第24話 歩くような速さで⑤

 水の中から浮かび上がるように、アルシノエはふと目を覚ました。

 寝ぼけ眼でぼんやりと思う。

 ――あれ。いつ寝たんたっけ……?

 眠りにつく前のことがはっきりと思い出せない。

 うっすらと見える天幕の中は真っ暗だ。いつの間にかランプの灯りが消されているが、消した記憶はアルシノエにはない。ハルカナがちゃんと消してくれたんだろう。

 アルシノエは安心して再び目を閉じる。二度寝の幸せを噛み締めつつ寝返りを打つ。

 違和感があった。

 意識がもう一度浮上する。

 違和感は二つあった。

 まず第一に、寝袋に入っていない。上に掛けられていただけの寝袋がずれて、空気がひやりとアルシノエの背中を撫でる。

 第二に、頭がなにか柔らかい、複雑な形をしたものの上に乗っている。それがほのかに暖かくて心地よく、二つの丸みを帯びた形が頭を置くのにちょうどよく、手で触れるとゴワゴワの布地の下にある柔らかさがクセになりそうで、荷物の中にあるそんな極上の品といえば、

 思いつく前に、暗闇に目が慣れて答えが見えた。

 ハルカナのふとももの上だった。

 !?

 びっくりして思わず起き上がってしまった。

「あの!、」

 恥ずかしさのあまりアルシノエはとっさに口走るが、何を言えばいいのかも何を言いたいのかもわかっていない。

 思えば、ハルカナに情けない姿を見られたのはこれで二回目である。いったいどんな顔をして話せばいいのかさえわからなくて、真っ赤に沸騰した顔でいつまでも思い悩んでいると、アルシノエはふとおかしなことに気付いた。

 ハルカナの様子が変だ。

 いつものハルカナならば、アルシノエが起き上がったところで相変わらずのいっぱいいっぱいな反応を返してくれているはずなのに、今はこれだけ待っても全く反応がない。

 それどころか、じっと目を閉じたまま身動きひとつせず、ハルカナの顔を覗き込むアルシノエに気付いた様子もない。

「――ハルカナ?」

 アルシノエは名前を呼んでみた。

 ハルカナは無反応。

 今度は目の前で手を振ってみる。しかし、置物かなにかのように不自然なくらいにハルカナは微動だにしない。ロボットだから当たり前なのかもしれないが、呼吸さえしていないことにアルシノエは改めてハルカナはロボットなのだと実感した。

 ハルカナと出会ってからたかだか数日ではあるが、こんな状態の彼女を見るのははじめてだった。

 寝てるのかもしれない、とアルシノエは最初のんきにそう思った。

 でも、と頭の中ですぐに疑問がわき上がる。ロボットって眠るものなのだろうか。

 アルシノエはハルカナ以外のロボットなんて知らないから、その疑問に対する答えは出しようがない。ロボットも眠るのかもしれないし、ハルカナにはそういう機能があるのかもしれない。

 でも、とアルシノエの思考はどんどん深みに嵌まっていく。

 ロボットなんだからやっぱり眠らないんじゃ? ハルカナにだってそんな機能ついてなかったら? そもそも普通なら声かけたら反応くらいするんじゃ? じゃあもし、これが眠っているのではないんだとしたら?

 だとしたら、考えられるのはもうこれしかない。アルシノエは早急に過熱していく思考で結論付ける。

 ハルカナが故障した。

 その結論に、アルシノエは背筋が凍りついた。焦るどころではなかった。頭の中が沸騰して血の気が引いた。どうしようどうしよう、という言葉を頭の中で呪文のように繰り返す。じっとしていられなくなって跳ね起き、何かがあるわけでもないのに狭い荷車のあちこちに意味もなく視線を彷徨わす。結局どうしようもなくなったアルシノエはハルカナをつかんでぐいぐい揺さぶる暴挙に出た。切羽詰まった声で叫ぶ。

「ハルカナハルカナ!? ねえねえ目ぇ開けてよ!」

 途端、ハルカナが目をカッと開いた。アルシノエの顔に焦点を合わせるとびっくりした顔になって、いままでがウソのように矢継ぎ早に喋り出す。

「どどどどうしたのですかアルシノエ泣きそうな顔をして!? 敵ですかファイバですか緊急事態ですか!? ――あれでもセンサーに反応は無いのですが? もう朝になった、わけでなく? 今から出発、するわけでなく? 何か問題が発生した、わけでもなく?」

 アルシノエは呆気にとられ、開いた口を閉じることも忘れてただ機械的に首を横に振る。

 いよいよ訳がわからなくなったハルカナは、おでこに当てた人差し指をぐりぐりしながらこれ以上ないほど真剣な顔で悩み出す。

 いつも通りのハルカナだった。

 アルシノエは拍子抜けしたため息と共にぽつりとこぼす。

「――壊れたわけじゃなかったんだ、よかったぁ……」

 その呟きを耳聡く聞き取ったハルカナが顔を上げ、

「ハルカナはそう簡単には壊れませんのでっ。頑丈さが自慢のひとつなのでっ。アルシノエは安心してくださいませ」

「え、でもだって、さっき呼んだのに全然反応してくれなかったし。壊れたかもって思うしぜったい」

 安心したらアルシノエだって恨み言のひとつくらい言いたくなる。

 ハルカナがちょっと申し訳なさそうな顔をして、

「あのっ、それはですねっ、実はハルカナは通信中だったもので……」

「通信? してたの? っていうかできたの? え、だれかと話せた?」

 アルシノエはあっさりと目の色を変えてハルカナににじり寄った。ハルカナはさらりと言ったが、通信機能があるというのはとても重要なことだった。ウルティオ・アイルに通信機械はなかったが、メムノンになら間違いなくあるだろう。うまくすればメムノンの住民と連絡が取れて、助けを呼べるかも知れない。そうでなくとも、アイルの仲間たちが無事かどうかくらいは確かめられるのではないか。

 しかし、返ってきたのは夢や希望とは無縁の、もっとも当たり前な答えだった。

 ハルカナが首を振る。

「誰も答えてくれないのです。なぜでしょう? 届いていないのでしょうか。聞こえていないのでしょうか。気づいていないのでしょうか」

「そう……なんだやっぱり」

 わかっていたことではあった。別に落ち込むようなことじゃない。アルシノエは自分にそう言い聞かせる。通信機械自体がもともと珍しいものであるし、ひとつだけあったところで意味がない。メムノンにあったとしても使っているかどうかもわからないし、使える状態になっているかさえ怪しい。だから、ハルカナがどれだけ通信してみたところで、答えてくれる人なんていないのかもしれない。

 色々なものを失いながら、アルシノエたちはこうして生き延びてきたのだ。

「……もうねる。じゃあおやすみ」

 アルシノエは寝袋の中に頭まで潜り込む。

「おやすみなさいアルシノエ」

 ハルカナの言葉は閉じた寝袋に当たって、消えた。

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