第54話 最後のメモリ

 それはあまりにも突然だった。

 基地内すべてを埋め尽くさんばかりの、けたたましい警報。

 空間全部を一切合切塗り潰す、警戒色のどぎつい赤の点滅。

 次いで、女性の合成音声が感情の起伏を排除した口調で響き渡る。

『第四十七階層SSブロックに侵入者あり。保安部員は至急現場に向かわれたし。繰り返す。第四十七階層SSブロックに侵入者あり。保安部員は至急現場に向かわれたし』

 ――第四十七階層? 侵入者?

 ハルカナは弾かれたように顔を上げた。

 第四十七階層といえば、ハルカナたちがいるところからたったの三つ上だ。SSブロックは最重要機密区画だったはずだから、そこの警備システムに引っかかった者がいる、ということになる。者? ちがう、そんなものじゃない。

 エネルギー節約のために切っていた各種機能が半ば自動的に作動を始めた。アクティブソナー。ハルカナの人工声帯から放たれた高周波音が基地内を縦横無尽に音速で駆け抜けていく。次々と返ってくる反射音。無人のはずの地下迷宮。三層上。そこに反応があった。人とは異なるフォルムを持った、人より遥かに大きな未確認物体。

 ファイバだ。

 ファイバが基地内に侵入していたのだ。

 舌打ちしたい気分とはこういうものなのかと思う。エネルギー消費を抑えるためにほとんどの機能を止めていたのが仇になった。発射準備にかまかけて、基地内の安全確認まで手が回らなかったのも失敗だった。五十階層を超えるこの複雑怪奇な地下迷宮のどこかに、ファイバの巣があるに違いない。ハルカナたちが地下の奥深くで発射準備を進めている間に、奴らは自分たち目指してえっちらおっちらやって来たのだろう。警備システムに引っかかってくれなければ、最悪、目の前に現れるまで気付けなかった可能性もあったのだ。

 しかしどちらにしても、かなりまずい状況であることには変わりない。

 そのとき、不意にアルシノエの声が聞こえた。

『ハルカナハルカナ!? 聞こえる!? へんじして!?』

 つけっぱなしだったヘッドセットレシーバーからだった。恥ずかしいことに、つけていたことを完全に忘れていた。

 アルシノエの声をまだ聞けたことにちょっと喜んで、ハルカナは応える。

「聞こえます。聞いてます。記録もしてます」

『あ! へんじした! よかった! ねえこれなに!?』

「これは警報です。侵入者です。つまりはファイバです」

『――ッ』

 アルシノエの、息を呑むような小さな悲鳴。

 アルシノエと話しながら、ハルカナはなおもソナーを打ってファイバの動向を探る。数は捕捉できた範囲だけで十から十五。索敵範囲外にはもっといるかもしれない。明らかにハルカナたちを目指している動き。ハルカナとアルシノエの通信にも気付いているだろう。間にはたかだか三階層あるだけだ。奴らがここまで来るのに数分とかかるまい。

 ライトクラフトの発射は、間に合わない。

 あいつらを、何としてもアルシノエのところへ行かせるわけにはいかなかった。

 ハルカナは立ち上がる。レシーバー越しに、アルシノエへいつも通りの声をかける。

「心配いらないので。ハルカナに任せてくださいませ。アルシノエには繊維体一本触れさせないから」

『ハルカナ、ホントにだいじょうぶ……? だってハルカナも身体とかボロボロだし……』

 不安そうなアルシノエの声。

 それを打ち消すように、ハルカナは声のトーンを上げた。

「このくらいへーきへーき。だってだってほら、ハルカナが今までにアルシノエとの約束守れなかったことあります?」

『……ない、かも……』

「ですよねっ。なのでなので、アルシノエ、ハルカナを信じて」

『……、スンッ』

 しばしの沈黙と、鼻をすすり上げる音だけが返ってくる。

 その間にハルカナは通路へ出た。警報はいまだ鳴り止まない。赤色ランプが踊り狂う。変電室のドアから半径三メートルが、送電用ケーブルの、つまりはハルカナの動ける限界の範囲だった。

 現状を確認しておく。まず前提条件として、この場を離れることはできない。キャパシタへの電力供給を止めるわけにはいかないからだ。その上で、十から十五のファイバを、ここで、ハルカナのエネルギーが尽きるまでに、全滅させなければならない。もしくは、ライトクラフトが発射されるまで時間を稼げられればいい。武器は、そこに転がる対ファイバライフルのみ。

 言葉にすればたったこれだけのことだ、と思うことにした。目標さえはっきりすればいいので、それ以上深くは考えない。たぶん、成功確率を求めたら一の前にゼロがぶっ飛ぶくらい並ぶのだろうが、考えない。ハルカナの機体の状態は、左前腕欠損、右膝損傷、右光学センサー機能不全、赤外線センサー機能停止、衝撃吸収用人工皮膚四十パーセント損失、エネルギー残量五パーセント弱。その上そのエネルギーのほとんどを発電用に回さなければならないが、それらもぜんぶ、今は気にしない。

 そんなことは考えなくてもわかっていたことだからだ。しかし、だからといってそれが何だというのだ。ハルカナは約束したのだ。アルシノエを守ると。繊維体一本触れさせはしないと。そこに選択肢はなかったし、そもそも選択をする必要すらハルカナにはなかった。ハルカナにあるのは、どうやってやるか、ただそれだけだ。

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