第37話 飛べないものたちのやり方③

 ひとりを食ったファイバも既に戦闘態勢を取っている。ハルカナはそいつを三角跳びで避けて後回しにし、もうひとりの人間を捕えているファイバに向かう。捕えられている人間はまだ生きている。助ける。

 ファイバが人間に構うのを止め、ハルカナに意識を向けた。怒りの電磁波。送れるものならハルカナも激怒の電磁波を放ってやりたい。梯子、壁、梯子と跳んで、最後はファイバの真下からタイミングを変えて真上に向かって電撃の強襲。完全にファイバの虚を突いて、一撃で仕留める、はずが、

 こともあろうに、ファイバが人間を投げ捨てた。

 ハルカナは空中に放り出された人間に気を取られてしまった。太刀筋が乱れる。刃がファイバを捉えたが浅い。中枢繊維体には届いていない。落ちていく人間。ハルカナは精密機械の正確さで両足を動かして梯子を使って減速、停止、すぐさま人間を追おうとしたところでファイバが二本の太い腕を形作って掴みかかってきた。

 ――邪魔っ!

 ハルカナは梯子を蹴ってその腕をかわし、壁を使って加速して落ちた人間を追う。

 人間は、もう一体のファイバに捕えられていた。

 ハルカナは瞬間的にブレードを投擲、爆発的な加速と回転力を与えられたブレードは、しかし、ファイバの表面に突き立っただけだった。

 ファイバが煩わしそうにそのブレードに意識を向けた瞬間、ハルカナがそこに落下、柄を握り起動、超振動を与えられたブレードが一気にファイバの身体に食い込み、中枢繊維体を溶断した。

 ハルカナは素早く梯子に飛び移り、落ちてくる人間に左手を伸ばす。

「掴まってくださいませっ」

 口に投光器をくわえていても、そのくらいは発声できる。

 人間は、目を見開いたまま、ハルカナの言葉にも伸ばした手にも反応することなく闇の底へ落ちていった。

 既に、事切れていた。

 ハルカナは呆然と下を見下ろす。二人の人間を助けられなかったことに、回路が焼き切れるほどの衝撃を受けている。

 と、そこに、

「――おぉい、わしを置いてかんでくれぇい」

 口にくわえた投光器の放つ光の中に、ノビリオルの姿が浮かんできた。

 そうだ。ハルカナは思考を切り替える。まだノビリオルがいる。彼だけでも、彼だけは絶対に、助けてみせる。

 そのとき、ハルカナの中で緊急警戒警報が鳴り響いた。

 背後、上から。接近してくる速い。

 振り返ったハルカナが目にしたのは、ほぼ捨て身で飛び掛かってくるギガントの姿だった。

 ギガントが丸太のような両腕を繰り出す。ハルカナの振るったブレードはギガントの右手首と左上腕を斬り飛ばすので限界だった。胴体を分断するのには間に合わない。ギガントがぶつかってくる。引き伸ばされた時間の中でハルカナは動く。ブレードが間に合わなければ、まだ左腕がある。壊れかけた左腕一本くらいくれてやる。

 ハルカナはほとんど動かなくなった左腕を、ぶん投げる勢いで思い切り振るった。左腕は落ちてくるギガントの胴体を易々と切り裂いていく。同じ速度で左腕全体が壊れていく。

 ギガントの身体がハルカナに激突し、ハルカナが仰け反り、ハルカナの身体を支えていた足が梯子から外れかけ、その一瞬後に中枢繊維体を破壊されたギガントの身体が形と力を失いバラバラと落ちていった。

 あらわになった左腕は、肘関節が千切れかけて、前腕が力なくぶら下がっていた。

「あんたァその腕……、き、機械か……? 大丈夫なんか……?」

 ようやくハルカナに追いついたノビリオルが、ハルカナの壊れた左腕を目にして衝撃を受けている。

 しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。船体縦貫連絡通路の下から、ファイバの反応が続々と登ってきているのだ。

 ハルカナはブレードを仕舞い、口にくわえていた投光器を右手に持ち替えてノビリオルを急かす。

「いいからいいから! ハルカナのことはどうでもいいから! 早く登って下から来てるので!」

 ノビリオルがぎょっとした顔をして、必死になって梯子を登り始めた。

 ハルカナはノビリオルを先に行かせて、そのあとから登る。いざとなったら、ハルカナが時間を稼いでノビリオルを逃がすつもりだ。

 ノビリオルはおそらくきっとこの上なく全力を尽くして梯子を登っているのだろうが、その速度は気合の入ったカメなら追い抜かれかねないほどの遅さだ。下から追いかけてくるファイバの反応は一秒ごとにその差を縮めてきて、どうしようもなく焦ったハルカナは声の限りにノビリオルを叱咤激励し続ける。上を見上げればもう出口は見えている。下を見下ろせばファイバの赤い目が無数に蠢いている。早く早く。急いで急いで。ノビリオルは今にも息が切れそうだ。止まったら確実に追いつかれる。上からハルカナを呼ぶアルシノエの声。もうちょっと。もうちょっと。ファイバはもう肉眼で確認できる距離。ノビリオルは死にそうな呼吸をしている。止まっちゃダメ。アルシノエが足場から身を乗り出して手を伸ばしている。ファイバの低周波の叫び声。アルシノエの手がノビリオルの手を掴む。引っ張り上げる。ファイバの触手がハルカナに伸びる。ハルカナは梯子を蹴ってそれを避け、壁を使って最後の三角跳び。三人まとめて転がるように扉を抜けてすぐさまハルカナは扉を閉めた。

 ハンドルを回して扉をロックする。ほぼ同時に、扉にファイバどもが激しくぶつかる音が響く。

 間一髪だった。

 アルシノエもノビリオルもほっとしたように大きく息を吐く。

 ハルカナはまだ警戒態勢を解いていない。

「あのっ、安心するのはまだ早いのでっ。この扉もどこまでもつかわk」

 ハルカナの言葉を遮るようにものすごい衝撃音が扉の向こうから上がった。それも一度や二度ではない。途切れることなく響く衝撃音に扉が目に見えて変形していく。アルシノエとノビリオルの顔から血の気が引く。長くはもたない。「走って!」ハルカナの声にスイッチが入ったかのようにアルシノエがエンシーを拾い上げて走り出す。ノビリオルがそれに続きハルカナは最後尾につく。

 扉が壊れる音が聞こえてきたのはそれから十秒も経たないうちだ。

 背後からファイバの群れが迫って来る。だが脱出ポッドはもうすぐそこだ。ハルカナの投光器が照らす通路の先に、脱出ポッドの入口が見えた。

「そこですそこ! 入って入って!」

 アルシノエが脱出ポッド内に駆け込み、ノビリオルが滑り込み、ハルカナが飛び込んだ。

 ハルカナは急いで扉を閉めようとして、

『待ってください。私を降ろして頂けませんか』

 エンシーの突然の言葉に、全員が振り返った。

 エンシーを抱えたアルシノエがどうして良いかわからずオロオロと二人の顔を見回す。

 エンシーの合成音声が淡々と語る。

『私の任務はここでマスターを待つことです。いつになるかわかりませんが、私はマスターが帰ってくるまでここで待ちます。ですので、あなた方とはご一緒できません。私を降ろして頂けませんか』

「そんな……でも……」

 躊躇うアルシノエに、ハルカナからもお願いする。

「アルシノエ、降ろしてあげてくださいませ」

 アルシノエはハルカナを見、抱えたエンシーを見下ろし、それからギュッと目を瞑って小走りに入口まで行ってエンシーを床に下ろした。

 ファイバの足音が聞こえる。

 すぐそこまで来ている。

「閉めますのでっ」

 閉じていく扉の隙間から、エンシーの別れを告げるランプの点滅と、扉に突っ込んでくるファイバの姿が見えて、消えた。

 慌てたハルカナが反射的に射出ボタンを押してしまったので、座席にも着かず安全帯も締めていない三人はポッドの中で嵐のようにもみくちゃにされた。

 アルシノエとノビリオルに大きなケガがなかったのは、幸運というより他にない。



 この時点で、ハルカナのエネルギー残量は二十五パーセントを切っていた。

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