第45話 夜の世界④

 無事だったメモリの中に、送信記録があった。

 だからハルカナは、今夜はそうして過ごすことにした。

 その他の、過ごしてきたはずの夜の記録はすべて失われてしまったから。

 アルシノエと二人で過ごした夜のことも、ハルカナはもう思い出せなくなっていた。

 昼間の電磁波のせいだ。

 被害は他にもあって、起動してからの戦闘記録のいくつかがぶっ壊れていたし、『メガホイール』で過ごした日々の記録のあちこちに修復不可能な穴が開いていた。記憶野に保存されていたデータの半分近くが失われてしまった。

 感情野はそれを、悲しいことだと嘆いていた。

 確かに、重要なデータを失ってしまったのは残念だし、状況がより困難なものになったとは思う。

 しかし、中枢野はそれほど悲観的にはなっていない。

 なぜなら、もうすぐ『メガホイール』へ帰還できるはずだから。

 明日の昼前には、ジョバルド基地へ辿り着けるはずだから。

 そうすれば、あとは船を動かして『メガホイール』へ帰るだけだ。

 みんなの待つ『メガホイール』へ。

 感情野が自然と浮かれ出す。送る信号にも気合いが入る。

 『メガホイール』からの返事はまだ来ないし、世界中のどこからもハルカナを呼ぶ電波の声は聞こえてこないけど、でもきっと『メガホイール』のみんなはハルカナが帰ってくるのを待っているはずだ。

 救出できた人類はたった二人だけだけど、それでもきっとみんなはハルカナを褒めてくれるに違いない。そしてボロボロになったハルカナを、いろいろと小言を言いながらもちゃんと直してくれるのだ。

 だから、ハルカナは大丈夫。

 たくさんのことを思い出せなくなっても、悲しむ必要なんてない。

 そろそろかな、とハルカナはタイマーを確認する。

 通信を試みてから、もうすぐ三時間が経とうとしていた。

 この辺で一度中断するつもりだった。

 周辺の警戒のためだ。

 通信と同時に電波探査も行ってはいたが、電波も隠して近づいて来る奴がいるかもしれない。光学と音響でもしっかりと安全確認をしておかねば。

 ハルカナは通信を停止し、その他のセンサーの機能を復帰させる。

 音が戻った。聞き慣れた風の音。

 目を開く。左側だけとなった光学センサーが捉えた現状は、通信状態に入る前と変わらない光量ゼロの夜の闇。

 ハルカナは今にも崩れそうな壁の上に座ったまま、首を巡らせた。見える範囲に異常はない。テントもちゃんと無事だ。

 耳を極限まで澄ます。どれだけ探っても聞こえるのは風の音だけ。それ以外の音は少なくとも半径五十メートル以内には存在しない。

 まったく。

 ハルカナは気付く。それが意味することに。

 風の音以外に音が存在しない。

 アルシノエとノビリオルがいるはずのテントの中からも。

 ハルカナの音響センサーならば、たかだか数メートル先にあるテントの中の人の呼吸音を聞き取ることくらい造作もないことだ。

 それが聞こえないということは。

 ハルカナは最大戦速でテントへ駆け込んだ。

 外より濃い闇。違和感を覚えるほどの静かさ。

 見覚えのない、空っぽの空間。

 アルシノエが、いない。

 ノビリオルも。

 ぞっとした。

 感情野があっさりとパニクった。

 周囲に伝染しそうになるそれを中枢野がすんでのところで食い止め、隔離する。まず行動する。それだけの存在になる。

 テントの中にさっと視線を走らせる。隠れられるところはどこにもない。中には確実にいない。わかり切っていることから順番に可能性を潰していく。ハルカナは次に外に出る。テントの周りをぐるりと回る。どこにもいない。近くにはいない。再びテントの中へ。次はどうする。そこで気付いた。荷物もきれいさっぱりなくなっている。荷物を持って、行ったのだ。どこへ? 決まっている。別の街だ。ノビリオルがずっとそう主張していたではないか。

 ハルカナはテントを飛び出した。

 すぐにでも探しに駆け回ろうとする機体管制野をなだめすかせながら、ハルカナは鉄砂漠に這いつくばり、、アンテナ髪を起こして鉄砂漠の表面を電波走査。方向を変えて三度目で目的のものが見つかった。

 鉄屑の丘の斜面に残る、人間二人分が歩いたと思しき崩れだ。

 それは、「島」の名残りを出て、東の方へ向かっていた。

 そうとわかったとき、ハルカナはすでに駆け出していた。

 ハルカナが通信を始めてから、およそ三時間。つまり、アルシノエとノビリオルは最長で三時間分先に進んでいることになる。

 ファイバがいる、夜の闇の中へ。

 ――間に合わないかもしれない。

 その可能性を検証しようとする情報処理野を、ハルカナは力ずくで閉じた。そのまま、もう何も考えない。壊れかけの脚と残りわずかなエネルギーの限界まで、走ることだけに集中する。

 深い深い闇がどこまでも続く。

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