第58話 想いをのせて①
その瞬間、いくつもの音が衝撃となってアルシノエの耳を叩いた。
轟音。爆音。そして、金切り声のようなノイズ。
その後は、すべて土砂降りのような雑音に飲まれた。
それ以外に、レシーバーはもう何も伝えてこない。ハルカナの声も、ハルカナの様子も。
背筋が音を立てて凍りついた。反対に全身から気持ちの悪い汗が吹き出した。何も考えられない。身動きもできない。息が苦しい。耳から滑り込んでくる雑音がアルシノエの頭の中を浸食していく。埋め尽くされる。アルシノエは叫んでいた。ハルカナっ!? ハルカナっ!! 反射的に身を起こそうとして全身を縛り付けるベルトに阻まれて座席に押さえつけられる。ベルトを外すことも、ベルトの外し方も頭の中から抜け落ちて、分厚い宇宙服に包まれた手足を駄々っ子みたいに振り回しながらハルカナの名を呼び続ける。自分の声が自分の声ではないように聞こえる。現実感が薄い。夢の中のような。信じられない現実。認めたくない事実。
雑音を垂れ流すレシーバーは何も答えてはくれない。
ハルカナが、やられちゃった――
氷よりも冷たい事実が、アルシノエの頭の中に有無を言わさず滑り込んできた。一切の熱を奪われて、アルシノエは再び座席の上で凍りつく。その事実があまりに冷たすぎて、それ以上考えを進めることができない。
ハルカナがやられちゃった。
アルシノエは人形のように空っぽの表情で、目の前に映るものを空気と同様に眺める。薄暗いフライトデッキ。宝石みたいな小さなランプの数々。どれを押しても爆発しそうな無数のボタン。四十五度傾いた空間。遥か一キロ先で、小さく丸く切り取られた、灰色の空。
ハルカナが、
そのとき、自分のでもハルカナのでもない、知らない女の人の声が響き渡った。
アルシノエは耳に入るに任せてぼんやりとそれを聞いていた。その言葉の大半はアルシノエには理解不能で何を言っているのかわからなかったが、一箇所だけわかったところがあった。
『発射、五分前』
宇宙船が発射される。本当に。あと五分で。
あと五分したら、発射されてしまうのだ。
じわりと、その言葉の意味するものがアルシノエの頭の中に染み込んできた。
あとたった五分で、この大地とお別れしてしまうのだ。ウルティオ・アイルの仲間と過ごした場所も、家族との思い出も、ファイバに怯えた日々も、ぜんぶ置き去りにして。このままだとアルシノエたったひとりで。ハルカナもいないのに。
急に心細さが胸の中に芽生えた。それは恐ろしい勢いで成長して、恐怖という名の影でアルシノエの心の中を覆い尽くした。
――イヤ。ひとりはイヤだ。
――ハルカナがいないなんて、ぜったいにイヤッ!
心の中で悲鳴を上げる。恐怖を堪えるように目を固く閉じる。歯を食いしばる。
ハルカナがいるからアルシノエはファイバの恐怖にもひとりぼっちの寂しさにも耐えられるのだ。ハルカナが一緒だからアルシノエは見も知らぬ楽園の星へと生きたまま行く気になったのだ。ハルカナを置いてひとりで行くなんて、そんなことは考えたくもなかった。
だったら、アルシノエのやるべきことはひとつしかなかった。
ハルカナを助けに行く。
アルシノエは決心した。ファイバがいようがあと五分しかなかろうが関係なかった。自分の望みを叶えてくれるのは、自分自身を置いて他にないのだ。助けられてばかりだったアルシノエにも、自らの道を自らの力で切り開き自らの足で歩くときが来たのだ。目を見開いた。ベルトを外しにかかる、
寸前で、その手が止まった。
雑音まみれのレシーバーが、微かにささやいた。
気のせいかもしれない。聞き間違いかもしれない。内心ではそう思いながら、耳に意識のぜんぶが集中するのを止められない。鳴り止まない警報がうるさくて苛々する。高鳴る鼓動の音さえ邪魔。
次は、確かに聞こえた。
『……れ……』
それだけしか聞き取れなかった。何を言っているのかさっぱりわからなかった。
それでも、
それは紛れもなく、
ハルカナの声だった。
アルシノエは顔中を喜びに染めて、思わず叫んだ。ベルトで固定されていなければ間違いなく跳び上がっていた。
「ハルカナっ! ハルカナ聞こえる!?」
耳障りな雑音。その向こう側から、ハルカナの声が見え隠れする。
『……あ……でなんで……うして……』
ハルカナが答えた。それだけでもう、アルシノエは世界が平和になったかのようにうれしくなった。ハルカナが生きていた。それに勝る喜びはなかった。
レシーバーに食らいつくように呼びかける。
「ハルカナ聞こえる!? だいじょーぶ!? へんじして!」
しばらくの間、沈黙が続く。雑音しか聞こえないのがこの上なく不安になる。
そして、次は、かなりはっきりと聞こえた。
それはこんなふうに聞こえた。
『……けんきゅういんさん……来てくれ……だ』
えっ――と思った。
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