第2章 (5) 交差点の向こう側

 この部屋の中には、先輩にしか見えないものが在る。

 その実在を、ぼくは疑わない。

 先輩がそう証言するなら、いかなる形式であれ、そこには何かが在るのだろう。でもいまのぼくに考えられるのは、ここまでだった。その先は想像力が求められる領域だったが、ドーナツ二つでは足りなかった。

 もっと確かなものの話がしたかった。

 犬とか猫とか。かわいいし。

 これはちょっと良いアイディアだったけど、すぐ問題に気がついた。犬とか猫では範囲が広すぎる。

 ぼくの想像するレオンベルガーと、先輩の想像するトイプードルとでは、違いがありすぎる。それにそもそも、犬の話をどこまで広げることができるんだろう。

 犬の話をするのは止めにした。今度まで延期だ。

 ぼくは先輩をぼんやり見ながら、話題を検討していた。お茶をするって言ったって、ぼくには何の準備もなかったのだ。

 予期してなかった。

 でも先輩は違っていた。

 トナ村先輩が、ぼくと会うことを予想していた、なんてそんなことは多分ない。用意周到だったわけでもない。

 ただ彼女には魔法があった。それはぼんやり見るのにとても楽しかった。

 ショルダーバッグから、丸めた布を取り出す。

 留め金を外し、扇のように振ると、それはパッと広がって、帽子になる。それは最初に会ったときに被っていた三角帽子だった。今日は被っていなかったから、あの日は日差しが強かった日だったかもしれない。

 とにかく、先輩はそこから次々といろんなものを取り出してみせる。

 鳩は出さなかったが、同じくらい驚いた。

 無料の求人情報誌、くまのぬいぐるみ、ドーナツの紙袋(まだあったのか)。キャンプ用のコンロ、ヤカン、ステンレスのマグカップが二つ。

 ぼくは今まさに、もてなされようとしていた。

 手際よくコンロに火をつけながら、先輩は言う。

「ハタロウくんは今日何をしていたんだい」

「ああ、はい。映画を見にきたんです」

「どれ?」

 ぼくは映画のタイトルを言う。

「ああ、悪くなかったよ」

「先輩も見たんですね。ネタバレはNGでお願いします」

「しないさ」と先輩は笑う。「今日は暇な予定だったからね。前売券まで買った」

「好きなんですか、映画」

「このシリーズはね」

 話題が映画になったので、ぼくは安心した。犬や猫では範囲が広すぎるが、タイトルが特定済みの映画ならその点は安心だ。それに、まだぼくが観ていない、というのも良かった。ぼくは知らないが、すぐに知ることになるだろう事柄なら、先輩の意見をまだフラットに受け入れることができる。

 犬だとそうはいかなかった。

 暴走するかもしれないからね。

「前売券を買うなんて、結構なファンですね?」とぼくは言った。

「そうかな」

「計画性、あるじゃないですか」

 ぼくやラガ橋はそういうことをしない。よく映画は見るし、映画館にも行くが、どちらかというと行き当たりばったりだ。よほど前の席だったり、人混みにもみくちゃにされるのでなければ、どこに座ってもあまり気にしないタイプだった。

「そうでもないんだ」と照れる先輩。

「というと」

「映画を見に行ってもいいように、わたしはあらかじめ前売り券も買っていたんだ。今日は休みって決まっていたし。だから、バスと地下鉄でここまで来た」

「あれ、箒には乗らなかったんですか。便利そうなのに」

「きみたちは乗らないだろ」そう言いながら、先輩はごそごそとやる。「それに、定期券を使いたかった」

 取り出したるは、何の変哲もないパスケース。

 本当に、何の変哲もなかった。

 ぼくは戸惑い、先輩がそうして誇らしげに見せびらかす理由を探す。

 合成皮革製品。使い古された様子はなく、つい今しがた買ってきたかのようにきらきらしている。L・Tと焼き入れてあり、そこからぼくはリミカの頭文字がLなのだと知る。

 全然わからなかった。

 ぼくは先輩の淹れてくれた紅茶を飲みながら考えてみた。

 なぜこの先輩は、その何の変哲もないパスケースをぼくに見せてくれるんだ?

 それともぼくは合成皮革産業について、あまりにも物を知らないのだろうか。実は高価なものなのかもしれない。

 でも先輩は、「高価だから」という理由で価値を置くような、本末転倒なタイプにも思えなかった。あとは自分で作ったか(だとしたらすごいスキルだ)、共通の知人からの贈り物――共通の知人がいるとしても、まだ明らかにはされていなかったし、第一ぼくが羨ましがるとは限らない。あとは……映画の特典とか?

 ひょっとして、パスケース自体にではなく、その中身にヒントがあるのかもしれないな、とぼくは三つ目のドーナツを手にとって考える。バス地下鉄一体の定期券。先輩の最寄駅がそれでわかる。

 先輩は言ったのだ――定期券を使いたかった、と。

「いやちょっと待ってください」とぼくは言った。

 ご満悦の先輩には悪いけど、もっと大事なことに気づいたのだ。

「先輩、あまりそれ使ってないでしょう」

 ギクッとする先輩。

「な、何を言い出すんだい、ハタロウくん」

「先輩」ぼくは諭すように言う。「定期券っていうのはですね、毎日使うから定期券なんですよ」

「ぐぅ」

「ぼく自身は良いと思うんですよ。定期券を使わなくても、先輩には箒がありますからね。便利そうだし、気持ち良さそうだし。でも、そこで質問なんですが、いつもどうしてるんですか、学校とか」

 先輩はステンレスのマグカップを一回転させた。

「バスと地下鉄で……」

「たまには、ですね」

「今日はちゃんと乗ったんだから良いじゃないか」

 どうやらぼくの予想は当たっているかもしれない。


 つまり、こういうことになる。

 この魔法使い、朝に弱いのだ。

 普通の女子高生を目指してはいるものの、遅刻を許容できる性格でもまたなかった。毎日学校に行くことはできる。むしろそれは彼女の目指す姿だったし、友人はそれほど多くなくても、日々の学生生活は楽しいのだと言う。

 できれば、バスや地下鉄に乗って登校したいんだ、と先輩は打ち明けた。

「でも朝はどうしても起きられなくて……」

 必要最低限の身だしなみを放棄できるほど、人間を捨ててもいない。

「だから箒に乗ってしまう、と」

 普通への道は遠いですね、とぼくは言わなかった。そのままの先輩でいて欲しかった、というのはもちろんある。でも主たる動機としては採用しなかった。ぼくはそこまで意地悪ではない。

 ぼくのような人間にして見れば、たとえば遅刻と身だしなみは天秤の上に乗ってしまう事柄だ。

 けれども、この先輩にはそういうトレードオフを土台から覆すだけの能力があるのだ。

「でもね、ハタロウくん」

「はい」
「わたしはこうも思う――こうして特別なパスケースがあれば、ひょっとしてわたしは、毎日バスと地下鉄に乗れるかもしれない――とね」

 ああ。

 それはぼくの知らない理屈ではなかった。

 ちょっとだけ、ぼくがラガ橋に追いかけられていたことにも似ていた。そこには、客観的に見れば、論理的必然性はなかったのかもしれない。追いかけられていることを楽しむぼくがいただけで、それはつまり主観的な、感情の話だ。

 ひとは時にお守りチャームを必要とするのだ。

 そう考えてしまったなら、先輩に「目覚まし時計を買っては」と言うこともできなくなった。

 理屈にどれほどの生産性があるんだろう、とぼくは思った。

「で、どうでした、初日のバスと地下鉄は」

「結構楽しかったな」

「それは良かった」

「空から見るのと違ってさ、色んな声があって、表情があった。風景も箒とは違うよ。あれは確かに街を一望できるけど、あくまで鳥の視点だからね。わたしの住んでいるところからここまでは、段々建物が増えていって、段々高くなっていくんだ」

 初めて見たかのように先輩は言う。

「まるで、春みたいだったよ」

 翡翠の目をした魔法使いは、そうやって笑うのだった。

 そんな風に世界を見たことなんて、今まで一度だってなかった。街の中を移動する限りは、どこも同じような景色だと思っていたし、郊外に出れば「さみしくなった」とか言うのだ。「自然がいっぱい」とかも言うかもしれない。でも、それくらいだ。

 先輩の見方は根本的に違う。

「帰る時も楽しみですね」とぼくは言った。

 先輩の目にはどう見えるのか、とても知りたいと思った。



 ・・・♪・・・


 先輩の荷物の中には、フリーペーパーが何冊かあった。書店で見つけてきたのだと言う。書店と限定するまでもなく、それはこの街の至るところに、けれども意識して探そうとするとなかなか見つからないところに、いくらでもあるものだった。

 でも先輩にとっては、それはまるで宝物のように見えたのかもしれない。

「この街のことをもっと知りたいってのもあるけれど」

「それで求人情報誌ですか」

「どんな仕事のある街かわかるじゃないか」

 情報誌の方に重きを置いた読み方をするひとなんて初めて見たぞ。

「アルバイトする時間なんてあるんです?」

 ぼくより年上なら、先輩は三年生のはずだ。

 試験勉強とか就職活動とか、そういうものがあるんじゃないか。

「時間なら十分にあるさ。ひょっとしたら、きみより余計にね」

「はあ」

 どういう意味かは分かりかねたが、それもまあいいかって思えた。やがてはわかる日が来るだろう。


 そしてそのタイミングだ、我が親友が壁を突き破って入ってきたのは。


 ぼくに先輩とティータイムを楽しむ時間があったなら、ラガ橋は体力を全回復させていても不思議はなかった。

 廃墟の壁くらい容易く突破する。脆すぎるくらいだ。

 煉瓦は爆薬でも仕掛けられていたのかというほど粉々に砕け散り、奴の巻き起こす暴風が(彼が回転していたわけではなく、飛び込んできた事実に空気だって驚いたのだろう)、粉塵や埃を煙幕のように巻き上げる。

 黙って歩いてもアクションになる男、それがラガ橋タケルという存在だ。

 こうなってしまえば、天井に開いていた大穴も、まるでスポットライトのように機能してしまう。

 粉塵の中に立ち上がるラガ橋。煙幕に彼の影が映る。

 これはぼくに閃きをもたらした。先輩の言っていた「見えている」ものって、ひょっとしてこういうことかもしれない。時間が滞るものならば、この影絵のように、そこに像を結ぶものなのではないだろうか――などと。

 ともあれ、ラガ橋。

 広い肩幅、長い手足。隆々たる筋肉。体が大きいせいで、立ち上がるその様すらスローモーションに見える。なかなか終わらないのだ。そして、その中で彼は語る。

「今が何時か知っているか」

 何を言い出すんだ、とぼくは思った。

「十時五七分。司法がお前を認識した時刻だ。記憶に留めておくんだな、魔法使い」

 ざっとラガ橋は腕を振る。

 煙が晴れて、彼が姿を現す。遺影のようなハイビスカスのシャツ。よく磨かれた黒い靴。青い目は使命に燃えていて、それは揺るぎない覚悟を示していた。そんな目つきをする彼を、ぼくは今まで見たことも想像したこともなかった。

 一体お前は、どこに遠征に行っていたんだよ。

 確かに、その答えと思しきものを、ラガ橋は左手に掴んでいた。

 見慣れない手帳。金色に輝くバッジが付いていて、それだけ見れば警察手帳のようにも見えた。でもそれが本当に警察なのか、FBIなのか、CIAなのか、はたまた別の組織なのか、ぼくには判別つかない。つくわけがない。映画だって一瞬しか見せなかったんだぞ。

 ただもう一方、右手に持っているものはずっとわかりやすかった。

 こいつ、銃を持っていやがる!

「おいラガ橋!」

 とうとうぼくは叫んだ。

「あれ、その声は我が親友トモ、ハタか?」

 今度はぼくの声はちゃんと聞こえたみたいだ。

「いかにも、ぼくはアガ坂の――」言うとる場合か。「ルベシベ・ハタロウだよ!」言ってしまったな。

 ラガ橋は見るに困惑していた。

 彼が纏っていた覇気が霧散し、手帳はしまわれ、銃もホルスターに戻る。今日会った時は持っていなかったはずだから、どこかで借りてきたことになる。借りてくることができる、ということは、こいつの所属する組織――あるいは単に仲間かもしれないが――それはこの街にいくらか存在するということになる。

 マズいことになっているのか?

 使

 ぼくは背中にいる先輩を思った。彼女は叫び声もあげなかった。物音を立てなかった。気配を感じるスキルはぼくにはないから、先輩がどういう状態なのか、ぼくにはわからなかった。

 ただ、目の前のこいつから目を離すわけにもいかなかった。

「事情を説明してくれ」とぼくは言った。

「それを聞きたいのは俺だよ。お前今までどこにいたんだ」

「あんたに追いかけられた後なら――」

 先輩とお茶をしていたよ、と言いかけて、躊躇した。

 確かにラガ橋はぼくが先輩に助けられたところを目撃していないはずだ、と確認する。それならば、「お茶をしていた」事実は伝えても問題ないのかもしれない。いや待て。慎重になる必要があった。こいつは、司法だの謎の手帳だの銃だのを揃えて、魔法使い、と呼んだんだぞ。

 すべてがすでに済んでいた。

 そもそも、賭けに負けて、妹の服を借りたのもそうだ。その内容と、今までの状況はまだラガ橋の頭の中で繋がっていなかったらしいが、それでもいつまで保つかわからない。

 とにかく、事情が明らかになるまで、先輩が魔法使いだと――それがラガ橋の言う”魔法使い”と一致するかは別にして――隠しておいた方がいいだろう。

「フハハ」とぼくは笑ってみせる。

「どうした、いきなり」

、ラガ橋。衰えたものよ」

「なんだなんだ」

「お前が追いかけていたこの街で二、三番目の美女が我だったも知らず、挙句、ここで貴様を待ち受けていたともわからないとはな!」

「ハタ、お前頭でも打ったのか? それとも、ハタの格好をした……」

「袋の鼠とはこのこ――いやいやちょっと待て、タケ兄、待ってって。銃に手を伸ばさないで!」

 ぼくの慌てる様を見て、ラガ橋は大きなため息をつく。

「で? お前はここで何をしてたんだ」

 ははん、さてはぼくがあの子だってこと信じていませんね。

 それならこちらにも手があります。

「先輩とお茶してたんだよ。映画館に行く道すがら、偶然会ってさ。廃墟でお茶しない? とか言われたら断れないでしょ、先輩だし」

 ぼくは背中の物言わぬ先輩に、合わせてくれるよう祈っていた。

 しかし本当に物音ひとつ立てないな。

 気絶でもしてるじゃないか。

「……先輩?」

 ラガ橋が憐れみの目でぼくを見ていた。

 まさか。

「誰もいないだろ。もう帰ったのか?」

 ぼくは振り返った。

 ラガ橋の言う通り、誰もいなかった。それどころか、机の上に並べられていたはずの、キャンプ用品やらドーナツの紙袋やら、ぬいぐるみも消えていた。

 トナ村先輩、逃げた。

 残されているのは、ぼくが借りていたステンレスのマグカップと、それから求人情報誌――そこには赤いペンでいくつか丸がついている。並び替えアナグラムか? 先輩からのメッセージだと思いたかったが、内容を検討している暇はなさそうだった。

「映画は止めにして、病院にするか?」とラガ橋が言う。

「優しそうな声はやめてくれ。ぼくは正常だ」

「みんなそう言うんだよな」

「ぐぅ」

 覚えがありすぎるのも困りものだった。そういう映画ばかり志向してしまう。

「せめて、映画を見てからにしよう」とぼくは提案した。

「まあ怪我もなさそうだしな……」

 ラガ橋にしては判断が遅かった。

 具合が悪かったらすぐに言えよ、と彼は続ける。理由を聞いたが、答えてくれなかった。

「先にここを出る方が先だ」


・・・♪・・・


「どっちにしろ、病院には行った方が良い」

「まだ言うのかよ」

 廃墟を後にして、ぼくらは信号を待っていた。

「マジな話だ」とラガ橋は言う。

「何を診てもらえばいいのさ」

「脳はマストだな」

「そんな猟奇的な言い方」

「いや、マジな話だって。お前さ、ニュース見たろ。〈リープシフト〉がなんとか」

 信号は赤に変わったばかりだった。

 片面二車線の交差点に、どんどん人が滞っていく。車が緩やかに走り出し、次第に速度は上がっていく。

「ああ、あの……」

 ぼくは”リープシフト”という単語だけは覚えていたが、肝心の内容はほとんど思い出せなかった。

 ふと思い当たって聞いてみる。

「それってさっき言ってた”魔法使い”と関係あるの?」

「ある」

「あるのか……」

「昔の伝承に、オーロラは魔女の通った痕だって話があってな」

「伝承だろ」

「昔は、な。それが現実のものとして観測されたのが、あの〈リープシフト〉だ」

 真面目な調子でそう言う。

「ちょっと待って、ついてけないよラガ橋」

「〈リープシフト〉と〈魔法使い〉のどちらが先か、因果関係はどうなってるのかってのはまだ未解明だ。そもそも〈魔法使い〉ってのも俗称でさ。まあ、この話全部が非公式なんだけどな」

 人がだんだん混んできた。

 ぼくらはその最前線で、信号を待っている。変わるのを待ち侘びているわけではない。これは単に巡り合わせの問題で、タイミングの話だ。

「そんな話をぼくにして良いのかよ」

 守秘義務とかどうなってるんだ。

 そもそもぼくは、ラガ橋がまだどのような組織に所属しているのか、そもそも本当に所属しているのか、パートタイムなのかも聞いていない。

「仮にお前が誰かに話しても、誰も信じないからな」

 悪いけど、と彼は付け加える。

「とにかく、〈リープシフト〉はどこでも起こりうるんだ。何もニュースの向こう側の話だけじゃない。そしてその近くには必ず〈魔法使い〉がいる。”近く”って言っても、この街くらいのどこかには、ってくらいだけどさ」

「ラガ橋には具体的な場所がわかるわけ」

「わかる。ある種の滞りみたいなものがあるんだ。衛星から探せる」

 彼の言っていることを総合すると、それでそれであの場所がわかった、ということにでもなるんだろうか。そうぼくは想像する。もっとも、〈魔法使い〉が何かちゃんと聞いていない以上、それがどこまで正しい認識なのかはわからない。

 ぼくの親友が言う〈魔法使い〉と、先輩の〈魔法使い〉は同じなんだろうか。

 別のものであってくれ、とぼくは願った。

「その滞りみたいなものは、今のところ人体に影響はないとされている。でもこれもまだ”されている”って話で、絶対ありませんって話でもない」

「だから、病院ね」

「念のためな」ラガ橋は言って、ぼくの肩を叩いた。「心配すんなよ、何もねぇって」

「脅かしたのはタケ兄じゃん」とぼくは呆れた。

 でもまあ、このラガ橋がそう言うのだから、きっとなんともないのだろう。


 信号が青に変わる。

 ぼくらは歩き出した。周りの人々も歩き出した。携帯端末を見ているひと、恋人と話しているひと、どこも見ていないひと、そして映画を観に行くぼくら。リープシフトとか、魔法使いとか、そういったファンタジー的な物事は、そこには関係がなかった。ただ信号が赤から青に変わり、電子の箱に閉じ込められた、昔々の小鳥が鳴いたから、歩き出した――それだけだ。


 でもここは、やっぱり交差点だったのだと思う。

 何かと何かの交わる場所。

 

 さっと左手の方から、光の幕が現れて、ぼくらを通過した。

 いや、通過したのはぼくらの方だった。

 一瞬の出来事で、ぼくらにはどうすることもできなかった。

 それに攫われたことにすら、気がつかなかった。

 足を上げて下ろした先は、車道ではなかった。横断歩道でもなかった。

 ぼくらは映画館の前にいた。


「〈リープシフト〉」と隣の親友が呟いた。

 

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