第59話 想いをのせて②
ハルカナが何を言っているのか、アルシノエは一瞬理解できなかった。
けんきゅういんさん? 来てくれた?
瞬き一回分の合間。
――ハルカナは、何を言ってるの?
アルシノエは戸惑った。さっきまでのうれしさはどこか遠いところへ行ってしまったようだった。
『けんきゅういんさん』というのは、もしかしてハルカナを造った人のことだろうか。それが『来てくれた』とは一体どういうことなのだろうか。そんなことが実際にあるわけがないとアルシノエは思う。なぜなら宇宙船の発射準備を整える間、基地の中はハルカナと二人であちこち歩き回ったからだ。どこにも、人影はおろか、人の過ごした痕跡さえ発見できなかったのだ。数十年は無人だった――そう言っていたのはハルカナ自身ではないか。
いや、そんなことよりも、
ハルカナはいったい誰と話しているのだ?
悪夢のような事実を突きつけられて、アルシノエは全身の血が凍りついていくように感じた。めちゃくちゃに混乱した。闇雲に駆け回りたいほどに焦った。
急かされるように声を吐き出す。
「ハルカナ! ねえハルカナ! そこには誰もいないよ!? へんじをしてよ!」
『……あの……あいたかっ……ごくがんばりま……ぼろぼろに……』
アルシノエの声はハルカナには届いてくれない。どこにもいない誰かに向かって、ハルカナは聞いたこともないようなうれしそうな声で語り続ける。
胸が引き裂かれたように痛んだ。ハルカナが本当に壊れてしまったことが、アルシノエの声がハルカナに届かないことが、ハルカナの語る相手がアルシノエでないことが、アルシノエの心をズタズタに切り裂いていく。あれほど我慢していた涙が溢れる。
声を絞り出す。
「ハルカナ……! うちの声を聞いて……っ!」
このレシーバーの先に、ハルカナはもういないのかもしれなかった。
『……まってくだ……かなもいっしょにいきますの……』
「だめハルカナッ! どこにいくのうちはここにいるよぉっ!!」
アルシノエの声はもはや悲鳴に近い。
そして、アルシノエの声に答えるかのように、それが起こった。
いきなり、頭の芯に直接響くような金属音が大音量で轟いた。
アルシノエはびっくりして座席の上で小さく跳ねる。
「なになになになになにいまの!?」
恐怖はそこからだった。
まるで狂ったように、金属を打ち鳴らす音が連続する。音だけで殺意を感じ取れそうな激しさ。破壊してでも中に入ろうとするかのような勢い。なにが起こっているのかアルシノエにはさっぱりわからない。どれだけ首を巡らせても、カタパルトバレルの中に納まった宇宙船からでは、外の様子は何一つ見えない。
苦しみと悲しみと焦りに加えて驚きとわけのわからない事態に対する恐怖まで同時にやってきて、アルシノエの脳ミソは完全にいっぱいいっぱいの恐慌状態だった。どの事態と向き合えばいいかてんでわからず、頭の中がぐるぐる回るし目も回る。
座席の上で散々暴れ回った挙句、目の前の操作盤に埋め込まれたモニターにようやく目がいった。ハルカナと通信していたやつだ。今は誰もいない制御室を虚しく映している。アルシノエは固定された座席から必死に手を伸ばしてモニターの周りにあるボタンを手当たり次第に押した。画面が変わった。
映し出されたのは、カタパルトバレル基部の発射施設内。つまり、カタパルトバレルのすぐ外側だ。
その映像の中で、今まさに、巨大な金属製の扉が、何かの冗談のように内側に吹き飛んだ。
今までとは比べ物にならない、脳に突き刺さるような破壊的な衝撃音。
そのあまりの音に、アルシノエは怯えた子猫のように身を竦ませて目を瞑る。そして、恐る恐るといった感じでそっと目を開いて見たモニターの中に、そいつらが姿を現した。
ファイバ。
ギガントが三体。
アルシノエは身体の芯から恐怖に震えた。
そいつらが獲物を物色するようにゆっくりと発射施設内に侵入してくる。映像の端に映る巨大な円筒形。それがカタパルトバレルで、今その中にアルシノエがいる。見えないとわかっているのに、思わずアルシノエは窓から外に目を向ける。見えるのは巨大なトンネルのような金属の曲面だけ。でも、今その向こう側にファイバが来ているのだ。怯えた小動物に似た動きでモニターに目を戻す。三体のファイバはそれぞれバラバラに、どんな獲物も見逃すまいという慎重な動きで発射施設内をうろつく。アルシノエは震え出した両手を祈るように合わせた。歯の根が合わないのを無理矢理噛み締めて抑える。とにかく音を立てちゃダメだ――かろうじてそれだけが頭に浮かぶ。じっとしているしかない。もう逃げられない。ここから出ることもできない。ここにいることがバレませんようにバレませんように――心の中で必死に祈る。目はモニターから一瞬もそらすことができない。
一体が、カタパルトバレルの方を向いた。
――来ないで! あっちいって!
声もなく叫ぶ。
そいつはそのまま、ぞっとするほど一直線にカタパルトバレルに向かってきた。アルシノエの頭の中が悲鳴で溢れる。もはやどうすることもできない。モニターに映る悪夢のような現実を絶望的な思いで眺める。
モニターの中のギガントが巨木のような腕を振り上げ、カタパルトバレルに叩きつけた。
振動と衝撃音が同時に来た。
「きゃああっ!?」
アルシノエは思わず悲鳴を上げたが、そんなことにも気付かないくらい心の中は恐怖にまみれていた。再び振動。衝撃音。アルシノエは頭を抱える。目を開けていることさえもう不可能だった。衝撃音がバレル内部で恐ろしいほどに反響して、周り中から襲い掛かってくる。立て続けの振動がアルシノエの理性も粉々に砕いていく。一撃ごとにアルシノエの命まで削られていくような感覚。もうダメ。もうムリ。どこにも逃げられない。無我夢中でアルシノエは叫んだ。命をかけた絶叫だった。
「ハルカナー! 助けてぇー! ハルカナへんじしてぇーっ!!」
ひときわ大きな振動。アルシノエの叫びが悲鳴に変わる。
アルシノエは頭を抱えて肥大化する恐怖に耐えながら、ハルカナからの返事が来るのを待ち続ける。耳元で聞こえる雑音。雑音。雑音。どこを探してもハルカナの声は見当たらない。最悪の想像が脳裏をよぎるがアルシノエはそれを認めない。ハルカナなら。ハルカナならきっと――。
音が止んだ。
――?
状況は何ひとつよくなっていないはずだったが、アルシノエはその誘惑に勝てなかった。
そっと片目を開け、頭を抱えていた腕を緩ませて隙間から外の様子を恐々と窺う。
最悪のタイミングだった。
ちょうど、そいつと目が合った。
「っひぅ」
喉の奥から潰れた悲鳴が漏れる。
フライトデッキより少し後方。宇宙船を支えるカタパルト台座付近に開いた亀裂から、ギガントが頭部を覗かせていた。
耳鳴り。
集合信号。
――見つかっちゃった!!
アルシノエの思考が蒸発した。
そいつが、その亀裂から中に侵入しようともがいている。
逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ――それ以外のことを考えることができない。カタパルトバレル内部という閉鎖空間に逃げ場などどこにもないのに、そんなことにさえ気付く余裕がない。早く逃げ出したいのに、アルシノエの身体を縛るベルトの外し方がどうしても思い出せない。あまりの焦りにどうしようもなくなって、アルシノエはベルトをメチャメチャに引っ張る。びくともしない。今にもギガントが入ってくる。アルシノエはベソをかきながら振り返る。
そこで、それを見た。
ほんの一瞬だけ見えたそれが、最後の姿だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます