第35話 飛べないものたちのやり方

 鉄砂漠を埋め尽くしていたファイバの群れは、塔を伝って二十秒とかからずにメムノンの天井街まで這い上がって来た。

 群れの先頭が天井街にいた武装旅団と接触し、たちまち戦端が開かれる。

 武装旅団の分厚い銃撃は苛烈を極めた。が、およそ国家級のファイバの群れの前ではそれも焼け石に水でしかなかった。

 群れの侵攻速度を押し留められたのは五分にも満たず、一度崩れ始めた戦線はもはや修復不可能で、津波のように押し寄せるファイバの群れに武装旅団は為す術もなく飲み込まれていった。

 地獄と化した広場から逃げ出していったごく少数の生き残りは街の中へ消えていき、その後どうなったかはハルカナにも知る術はない。

 メムノンの天井街まで這い上がって来たファイバの群れはその半分以上が街中へ拡散していった。

 そして、残った何割かが、塔を真っ黒に染めながら留まることなく這い上がって来ていた。

 塔にはハルカナたちの他に武装旅団の何人かがまだ下の方の外壁通路を登っていた。彼らは下から迫り来るファイバの群れに情けない悲鳴を上げながら死に物狂いで通路を駆け登る。

 それからもうひとり、ノビリオルがいた。

 彼は今、結構最悪な状況にあった。

 ハルカナたちのいる入口から外壁通路に飛び降りたあと、下にいる仲間たちと合流するためか通路を降りていっていたのだ。そこからもう一度登ってきても、ハルカナたちのいる入口は通路からだいぶ上にあるため中には入れない。

 上に登ってもノビリオルは助からない。そう判断したハルカナは、まだ塔の下の方にいる武装旅団の生き残りにも聞こえるような大声で叫んだ。

「中へ! 下の入口から中に入って!!」

 それからすぐに踵を返し、下の入口へ向けて駆け出す。

 彼らを助ける。

 それが、今のハルカナがやるべきことのすべてだ。

「ハルカナッ!」

 その足を押し留めたのは、アルシノエの悲痛な叫び声だった。

 ハルカナはエアロックを出たところで急停止、アルシノエを振り返る。

「……どこ、どこ行くの?」

 アルシノエは、この世の終わりを迎えたような不安げな顔でハルカナを見つめていた。

 ――そうだった。

 ハルカナは冷静さを取り戻す。

 アルシノエを救う。まず第一に優先すべきことはそれだ。そしてその上で、彼らも助ける。困難な任務だか、ハルカナならできる。ハルカナにしかできない。ハルカナはそのために造られたのだから。

「あのっ、あのっ、彼らを助けに行くのですけれどもっ、もちろんアルシノエを放ったらかしにはしませんのでっ、えとえと、つまりはハルカナはみんな助けたいのですっ。だからですねだからですね、信じてついてきてくださいませっ」

 ハルカナは自分の思いを懸命に伝えた。

 アルシノエはまだ不安げな表情を顔に張り付けたまま、

「……ハルカナのことは、信じてるけどでも……どうすんの? あんなファイバの大群。逃げ、逃げれるの……?」

 不覚にも、ハルカナはすぐには答えられなかった。

 助け船は意外なところから来た。

『私の船には脱出ポッドがあります。それを使えば、おそらく脱出することは可能です』

「使えるのですか!?」

「逃げれるの!?」

 二人ほぼ同時に、エンシーに詰め寄った。

 エンシーは身をのけ反らすように二度ほど後退して、

『使えるか、という質問に対しては肯定です。私のシステムとは完全に別系統の、機械式脱出機構と固形燃料式補助推進システムなので、射出ボタンさえ押せば脱出できます。地上における水平射出での飛距離はおよそ五キロですので、逃げられるか、という質問に対しても高い確率で肯定できます』

 二人は顔を見合せ、希望を見出だした表情で頷き合う。

「ではでは、脱出ポッドまで案内をお願いしますのでっ」

 ハルカナはエンシーを拾い上げた。

『心得ました』

 エンシーの指示に従って二人は駆け出した。

 真っ暗な船内をアルシノエの持つ投光器の光で照らしながら走る。赤外線センサーがイカれているので、ハルカナの目はもう暗視は利かない。ハルカナのアンテナ髪から放つ光は、実はハルカナ自身にはそれほど役に立っていない。むしろ残存エネルギーをじわじわと食うのではっきり言って邪魔だ。しかしアルシノエにとってはよい目印になるようなので消そうとは思わない。

 船体をぐるりと一周する外環回廊を三分の一ほど進んだところで、脱出ポッドの入口がずらりと並んだ区画に出た。ここからさらにもう三分の一ほど進めば、ここまで上がってきた船体縦貫連絡通路に辿り着くはずだ。

 ハルカナは手近なひとつの扉を開き、アルシノエを中に入れてエンシーを預け、

「アルシノエはここで待っていてくださいませっ。ハルカナは他の人たちを助けて来ますのでっ」

 そう言い置いて踵を返そうとしたハルカナの左腕をアルシノエが掴んだ。

「い、行っちゃうの? やっぱりひとりはイヤッ」

 アルシノエは、不安を必死に押し殺そうとして、それでも隠し切れずに引きつった顔をしていた。

 アルシノエを不安にさせたくはない。目の届くところにいてくれた方がお互いに安心できる。それは確かだ。しかし、ハルカナはこれからファイバと戦いに行くのだ。その戦場の近くにアルシノエを連れていって大丈夫だろうか。巻き込まれるようなことになりはしないか。恐怖に怯えさせることになりはしないか。

 ハルカナの思考速度よりも先に、アルシノエが解答をくれた。

「ここでひとりでいるくらいならハルカナについてくっ。ファイバがいても、ハルカナが守ってくれるんでしょ? じゃあそっちの方がまし」

 その言葉でハルカナは覚悟ができた。

 確かにそうだ。アルシノエはハルカナが守るのだ。

「じゃあじゃあ、一緒に行きますので急ぎますのでっ」

 二人は再び走り出した。

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