第25話 天井の街①
三日目の朝が来た。
この日も結局ハルカナに起こしてもらったアルシノエは、気を抜くと首がかっくんかっくん落ちるくらいに眠そうで、ハルカナの方は一晩中通信を試みていたがついに返事が来ることはなかった。
天幕を畳んで出発する。
メムノンまでは、あと中継地点がひとつだけの距離にまで近づいている。うまくいけば、昼前に辿り着けるかもしれない。
進み始めたときはまだファイバの勢力圏内であった。
進む速度は呆れるほどに遅く、ファイバを警戒する分だけ余計に時間と労力がかかる。ハルカナが鋭い動きで周囲に視線を走らせるたびに、アルシノエは心の底から震え上がったものだった。
しかしそれも、最後の中継地点を過ぎるまでだった。
鉄屑の丘の合間合間に小さく小さくメムノンの天井街の影が見える。その最後の直線に入ってからは、ファイバの反応はぱったりと途絶えた。
単車のエンジン音と風を切る音、それに瓦礫と鉄屑を蹴散らす騒音だけの三時間余りののち、ようやく辿り着いた。時刻は昼を回っていた。
メムノンの天井街。
そこは既に、廃墟と化していた。
◇
メムノンの天井街は、地上から見上げれば確かに天井だ。それもそんじょそこらの天井ではない。天井を支える土台は身が全て削げ落ちた積層都市の骨組みそのままだし、天井の高さはその天辺あたりにあるから地上五十メートルはあるだろう。構造は恐ろしいほど豪快で、骨組みの上に鉄板を無造作にばら撒きまくり、それでも埋まらない隙間や段差には度胸試しのような橋や階段を渡して、あとはそれらの上に建物をギュウギュウ詰めに並べれば目の前の異様な建造物が出来上がる。瓦礫と鉄屑の大地の中で孤独に存在する、鉄で出来た巨大な森。
そばに立ってこうして見上げればその視界の全てが鉄骨のジャングルで埋め尽くされる。街の規模からいっても、万単位の人間が暮らしているはずだ。
はずなのだが、これだけ近づけばその音くらいはハルカナならば聞き取れそうなものなのだが、
ハルカナの音響センサーが拾うのは風の音ばかりであった。
アルシノエが単車の速度を落とし、ゆっくりとメムノンに近づきながら落ち着かなげに辺りをキョロキョロと見回している。
「なんか変だ。だって前来たときはこの辺にたくさん履帯船停まってたし、登る道にもたくさん人いたし」
鉄骨のジャングルの中には上へと登る道が何本も渡されているが、ハルカナがどれだけ目を凝らしてみてもやはり人っ子ひとり見当たらない。
「アルシノエ聞いてほしいのですけど、」
「なに? どうしたん? なんかあった?」
アルシノエが単車を停めて振り返る。ハルカナの口から出る言葉に身構えている表情。
ハルカナは自分から呼びかけておいて、教えたら怒るかも悲しむかも失望させてしまうかも、とさんざん躊躇った挙げ句、意を決して口を開いた。
「あのっ、ここからは人間の反応を感知できないのですどれだけ探ってもっ」
間があった。
アルシノエは瞬きを二度しただけで、きっかり三秒間全くの無反応だった。
それから、ああそういうこと、という顔を無理矢理気味に作って、周囲を見渡し、
「やっぱりここにはだれもいないんだ。じゃあみんな上なんだ」
そんなことを言う。
ハルカナの言わんとしていることを理解したくないとでもいうように。
ハルカナは容赦なく現実を突きつける。
「そうではなくてっ。上からも、反応を感知できないのでっ」
アルシノエは、
笑った。
奇妙に引きつった表情で。
「な、なに言ってんのそんな、そんなわけないし……っ。だってメムノンだよここ、人いないわけないし、どうせハルカナが気づいてないだけだし、上に行ったらいるに決まってるしっ」
最後は怒ったような口調になって、すぐにアクセルを吹かして単車を走らせる。
ハルカナは、やっぱりアルシノエを怒らせてしまったことに少ししょんぼりして、それから首をブルブル振って気を取り直す。
アルシノエは無言で、後ろのハルカナなんて知るもんかという雰囲気を隠そうともせずにずんずん単車を走らせる。ハルカナはアルシノエの怒ったような背中を見つめながら、どうしたら機嫌を直してもらえるだろうかと浅はかな知恵を絞る。
鉄骨のジャングルの中にまで入ると、メムノンの様子がいやが上にも見えてきた。
もう、アルシノエの目にも明らかだろう。
その証拠に、単車の速度が目に見えて落ちている。
無理もない。
否定のしようもなく、メムノンの天井街は、壊れかけていた。
天井のあちこちに空いている穴は、決して元から空いていたものではないだろう。鉄骨が何本もひん曲がって垂れ下がっているのは、どう見ても意図的なものではないはずだ。そこたらじゅうの鉄砂漠に刺さっているのは、間違いなく上から落ちてきた階段やら鉄板やら建物の一部やらに違いない。
単車の走行が止まりそうになる。
ハルカナは、なにか言わなきゃ、と思った。
なにを言えばいいのかはわからないけど、なにか言わなきゃいけないと思って無我夢中で口を開こうとして、
「――とにかく上に行く」
それを分かっていたかのようにアルシノエが誰にともなくそう告げた。
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