第32話 空に近い場所④

 なんか長くて言いにくいから、あんたはエンシーね。

 アルシノエのそのひと言で、お掃除ロボットの操縦支援システムはエンシーと呼ばれることになった。

 エンシーはその丸くて健気な姿からは想像もつかないほど堅苦しい喋り方をする奴だった。

『私が現在、この自律型船内清掃ロボットにデータの一部を移しておりますのは、「バフィン」の船体・機能を維持する電力が不足しているからです。現在、オリジナルのシステムを含め、「バフィン」の全ての機能は停止しています。操縦支援システムの一部をコピーされた私だけが、現在稼働中です。このロボットが選ばれたのは、必要な条件を満たす機能の中で最も消費電力が少ないと判断されたからです』

 何を言っているのか、アルシノエにはちんぷんかんぷんであった。どうせわからないのであれば、ピーピー言ってくれた方が可愛げがあったのにと思う。

「あのっ、えとっ、そうっ、冬眠ですっ」

 ハルカナに教えてもらってアルシノエは理解した。

「それならそう言ってくれればいいのに。ワケのわかんないことだらだらと言わなくても、ひと言ですむじゃん」

『……』

 アルシノエがエンシーに向かって文句を垂れると、エンシーは無言で応じた。

「んでな、こん中にホントに入れたんはホンマに驚きだけんど、結局あんたらがここに来たんは、それに会うんが目的なんかいの?」

 口を挟んできたのはノビリオルだ。下で待つと言っておきながら、どういう心境の変化か知らないが結局この老人はここまで上がってきたのだった。

 アルシノエはハルカナを振り返る。ここに行きたいですと言ったのはハルカナだ。

 ハルカナはノビリオルの問い掛けには答えず、アルシノエの視線も無視して、エンシーのそばにしゃがみ込んだ。

 話しかける。

「あのっ、お願いがあるのですけれどっ。ハルカナたちを乗せて飛んで欲しいのですけれどもっ」

 エンシーの返事はひと言だった。

『それは、できません』

 予想外の答えだったのだろう、ハルカナが見事なくらいに停止した。

「飛ぶ? 飛ぶっちゃどういうこっちゃ?」

 ノビリオルが訝しげに訊いてくる。

 アルシノエにもはっきりしたことはわからないが、多分この、塔に利用されていた旧時代の構造物そのものが、ハルカナの話によると楽園の星に行くための船、ということらしい。アルシノエもまだ完全にその話を信じたわけではないが。

 そういった話をノビリオルに説明することもできたのだが、アルシノエは聞いてないふりをして無視した。いちいち説明するのが面倒だったし、ハルカナとエンシーの話の続きの方が気になった。それに、まだ、ノビリオルに対するわだかまりのようなものがアルシノエの中にはあった。自分のアイルを馬鹿にされたことを、そう簡単には許すことはできなかった。

 ハルカナが活動を再開した。

 そちらに気を取られたか、ノビリオルもそれ以上追求してはこなかった。

「えっと? あの? それは、一体、なぜなのですが? 電力ですか? 電力が不足しているからですか? それならお任せくださいませっ。ハルカナが電力を供給しますのでっ」

『たとえ電力を供給されても、「バフィン」の全機能が回復しても、私にはあなた方を乗せて飛ぶことはできません』

 感情表現の欠如したエンシーの声が淡々と響く。

『私には、マスターと交わした約束があります。私はここで、マスターを待たなければいけません。私とマスターが最初にこの地に着陸したとき、この都市にはすでに住人はいませんでした。マスターは私に、ここで待つよう命令を残して、救うべき人類を探しに行きました。そのときから私は、この地でマスターが帰ってくるのを待っています。マスターが帰ってくるまで、待ち続けます。ですから私は、あなた方を乗せて飛ぶことはできません』

 ハルカナもアルシノエもノビリオルも、挟む言葉もなく黙ってその話を聞いていた。

『それから、もうひとつ付け加えますと、経年劣化により、機能の面で私はおそらくもう飛翔することはできないでしょう。大変申し訳ありません』

「ど」

 ハルカナが何か言った。

 アルシノエを振り返る。その顔は、隠そうとして隠し切れない失望に引きつっていて、落ち着かなげに再びエンシーに向き直り、

「どうしたらよいのですかこれではアルシノエたちを救えないかもしれないのですけどっ!」

 切羽詰まった声で叫んだ。

 この塔に来たときはあれほど喜びと期待感を溢れさせていたのに、今のハルカナにはそんなもの見る影もない。

 自分を救えなくなるかも、なんて言われてはアルシノエも聞き捨てならない。

「え、なに、ハルカナそれってどういうこと?」

 ハルカナが青い顔をして振り返る。

 このロボットは戦闘だと鬼のように強くて頼りになるのに、それ以外のことになると途端に頼りなくなるな。アルシノエはそんなことをふと思う。

「あああのですねあのですねっ、アルシノエは仲間の皆さんを探しに行くと思うのですけれど、もちろんハルカナもアルシノエを手伝うつもりなのですけれど、そのあとにハルカナは皆さんを連れて宇宙へ行こうと思っていたのですけれど、『ノア5』が飛べたらぜんぶ完璧に解決できたのですけれど、」

「そうなの?」

 アルシノエはまだ半信半疑だ。そんなに都合よくぜんぶ上手くいくようなものなんてあるものか。

「そうなのですっ」

 ハルカナはここだけは自信満々に言い切る。

「アイルのみんなを探すのもできたの?」

「それはもうっ。バッと飛んでシュッと行ったらあっという間に別の街に着きますのでっ」

 なにそれすごい。

 アルシノエはエンシーに詰め寄る。

「ちょっとおっ! どうしてくれんのよお! せっかく、みんなをすぐに探せたかもしんないのにぃ!」

 半分は冗談のつもりだったが、逆に言えば残りの半分は本心だった。

 エンシーはアルシノエの迫力に圧されて二度三度後退ったあと、こう言った。

『船は、もしかしたらあるかもしれません』

「え?」

 アルシノエには一瞬どういうことかわからなかった。

 代わりに食いついたのはハルカナだった。

「船が他にもあるのですか本当ですかっ!?」

『本当です。本当ですから離してください動けません』

 勢い余ってエンシーを捕まえていた右手を、ハルカナは言われて慌てて離す。

 エンシーが変な角度で床に落ちて、ゴンッ、とイヤな音がした。痛がっているように青いランプを何度か瞬かせる。それから、何事もなかったかのように喋り始めた。けっこう頑丈なやつだ。

『現在位置から南南西方面のおよそ五十キロメートル先に、防衛軍の「ジョバルド輸送基地」があります。基地が現在どのような状態になっているかまではわかりせんが、そこに行けば何らかの船が残されている可能性があります』

「――ここから南南西じゃと? だいたい五十キロ先だ言うたか?」

 唐突に割り込んできたのはノビリオルだった。

『肯定です』

「じゃとしたら、そこぁノラ山地の中にならんかの」

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