第41話 不協和音④

 ノビリオルが蹴られた腰をさすりながら近づいてくる。横でうずくまっていたアルシノエが、恐る恐るといった様子で顔を上げる。

「……お、終わった……?」

 終わった。確かに全部倒した。しかしハルカナは、アルシノエにそう答えることを躊躇った。違和感があった。警戒をまだ解くことができない。違和感の発生源は記憶野だ。謎の多いファイバの生態に関する情報。そう、ファイバは群れで行動する。群れには必ず司令個体が存在する。それは、どの規模の群れでも同じ。しかし、今の三体のいずれもが司令個体ではなかった。つまり、司令個体は別にいる!

 ハルカナは風を巻き起こすほどの勢いで辺りを見渡した。そして気付いた。

 北の方角。百メートルほど先。電磁波の雄叫び。攻性反応。鉄屑が盛り上がってそいつが姿を現した。

 体長三メートルほどの人型。肥満体型のゴリラみたいな奴。頭頂部には特徴的な馬鹿でかい一本の突起。

 そいつがお辞儀をするように身体を前に傾け、その突起をハルカナたちに向けた。突起を構成する繊維体が花のように開いた。

 ――ッ!!

 思考する余裕もなかった。強烈な危機感。反応速度限界の速さでハルカナはアルシノエを抱えてその場を離脱した。右腕しか使えなかったのでブレードは投げ捨てるしかなかった。直後、背後で異常な数値の電磁波の嵐。超高出力のマイクロウェーブ。電子機器なら一瞬でおシャカ、生物でも体表面が焼け爛れ、ハルカナの対電磁波障壁でさえ無意味に思えるレベル。そんな凶悪な殺傷電磁波が、音も光もなくハルカナのすぐ後ろを通り過ぎた。

 鉄屑の上を二人絡まるようにしてごろごろ転がってからハルカナは跳ねるように起き上がる。右腕には、なにがなんだかわからず目を回してぐったりしているアルシノエを抱えたまま。素早く視線を走らせる。射線の外にいたノビリオルは無事。驚いたように固まっている。相手の様子は、

 そいつが、前傾の姿勢から身体を起こした。すぐに第二射を放ってくる気配はない。向こうもこちらの出方を窺っているのだ。

 あの一撃が、あいつにとっても必殺の一撃だったに違いない。あの丸々とした体型が示す通り素早く動けないあいつは、トーピードウを使って気を引き付けておく傍ら、戦闘に紛れてこっそりと近付き、あの必殺の一撃を見舞う機会を窺っていたのだろう。

 レディオヘッド、という名称があいつには与えられている。電磁波で意思の疎通を図るファイバの中において、唯一その電磁波を兵器のレベルにまで高めた一種だ。あの巨大な突起の部分はパラボラアンテナとまったく同じ機能を持っているとされ、花のように開いて先端の発振器から発した電磁波を集束、指向性を持たせて放つことができる。レディオヘッドが放つ超高出力のマイクロウェーブは、最大でおよそ百ギガヘルツ、数百万キロワットという、調理用電子レンジのゆうに数千万倍の威力に達する。防衛戦争初期のころは、まさに生体HPMW――ハイパワーマイクロウェーブウェポン――とも言うべきこいつに散々電子機器を無力化され、それまでの高度に電子化された兵器では手も足も出なかったらしい。

 あんまり時間かけてられないな。ハルカナは瞬間的に考える。戦闘出力での行動は、できればあと十秒以内に抑えたい。あいつと戦うときのセオリーは、電磁波攻撃の射程外からの長距離射撃か中距離での高機動射撃。なのだが、走って数秒で行ける距離にサボットスラグ銃がない。取りに行く時間も惜しい。ブレードならすぐ近くにあるから、これで殺る。速攻のゼロ距離白兵戦で一撃必殺だ。

 右腕に抱えていたアルシノエを手放す。アルシノエがごろりんと鉄屑の上に転がった。

「隠れててくださいませ。すぐに片付けてきますので」

 そう言い残して、ハルカナは配置について、よーい、

 どんっ!

 弾丸となって駆け出した。

 まずはブレードの回収が先。レディオヘッドが反応。前傾姿勢の照射体勢。一秒。砲台のように向きを変えてハルカナを追尾してくる。ハルカナは滑り込みざまブレードを回収、と同時に急停止。数十センチ先に嵐のような電磁波の異常数値。二秒。方向転換、右から回り込むようにレディオヘッドへ向かう。距離はあと八十。三秒。レディオヘッドがぐるりと向きを変えた。第二射が来る。四秒。ハルカナは稲妻のような六十度ターン、左回りに切り替える。その動きについてこれなかったレディオヘッドが明後日の方向に照射している。五秒。距離は四十。いける。ハルカナはレディオヘッドへ直進。六秒。レディオヘッドが慌ててハルカナに向き直る。遅い。七秒。相手の照射体勢。そのときにはすでに、ハルカナは最速の右ステップで射軸を外していた。最後の五メートルを滑るように接近し、レディオヘッドの左脇下に潜り込む。八秒。殺った。その瞬間、パラボラアンテナ状になっていた繊維体が無秩序にバラけた。乱反射――その言葉が瞬時に思考野内に浮かんだ。

 ――ッ!

 ほんの一瞬、誤差にも満たない刹那で離れることを考えた。そう考えた分だけブレードが出遅れた。

 その出遅れた分だけ、ハルカナは周囲無差別の電磁波放射を浴びた。

 ハルカナの振るったブレードがレディオヘッドの中枢繊維体を斬り裂いたのは、さらにその一瞬後だった。

 全身を放電が駆け抜ける。

 レディオヘッドが瞬間的に放った電磁波は、ハルカナの身体に触れるなり殺人的な過負荷電圧となって体内の電子回路を蹂躙した。まず、物理的な対電磁波障壁が高波の前の防波堤が如くあっさりと破壊され、それらに守られていた情報処理野が発狂、身体全体に張り巡らされていた電子神経回路をズタズタにされ、記憶野に保存されていたデータが次々に死んでいった。外部からの情報が一切遮断される。狂った情報処理野は手当たり次第に音・圧・電・熱・気・放各センサーにとんでもない数値を送り出し、色とりどりの警告音を大合唱させる。光学センサーはブラックアウトしたままウンともスンとも言わない。どれだけ全身に信号を送っても返ってくるのは大量のエラー。身体は完全に制御を離れ、現状把握もままならない。記憶野はひどかった。その六割が死に絶えた。ファイバのデータの半分近くが解読不可能の無意味な文字列に化け、これまでの戦闘記録の大半をごっそりと削り取られ、今までの活動記録も気が遠のくほど大量に失った。目覚めてから学んだ色々なことも、大量に取っておいた複製ごと散々に食い荒らされて、残った欠片を掻き集めてひとつ分のデータにつなぎ合わせるのでやっとだった。過去の映像データは目も当てられない。虫食いだらけのノイズまみれで、再生不可能な産業廃棄物の山と化していた。一瞬だけ躊躇った。しかしハルカナは結局、それらの修復不可能になったデータを全部まとめて消去した。今はもう重荷になるだけだった。そこからは早かった。ズタズタに切り裂かれた電子神経回路にあの手この手でバイパスを設け、次々と身体各部位を復旧していく。いまだ狂乱の極みにある情報処理野を殴りつけるようにシャットダウンし、すぐさま叩き起こして急いで再起動させた。四肢に信号が行き渡る。各種センサーが次々に回復し、音響センサーと左の光学センサーがようやく外部情報を伝えてきた。

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