第39話 不協和音②
翌朝の寝起きの悪さといったらなかった。
まず起こされたこと自体に条件反射で抵抗した。まだまだ眠っていたいのに、しつこいくらいに起こそうとしてくる相手にアルシノエはつい、「やめてったら!」と怒鳴ってしまった。寝袋の中で懸命に身をよじって、地震のように容赦なく揺すってくる悪魔の手から逃れる。
「……おきるおきるからっ」
アルシノエは鉛のように重たいまぶたを頑張って数ミリだけこじ開けて、わずかな隙間から相手の顔を見上げる。
焦点の合わない小さな視界の中に、ハルカナがいた。その口が何かを喋るように動いたが、残念ながらそれを意味のある言葉としてアルシノエの耳は捉えられなかった。けれども彼女は適当に「わかったわかったから」と頷いてみせた。
ハルカナが動いて、視界から出て行く。
そこで力尽きて、アルシノエはわずかに開いていたまぶたを再び閉じた。
泥のような眠気に、意識が砂糖よりも容易く溶けていく。
――――――
意識に空白があった。
アルシノエははっとして目を見開いた。
いつの間にか眠ってしまっていたのだ。
……はやくおきなきゃ。
ぼんやりと霞掛かった頭で、そう思う。もたもたと寝袋から這いずり出て、見慣れない周囲の光景に一瞬戸惑い、そういえば脱出ポッドとかいうのの中にいたことをじんわりと思い出す。薄暗いポッド内にはアルシノエ以外誰もいない。扉が開いていて、外はもううっすらと明るい。
外に出ると、ハルカナが待っていたように突っ立っていた。
「……おはよ」
アルシノエは低い温度で呟くように挨拶した。
「おはようございますアルシノエっ。朝ごはんですどうぞっ。好きなのを食べてくださいませっ」
ハルカナがそう言って缶詰めを十個くらい右腕で抱えて持ってくる。そのせっかちさが今はちょっと面倒くさく感じる。アルシノエはなんでもいいから適当に二つほど選んだ。
「まだ眠そうやないかこっちの娘っ子は。もっと寝かしてやりゃよかったんじゃないかのう」
ノビリオルもいた。地べたに座り脱出ポッドを背もたれにして、先に缶詰めを食べている。
「あんまりのんびりできないので」
ハルカナがそう答えると、ノビリオルは皮肉ったらしい口調で、
「冷たい娘やのう。こっちの娘っ子はまだ子どもじゃろうに。やっぱ機械だからかの」
空気が刺々しくなるのを感じる。
アルシノエは逃げるように二人から少し離れた場所で缶詰めを食べた。書いてある文字は読めなかったが、ひとつはほんのり甘い黄色のつぶつぶで、もうひとつは何かの肉っぽかった。缶詰めの美味しさだけがアルシノエを癒してくれた。
食事はすぐに終わった。二缶だけでは物足りなく感じたが、そのくせ食欲はあまりなかった。全身に疲れがべっとりとこびりついている感じがして、自分の身体じゃないみたいに重かった。頭の奥の方が麻痺したみたいに動いておらず、出発の準備をしているハルカナとノビリオルをひとりぼんやりと眺めていた。食欲なんかより睡眠欲の方がはるかに強い。目を瞑れば三秒以内に眠れる。ぜったいに。
昨日までの疲れが、まるっきりアルシノエの全身に残っていた。メムノンまでひたすら集中して単車を運転してきた疲労感に加え、ファイバを避けるための途切れることのない見えない戦いが病のようにじわじわとアルシノエの神経を磨り減らしていた。そこに、昨日のファイバの襲撃が追い討ちとなった。再びファイバを目にしたことで、あの停泊地近くでの出来事が呪いのようにアルシノエの脳裏によみがえり、極度の緊張感と恐怖を彼女に強いていた。一日経って、その反動がアルシノエの精神をズタボロにしていた。
正直、今日も一日ファイバがいるであろう鉄砂漠の中を歩き続けるのかと思うと、気が滅入る思いだった。ため息が勝手に口からこぼれてしまう。
「出発、しますので」
脱出ポッドの中にあったものを限界まで詰め込んだ背嚢を背負って、ハルカナが言った。
そんなに慌てる必要なんぞありゃせんじゃろうに、とぼそりとこぼしたノビリオルの呟きを聞かなかったことにして、アルシノエはのそりと立ち上がった。
一晩過ごした脱出ポッドをその場に残して、三人は南へ向かう。
先頭を歩くハルカナはこれまでの苦労など微塵も感じさせない足取りで鉄砂漠の中をどんどんと進んでいく。特別速い速度で進んでいるわけではないのだろうが、今のアルシノエにはそれについていくだけで精一杯だった。ノビリオルなんかはさらに遅れている。
結果、三人がほとんどバラバラに歩いているくらいにお互いが離れてしまっていた。ちょっとくらい歩くのゆっくりしてくれたっていいじゃない、とアルシノエは荒い息をつきながらハルカナにひと言言ってやりたい気持ちもある反面、今はお互いこのくらい離れていた方がいいかも、という思いもあった。
理由は、もちろん昨晩のことだ。ハルカナとノビリオルの意見の食い違いが、今もアルシノエの心をかき乱し続けていた。
前を歩くハルカナの背負う小綺麗な背嚢をぼんやりと見つめながら、アルシノエはもんもんと考える。
ハルカナはジョバルドとかいう廃墟のあるノラ山地に行くと言い張り、ノビリオルはそこには何もないから別の街に行くべき、と言っていた。
正直、アルシノエにはどっちが正しいのかわからなくなっていた。
ハルカナのことはもちろん信頼している、つもりだ。今まで何度も助けてもらったし、ウルティオ・アイルのみんなを探すのも手伝ってくれている。アルシノエひとりではここまで来れなかったどころか、生き延びていられたかどうかでさえ怪しい。だから、ハルカナの言うことを信じてノラ山地へ行くべきだ、という思いは確かにある。
でも、とその一方で頭ではこう考えている。
ノビリオルの意見も決して間違っているとは思えないのだ。彼の言う通り、別の街に向かったっていいと思うのだ。確かに食糧がギリギリの量しかないというのもわかるけど、それを言ったらノラ山地に向かうのだって十分に危険だ。なんと言ったってそこには確実にファイバがいるのだから。そのことを考えれば、危険度的にはノラ山地に向かうのも別の街へ向かうのもさほど変わらないように思える。
そしてさらにシーカーのはしくれとして付け加えるなら、ジョバルドとかいう廃墟に、メムノンにあったような船が残されているとは思えないし、ウルティオ・アイルのみんながそこに逃げ込むことはあり得ない。しかし別の街なら、もしかしたら誰かがいるかもしれない。
そう考えていけばいくほど、アルシノエもなんだかノビリオルの意見に賛成の方に近づいてきたように思う。
アルシノエはずいぶん先に行ってしまったハルカナの後ろ姿を見やる。
ハルカナはなんでそんなに頑なにノビリオルの意見を拒んだんだろう。そんな疑問がふと頭に浮かぶ。食糧がギリギリだから。そんなに余裕がないから。そんな風な理由を言っていた。でもそんなの、食べる量を節約すれば大丈夫なんじゃないだろうか。あそこまで強く拒む理由にはならないように思うのだ。アルシノエはなんとなく、ハルカナの態度に不自然なものを感じた。
もしかしてとは思うが、ハルカナがノラ山地に向かうのには、船があるはずだからというのとは別の理由があるんじゃないだろうか。
アルシノエがその可能性に思い至ったとき、背筋にぞくりとするものを感じた。
まさか。でも。絶対なんて言い切れない。
ハルカナだって結局のところはロボットなのだ。どれほどすごい性能をしていたって、どんなに人間みたいに思えても、所詮はロボットなのだ。ハルカナの考える機能に異常がないとは言い切れない。どこかが故障しているのかもしれない。いやそもそも、ハルカナはそういうロボットなのかもしれない。
つまり、ファイバがいるからノラ山地に向かっている可能性がある、ということだ。
あれほどの戦闘力を持ったロボットだ。ハルカナの目的は実はアルシノエを助けることではなく、人類を救うというのも本当はついでで、一番の目的はファイバと戦い、奴らを殲滅することではないのだろうか。
足が重い。呼吸が乱れる。ハルカナとの距離がまた広がっている。酸素の不足した頭で、アルシノエは迷路のように思考する。
ハルカナの目的が戦うことだとしたら、何もないはずの廃墟へわざわざ向かう理由にもなる。船があるかもしれないというのは口実で、本当のところはファイバさえいればいいんじゃないだろうか。思いっきり戦えればそれでいいと考えているんじゃないだろうか。
ハルカナは、ロボットなのだから。
そしてもしアルシノエのこの考えが正しいのならば、このままハルカナについていくのは危険ということになる。
アルシノエははっとして顔を上げた。
そのときだった。
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