第26話 天井の街②

 止まりかけの単車が再び進み出す。

 鉄骨のジャングルの中を迷路のように走る桟橋を登っていく。桟橋は単車のまま登れる広さは十分にあったが、強度の方は少々心許なくて、単車が乗る度にギシギシと軋みを上げていた。わかっていたことだったが、その途中にも人の姿はやはりどこにもなかった。

 桟橋を登り切る。

 出迎えた強風に一瞬ハンドルを取られてから、単車は天井街へと乗り入れた。

 ああやっぱり、とハルカナはその光景に静かに納得した。

 アルシノエは、頭の中も表情も真っ白になった。

 そこには、無音の絶望が広がっていた。

 破壊された建物、建物、建物。原形を留めているものを見つけることが困難なほどである。そのあまりの徹底ぶりに、ファイバの習性のおぞましさを感じずにはいられない。地面からこれほど離れていても、奴らが本気になって襲いかかってくればひとたまりもないのだ。この中に生存者がいると考えるのは、計算するまでもなくゼロに限りなく近い可能性になるだろう。そのことをアルシノエに伝えるのはハルカナにとって途轍もなく心苦しい任務だが、しかし遂行しないわけにはいかない。

「アルシノエあの、」

「わかんないから!」

 アルシノエが大声でハルカナの言葉を遮った。

「ぜったいどっかにいるから! だって、だって! みんなが、うちの家族もアイルの仲間もここに来たはずなんだから!」

 そして、

「さがすの!」

 そう叫んで、ハルカナの方を振り返りもせずにけたたましくエンジンを吹かせながら単車を走らせる。

 ハルカナはその後ろ姿を為す術もなく見つめる。人工神経回路網のどこかで冷徹に思考しながら。

 アルシノエと出会った夜に、彼女の仲間は近くの街に行った可能性が高い、とハルカナは確かに告げた。だが、メムノンに彼女の仲間がいる可能性はもはや皆無だ。それが、「すでに」いなくなったのか、「そもそも」いなかったのかまではわからない。ここに一度来て、すぐに立ち去ったのかもしれないし、ここには来なかったのかもしれない。あるいは――それが今では最も可能性が高くなってしまったのだが――最初から誰ひとりとして生き残ってはいなかったのかもしれない。

 ただ、ひとつ確かなことは、この街の破壊の様子や風化の具合から見て、ここが襲われたのはつい最近のことではないだろう。つまり、アルシノエの仲間がここに来ていたとして、そのときにはすでにここは廃墟になっていたはずだ。だとしたら、来てすぐに立ち去ったというのもあり得ない話ではない。

 だから、ここに誰もいなかったからといって諦めるにはまだ早いのだ。せめてそのことだけでもアルシノエに伝えたかった。

 それが、アルシノエのためにハルカナがいまできる、唯一のことのように思う。

「だれかーっ! いませんかーっ!? だれかーっ!」

 アルシノエが必死になって呼び掛けている。

 ハルカナはその背中に声をかけようとした。

 そのとき、

 それが視界の中に入った。

 一気に注意を持っていかれた。

 それは、一見して、塔であった。街に足を踏み入れた途端に視界に入ったのもそのはずで、街のどこからでも中心の方を向けば目に入るくらいの高さがある。表面だけを見れば瓦礫や残骸を上手く加工して奇跡のようなバランスで積み上げて、仕上げにどんな意味があるのか理解し難い極彩色の装飾を施したただの塔なのだが、ハルカナの光学センサーは誤魔化されなかった。その塔には支柱となっているものが外壁の隙間から見え隠れしていて、それは金属製で、ハルカナのデータの中にそれとよく似た形のものが存在していた。

 もしかして、と思った。

 ここからでは遠すぎる。

 近付いて確かめなければ、と強く思った。

「アルシノエ!!」

 いつになく強い呼び掛けに、アルシノエが思わずブレーキをかけて振り返る。

 ハルカナは塔の方を指差し、

「あっちですっ、あっちへ行くべきですっ、あっちへ行くしかないのですっ!」

 有無を言わさずそう決めつけて、居ても立ってもいられずに単車を飛び降りて先に立って走り出す。早く確かめたくて知らず知らずのうちに速度が上がり、遅れがちになるアルシノエの単車を逆に急かす始末だ。主導権を握られてしまってなんだか不満気なアルシノエの様子にも、ハルカナは気付いていない。

 塔の周りは広場のようになっていた。その広場は塔の周囲およそ二十メートル手前で途切れていて、大きな穴になっている。塔はその穴を貫いてはるか五十メートル下の地面から建っていた。その、全長百メートルを超すであろう大きさも、ハルカナの中の記録の通りだった。広場の途切れる際の一ヶ所にやたらと目立つ装飾の高台があって、その上から唯一塔に近付ける道が一本だけ伸びていた。

 そして、

 この距離まで近付けばもう明らかであった。

 その塔のごてごてしい外壁の内側に隠されているそれは、

 紛れもなく、

 第五次「方舟計画」軌道往還機「ノア5」の五番艦そのものであった。

「やりましたアルシノエ!!」

 ハルカナは飛び上がるほど喜んだ。

 何がなんだか分からず面食らっているアルシノエに詰め寄り、

「船です船見つけました船「ノア5」ですっ! これでアルシノエを宇宙へ連れて行けますのでっ、『メガホイール』へ帰れますのでっ!」

「……船って、これが?」

 戸惑いと疑いと不審さを絶妙な割合で混ぜ合わせた顔をするアルシノエに、ハルカナは顔中を得意気に染めて頷く。

「そうなのですっ」

 そんなハルカナだから、肝心なことをいくつも見落とす羽目になるのだ。「ノア5」があったからといって、どのくらい放置されていてどんな状態になっているかもわからないというのに。この「ノア5」に乗ってやってきたはずのハルカナの姉妹がどうなったのか、にくらい気を回してあげれば良いのに。嬉しそうなハルカナとは対照的に不満げな様子のアルシノエが何をしたがっているか、気付いてあげるべきなのに。

 そして、

 音響センサーが拾った反応にもっと早く気付けたはずなのに。

 気付いたときには、随分近くまで来ていた。

 それが警戒警報とならなかったのは、その反応が人間の足音だったからだ。

「――誰かいますっ」

 さっきまでの喜色満面がウソのように一瞬で表情を切り替えて、ハルカナは音源の方に向き直る。

 足音は一人分。とてもゆっくりとした速度で近付いて来る。

「人!? やっぱりいたんだ! どこ!? だれ!?」

 代わりにアルシノエが顔中を期待で満たして辺りを見回す。今にも駆け出していきそうな興奮ぶりである。

 ハルカナは広場に繋がる角のひとつを指差した。

「そこですそこっ、そこから来ますのでっ」

 そう言うのとほぼ同時に、その人間がゆっくりと姿を現した。

 アルシノエの興奮が一気に冷めるのが、ハルカナにもわかった。

 その人間は男で、歩く速度にも動作にも力がないのが納得の枯れ木のような身体で、ボサボサの頭髪も立派な髭も見事なくらい真っ白で、ボロ布のような服をまとった、ひとりの老人であった。

 その老人は広場に現れるとすぐにそばにある建物の壁に手を付いて肩で息をし、それから顔を上げて二人の姿を認めると声を掛けようとして息を吸い込んだ途端盛大にむせて、心配になるくらい咳き込み、ようやく落ち着いてからこう言った。

「やあ、久しぶりに生きてる人間を見たぞ。あんたらどこから来なさった?」

 最後の希望を打ち砕く、不意打ちの一撃だった。

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