第38話 不協和音①

 観測できないものはわからない。

 仕方がない。ハルカナとはそういう存在だ。

 メムノンを脱出した後、鉄砂漠を歩く三人の間に流れていた空気には、奇妙な重さがあった。粘り気のある、息苦しくなるような、質量を感じる空気。

 人であればそれは、「気まずい」と表現できたかもしれない。ただ残念なことに、ハルカナのセンサーでは周囲の空気に一切の変化は見られなかった。だからハルカナはそれに気付けない。

 最後尾をだらだらと歩くノビリオルが小声で不満をぶちぶちと呟いていても、真ん中のアルシノエが板挟みにされて為す術もなく俯いていても、ハルカナは周囲にしか気を配ろうとせず目的地に向かうことしか考えていない。

 お互いの距離が微妙に離れていることにも気付かないまま。



 そもそものきっかけは、メムノンを脱出したその日の夜のことだった。

 発射の衝撃に叩きのめされ、空中分解しそうな振動に打ちのめされ、自由落下の浮遊感に心を打ち砕かれ、落下傘の急減速に叩きつけられ最後に着陸の衝撃で止めを刺された三人は這う這うの体で脱出ポッドから這い出し、その日はそこで脱出ポッドをテント代わりに一夜を過ごすことにした。

 ハルカナとアルシノエが乗ってきた単車は、荷車にあった荷物も含めて全部メムノンに置いてきてしまった。あの状況では取りに行くことなど不可能であったし、まさかこんなことになるなんてハルカナにも予測はできなかった。

 幸いなことに脱出ポッド内にはサバイバルキットが備え付けてあって、折り畳み式の簡易テントや一週間分くらいの保存食、救急箱に水に簡易調理セットまで用意されていた。アルシノエはさっそく救急箱から包帯をあるだけ取り出して、ハルカナの壊れた左腕をぐるぐる巻きにしてくれた。もちろんこれで直るわけではないけれど、ハルカナはアルシノエのその心遣いだけで泣きたくなるほど嬉しいのだ。

 ノビリオルなんかは缶詰めの保存食を食えるのかと訝っていたが、ハルカナの知識によれば大丈夫だ。この缶詰めは一世紀はもつように作られている。それ以前のものだったらわからないけれど。とりあえずこれだけあれば当面の間はアルシノエもノビリオルも飢え死にすることはないだろう。

 あと手元にあるものといえば、ずっと持っていた携帯式の投光器と超振動ブレード、ノビリオルがどこからか調達していたサボットスラグ銃が一丁と、あとはハルカナの戦闘服の内ポケットに仕舞われている「大事なことノート」一冊、だけだ。。

 これだけを頼りにハルカナはアルシノエとノビリオルを守って、二人を安全な『メガホイール』まで連れて行かなければならない。

 残り二十五パーセントを切ったエネルギーが切れる前に。

 すでに辺りは薄暗く、果てしない鉄砂漠にそびえ立っていたメムノンも今はもう闇に紛れて見えない。

 ハルカナたちは脱出ポッドの扉を閉めて中に籠り、天井から吊るした投光器の明かりを頼りに食事をした。アルシノエとノビリオルはサバの水煮風味合成肉の缶詰めをうまいうまいと言ってペロリと平らげ、粉末スープをお湯で戻して満足げにすすっている。食事を作る必要がなくなったハルカナは食事を摂る二人を彫像のように眺めているだけだった。一応これでもアンテナ髪をくるくる動かしながら音波と電波で周辺警戒に励んでいるつもりである。

 スープをちびちびとすする音だけが響く、静かな時間。

 それを破ったのはノビリオルであった。

「――で、あんたらはこの先どこ行くつもりなんじゃ?」

 アルシノエがぼんやりとノビリオルに目を向けた。それだけで、特に返事をするつもりはないようだ。

 代わり、というわけではないが、ハルカナが当然のように答える。

「それはもちろん、ジョバルド基地へ向かいますけれど」

「わしゃ反対じゃ」

 あまりにあっさりとノビリオルがそう言うものだから、ハルカナもアルシノエも最初すぐには反応できなかった。

 ようやく言葉の意味に気付いたアルシノエがうっすらと驚く。

 ハルカナは反対するノビリオルの思考が理解不能だ。

 ノビリオルがスープをずずっとすすり、目を上げようともせず、

「さっきも言うたがの、そのぉジョバなんとかっつうのはまず間違いなくノラ山地の中にある廃墟じゃ。んで、これも言うたがノラ山地は完全にファイバの支配領域やしその廃墟にも大したもんはもう残っとらんはずじゃ。あんたの言う船なんつうもんなんぞあるわきゃないぞ。あったらそんなもん、シーカーどもがとっくに見つけとるはずじゃ。なぁ、そっちの娘っ子さんよ、そうじゃろ?」

 不意にノビリオルから話を振られて、アルシノエは、え、うち? という顔をして戸惑った。ハルカナとノビリオルが自分に注目していることに気付いて、顎に人差し指を当てて考え込んで、それからしぶしぶという感じで頷いた。

「まあ、そう、かも」

「そうじゃろそうじゃろ」

 ノビリオルが得意気に頷き、さらに主張を重ねる。

「まずな、ノラ山地に向かうっつうのがあかん。そこぉファイバの支配領域言うたやろ、んなもん近づいただけでまぁた襲われるぞ。じゃからそんなところに向かうんじゃのうて、別の街に行くべきじゃな。まだ食料があるうちにの。お前さんもそう思うじゃろ」

 またもやノビリオルから同意を求められて、しかし今度はアルシノエは素直に頷けない。話の内容としては理解できるものの、かといってハルカナに反対したいわけでもない。ノビリオルの意見に簡単に従うのもなんだかいやだ。ハルカナの顔を見、ノビリオルに目を向け、結局首を捻るだけで曖昧に誤魔化した。

 別にハルカナだって、別の街に行けるものなら行ったってよいのだ。人類がいればそれだけ救うことができるのだから。余裕さえあれば。

「そのっ、ここから次に近い、次って言うのはメムノンの次にって意味なのですけれど、次に近い街まではどのくらいで行けるのでしょうか?」

 ハルカナが尋ねると、ノビリオルは「そうじゃの、」と前置きしてからしばし考え、

「歩きなら七日かの。七日もあれば十分着けるはずじゃ。食糧は一週間分くらいあんのやろ、なんとかなるやろ」

「きゃ、却下ですっ」

 今度はハルカナが反対する番だ。

「なぜって、ここはとても歩きにくいので、ファイバもいるかもなので危険過ぎるのでっ。食糧は一週間分くらい『しか』ないのでっ。そんなに余裕はありませんのでっ」

 そう。もうそんな余裕はハルカナの方にもないのだ。

 彼女に残されたエネルギーでは、一週間かかる距離にある街までは、おそらく辿り着くことはできないのだ。

 今の消耗率で行くとあと三日か四日もつかもたないかだ。戦闘を行えばその日数はさらに短くなるだろうし、戦闘機動が合計三十分を超えればスッカラカンになってしまうだろう。

 結局のところ、ハルカナにはジョバルド基地へ向かうしか道は残されていないのだった。

 それを伝えれば、ノビリオルもジョバルド基地へ向かうことに賛成してくれるかもしれない。

 しかし、それはハルカナにはどうしてもできないことだ。

 それを伝えてしまったら、きっとアルシノエもノビリオルもハルカナのことを役立たずと思うだろう。期待外れに感じさせてしまうかもしれない。ウルティオ・アイルの仲間と合流して、みんなを宇宙に連れていくという約束を果たせないハルカナのことなんか、置いていってしまうに違いない。

 それは、それだけはぜったいにいや。

 ハルカナ自身はどうなろうと、アルシノエとの約束だけはなにがなんでも果たしたい。

 アルシノエの役に立ちたい。

 結局はこちらも賭けなのだが、ジョバルド基地に船がありさえすればすべての問題はきれいさっぱり解決できるはずなのだ。そして、船が残されているという可能性はそれほど低くはない、とハルカナは見積もっている。少なくとも、ここから一週間ほどかけて他の街に無事辿り着ける可能性よりは。

「ハルカナは、予定通りジョバルド基地へ向かいますのでっ。あとはハルカナに任せてくださいませっ」

 ハルカナは意気込んでそう宣言したが、ノビリオルはいつまでも不満顔で、アルシノエは何も言えず俯いているだけだった。

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