかの問題だな」
一釣さんはそう言うと、紙パックの緑茶をストローですすった。
精悍なその横顔を見つめながら、あたしはこんぶのおにぎりをかじった。
「芦田くん、大和さんに気持ちを伝えることができますかね?」
呟くように言ったあたしに、
「大丈夫だ」
一釣さんが言い返した。
「そうだ、宣言をしたことについてなんですけど!」
危うくここで話が終わってしまうところだった!
「ああ、そのことか」
一釣さんが言った。
「俺、すっごい根に持ってたんだよ。
大和さんが俺たちのことを“父親と娘みたい”だって言われたことに」
「えっ…」
マジですか…。
「いや、それに関しては言い返そうとしなかったあたしもあたしですし…」
「まほろの頬についていたご飯粒を取ったのに、それを父親と娘だって片づけられて。
結構鈍感だなって思ったのと同時に、絶対に負けないって思っちゃって…」
「どこに対抗意識を燃やしているんですか…」
しかも相手は女の子、そのうえ年下ですよ。
彼女に対して闘志を燃やした一釣さんは本当にわからない。
「本当のことならば、この間にでも大和さんに宣言するつもりだったんだけどね」
一釣さんは苦笑いをした。
「…もしかして、そのつもりであたしと一緒に大和さんとの待ちあわせ場所についてきたんですか?」
「まあ、そうだね。
でも思わぬ事態が発生したから、今回の結果になった。
どの道この道、いずれは事実を公表しないといけない。
悪いことをしている訳じゃないのに、いつまでもコソコソと隠しているのはよくない」
一釣さんはそう言うと、おにぎりをかじった。
「それに芦田くんも、今回の件で大和さんにちゃんと自分の気持ちを伝えることだろう。
仮に大和さんの返事が予想とは違うものだったとしても、もう芦田くんは彼女の恋路を邪魔するようなまねはしないだろう。
待つことで恋がかなうならば、誰だって苦労しない」
深いなと、あたしは思った。
「でも…光也、さっき言ってたじゃない」
あたしは言った。
「何を?」
一釣さんは口をモゴモゴと動かしながら聞き返してきた。
「待っていたら成就した恋があるとかどうとか…」
あたしがそれを切り出したら、
「…それは、あれだな」
一釣さんはそう返事をすると、緑茶を口に含んだ。
「あ、あれって何ですか?」
何故だか話を終わらせたがる一釣さんに、あたしは感心しなかった。
「恋の種類によっては、待っていたらそれが思わぬ形で結ばれた…と言うタイプもあるって言うことだ」
一釣さんはそこで話を区切ると、
「例えば、その相手から“好きです、あなたのことを知りたいんです”って告白されたりとか」
と、言った。
「えっ、なっ…!?」
想像すらもしていなかったその返事に、あたしはどうすればいいのかわからなかった。
「それって、あたしたちのことですか!?」
そう聞き返したあたしに、
「そうだよ」
一釣さんは返事をした。
「最初は興味本位で見ていて、話しかけられるだけでもよかったんだけどね」
一釣さんはあたしに視線を向けると、眼鏡越しからニヤリと笑いかけてきた。
「ううっ…」
「まあ、気持ちを伝えてくれて嬉しかったけど」
「あ、アハハ…」
引きつった笑いをしながら、あたしは一釣さんから目をそらしたのだった。
「おっ」
そう言った一釣さんに、あたしはまた彼に視線を向けた。
「あの2人」
一釣さんが見ている方向に視線を向けると、そこには大和さんと芦田くんの姿があった。
仲睦まじく歩いているその姿はとても初々しかった。
「あの様子だと、どうやら結ばれたみたいだな」
彼らの姿にそう言った一釣さんに、
「そうみたいですね」
あたしは返事をした。
芦田くんは大和さんに自分の気持ちを伝え、大和さんはそれを受け入れて結ばれたみたいだ。
「一途なもんだな、長い間片思いを続けていたなんて。
大和さん以外の女には目もくれずに、ただ彼女を思い続けていたもんな」
「本当ですね」
何とも初々しい彼らの様子に、あたしたちはフフッと笑いあった。
「他の人とつきあおうって思わなかったのかな?」
そう言ったあたしに、
「たぶん、芦田くんの中にはそんな選択肢はなかったんだろうな」
一釣さんは返事をした。
「とにかく、2人が結ばれてよかったですね」
「ああ、そうだな。
これを機に、仕事中にケンカをすることがなくなればいいのだが…」
一釣さんはそう言って、やれやれと言うように息を吐いた。
2人がケンカをしている間も一釣さんはまじめに黙々と仕事をしていたのだが、どうやら彼も辟易としていたみたいだ。
「まあ、それに関しては祈るしか他がないですね」
と言うか、そうなって欲しいことを願うばかりである。
2人の初々しい姿に、あたしたちはそう思ったのだった。
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