第53話 翼のない天使⑤

 ハルカナは計算する。

 現在溜まっている七ギガワットのうち五ギガワットは、その昔まだ核融合式原子力発電が稼働していたころの最後の名残で、残りの二ギガワットが補助用地熱発電機が五時間以上かけて生み出した電力だ。ということは、残りの三ギガワットをあの発電機に頼ろうとすると、単純計算であと八時間近く待たなければいけないことになる。それではあまりに時間がかかりすぎる。今のハルカナたちにはそれほどの余裕はなかった。

 ――これしかない、かな。

 頭の中でそっと呟く。

 ハルカナに思い付く、たったひとつの、ハルカナに残された最後の手段だった。

 ためらいはない。迷いもない。覚悟を決める必要さえない。それがアルシノエとの約束を果たすための手段ならば、それこそが、ハルカナの存在理由そのものだから。

 ハルカナは顔を上げ、モニター内の、ようやく少し落ち着いた様子のアルシノエを見つめる。アルシノエもハルカナの視線に気付く。目が合う。

 何か言わなければ、とふとハルカナは思った。そう思った理由は、ハルカナにもよくわからない。

「――最後の、作業があるので。ちょっと行ってきますので。アルシノエ――待っててくださいませ」

『うん、わかった。待ってる。はやく戻ってきてね』

 ハルカナは頷いた。そして、こんな他愛もない会話だけで満足できた。

 モニターの中で手を振るアルシノエを振り切って、ハルカナは制御室を出た。ブレードを腰に下げ、全長百四十センチもある五十口径対ファイバ用ライフルを担いでいく。こいつはライフルの名が付いているがほとんど小型の滑腔砲のようなもので、アルシノエが使っていたサボットスラグ銃がおもちゃに見えるほどの威力を誇る。自身のエネルギーを消費せずに使えるのも今のハルカナにとってはこの上なくありがたい。

 目的の場所は基地のデータベースから確認してあった。 

 走る。広すぎるプラットホームを抜け、西側通路に出る。一分。到着する。その鉄製のドアには、「変電室」とあった。ドアノブに手をかける。鍵がかかっている。対ファイバライフルを通路に置いてブレードを抜く。ドアの隙間に刃を差し込み一瞬だけ起動。鍵はケーキのように切れた。ハルカナは中に入る。

 暗い室内。低い、頭の中で響いているような微かな唸り。壁際のスイッチを入れて電気を点ける。白々しい光に照らされた室内は、数十年分の埃と、壁といわず床といわず天井といわず部屋中のあらゆるところを埋め尽くす植物の根のようなケーブルの束と、所狭しと等間隔に並べられた石版のような大きな箱型の機械で満たされていた。

 ハルカナは手近な箱型の機械のひとつに近寄る。ハルカナよりも大きい。これが、大電力を必要とするレーザー発振器とマスドライバーを陰で支えている、蓄電・変電用のスーパーキャパシタである。この箱型の機械の中に、電気二重層型キャパシタセルが大量に詰まっていて、発電所で作られた電気を貪欲に溜め込んでいき、大電力として放出するのだ。

 つまり、発射シークエンスを実行させるためには、このスーパーキャパシタに必要電力を供給してやればよいということだ。

 電気を作るだけなら、ハルカナにもできる。ハルカナの身体の中に詰まった様々な電子機器を維持・運用するために、絶えることなく発電は行っている。

 そして、全てが特別製のハルカナの部品の中にあって、唯一、既存の機械と規格が合うところがある。

 外部部装甲接続用の、首の後ろのターミナル。

 ここだけが、外部とつながることのできるたったひとつのパーツ。

 ここからなら、外部へ電気を送ることができる。

 このターミナルからケーブルをつないで、ハルカナが直接スーパーキャパシタへ電気を送る。

 それが、ハルカナに残された最後の手段だった。

 そのためのケーブルも、発射準備のときにすでに探し出してあった。

 ハルカナのエネルギー残量はあと十パーセント。そのすべてを発電用に使えば、三ギガワットくらいなんとでもなる。してみせる。

 ハルカナは首の後ろのターミナルにケーブルをつなぐ。外部機器との接続認識を示す人工神経回路網内の電子音。早速送電を開始。力を吸い取られるような感覚。キャパシタは渇き切っており、電気を飲むのにどこまでも貪欲だった。与えても与えても渇きが満たされない。放っておくとハルカナのすべてを飲み込んでしまいそうな勢いである。エネルギー残量がじわりじわりと減っていく。苛立つくらいに遅いキャパシタの蓄電量の上昇率と、加速度的に焦りが増えていくハルカナのエネルギー残量の減少速度。気合や根性などどこにも入る余地のない、数値だけの力のやり取り。想いだけで力が生み出せるのなら、ハルカナだってそれに縋りたい。人間のように。

 ハルカナはキャパシタに背中を預けて座り込んだ。エネルギー残量は五パーセントを切ろうとしている。できるだけエネルギーの消費は抑えたかった。

 ――エネルギー、足りるかな?

 必要な電力量に、ギリギリ足りるか足りないか、といったところになりそうだ。足りなくても、あとほんのちょっとなら稼働中の発電機が何とかしてくれるだろう。もしちょっとでも余ってくれたなら、アルシノエと一緒に宇宙へ上がることもできるだろう。が、

 それは、きびしいかもしれない。

 約束をひとつ、破ることになってしまった。

 アルシノエに悪いことをしたな、と思う反面、ハルカナ自身は十分に満足していた。

 ほかの約束は、ちゃんと果たすことができそうだからだ。アルシノエを守り抜き、みんなの元へ送り届けることができた、と思っていた。ハルカナの存在は無意味じゃなかったし、存在する価値があったとようやく思える。正直に言うと、ほっとしたのだ。

 ほんとは、アルシノエと一緒に行ければ一番良かったのだが、そこまでは望むまい。

 でも、

 ――さよならくらいは、言いたかったな――

 ハルカナは目を閉じて、アルシノエの顔を思い浮かべようとした。

 そのとき、それが来た。

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