第23話 歩くような速さで④
二日目。
眠る前はあれだけ早く起きなきゃと思っていたのに、結局アルシノエはハルカナに起こされるまで目覚めることはできなかった。起こされるときも相当ぐずったし、起きたあとも眠気がしつこくこびりついたままだった。
身体も頭も重い。
それでも出発しないわけにはいかない。
昨日よりは短時間で朝ごはんを終え準備を済ませ、普段よりは遅いものの昨日よりは早い時間に二人は出発した。
鉄砂漠の旅路はファイバとの命がけのかくれんぼでもある。
ファイバは基本的に瓦礫と鉄屑の下にいる。たまに地上に出て周辺を窺っているときもあるが、それ以外のほとんどは瓦礫と鉄屑の下を移動している。奴らの感覚器官は人間よりもはるかに優れている上に知覚できる情報も多く、音や地面を伝わる振動はもちろんのこと、人体が発する熱や自らが発した低周波音の反響、さらには電波さえも捉えて標的となる人間を見つけ出す。奴らは瓦礫と鉄屑の下にいるから人間側から見つけるのは至難の技で、襲う側が一方的に捕捉できる不公平極まりないかくれんぼが鉄砂漠では日常的に繰り広げられている。
シーカーはその中を旅するわけだからもちろんそれなりの知恵を絞る。
アイルには必ず偵察役がいる。
偵察役に選ばれるのは優れた耳や目を持つ者だ。性別は関係なく、年齢も一定の年に達しさえすれば若かろうが年寄りだろうが構わない。耳と目が何よりも優先されるのだ。
かくいうアルシノエも実は、近いうちに偵察役に選ばれる予定であった。目のよさには自信があるのだ。
偵察役は三、四人で一組を作り、アイル本隊のおよそ一キロ四方に散る。一キロという距離は、ファイバが人間を捉えられる大体五百メートル強という距離に最悪と安全性を掛けたものだ。三人のうちひとりは耳で鉄砂漠の下の音を探り、ひとりは目で周囲を見張り、ひとりは本隊との連絡役となる。四人目がいる場合は見習いか、戦闘役という名の時間稼ぎとなる。
シーカーはこの方法で生き延びてきたのだが、今のアルシノエたちは二人旅なのでこの方法は使えない。
しかしここでようやくハルカナが役に立った。
人間よりはるかに優れたファイバの知覚能力を、鼻で笑えるくらいの機能と性能をハルカナは備えている。ハルカナにかかれば地平線の彼方にファイバがいても発見できるし地形のわずかな変化も見逃さない。本気で集中すれば鉄砂漠の下を移動するファイバの音も聞き取れるし奴らが発する低周波も電波も感じ取ることが出来る。なんだったらファイバの出す電波に偽装して、こちらから積極的に奴らの位置を探り出すことだってできるのだ。
二日目の行程はどうやらファイバの勢力圏内だったらしく、鉄砂漠のあちこちにファイバのものらしき未確認電波低周波発生源があった。その数と頻度は相当なもので、目標地点まで直進できないばかりか何度も単車を停めて身を潜めなければいけない事態にまで陥った。一見何もないはずの鉄砂漠をファイバの知覚範囲である半径五百メートル強で削っていくと、安全に通れる道筋は驚くほど狭くなる。しかもファイバは気まぐれに移動するので道筋も刻一刻と変わる。通れたはずの道が消えたかと思えば少し戻ったところに新たな道が現れる。ぼんやりしてると袋小路にハマるし退路を絶たれてオーバーヒートしそうなほどに焦る。下ばかりに気を取られているとなんの前触れもなく地上に顔を出す奴もいて一瞬たりとも気を抜けない。ハルカナが強引に単車を停めさせたり進路変更させたりアルシノエを無理やり伏せさせたりすることが何度もあった。
アルシノエが目に見えて消耗し始めていた。無理もない。昨日からずっと運転しっぱなしな上に目に見えないファイバの脅威が精神面の側からもガリガリとアルシノエの耐久力を削っていく。まだ午前だというのに既に目が死んでいる。血の気を失った顔は真っ白で、ハルカナの一挙手一投足にさえかわいそうなほどに怯えた反応を見せる。ファイバが地上に出てきたときなどは身を伏せるハルカナの隣で頭を抱えて歯を鳴らしていた。昼の休憩を早めに取ったが、魂が抜けたように座り込むばかりで、食事は一口も喉を通らなかった。それで張り詰めていたものが途切れてしまったらしく、午後はずっとぼんやりしたままハンドルを握り、単車はフラフラと何度も蛇行を繰り返した。行程は遅々として進まず、既に今日中にメムノンに辿り着くことは不可能とわかったので、次の目標地点である巨壁群の中でその日の行程を終えた。
もう随分と手馴れた様子で天幕を張り、相変わらずそれしか作れない干し肉と豆のスープもどきを作り、その最後のひとすくいを口に入れたところで、アルシノエはそのまま力尽きた。
木匙を落としたことにも気付かぬままアルシノエは眠りに落ちた。
◇
アルシノエの身体がゆっくりと傾いていく。
眠ってしまったのだと気付いたときにはハルカナの身体は既に動き出していて、アルシノエの頭が荷台に激突する一秒前に抱き止めることができた。
右腕の中のアルシノエは既に寝息を立て始めている。
ハルカナはほっと胸をなで下ろす。アルシノエの無事もさることながら、起こさずに済んだことにも安心した。
アルシノエの身体をそっと横たえ、その隣に座り込んで彼女の頭を膝の上に乗せてあげてから、ハルカナはえっと、と考える。
アルシノエをどうしよう。
できればこのまま寝かせてあげたい。寝袋に入れてあげられたら完璧だ。しかし、そのためには動かなくてはいけないしアルシノエの身体も動かさなくてはいけなくなる。そうすると起こしてしまうかもしれない。それはいけない。アルシノエにはゆっくりと休んでいて欲しい。じゃあどうしよう。
しばらく置物のように固まったまま考え抜いた末に、ハルカナは結論を出した。
このまま眠らせてあげよう。
ハルカナにもやらなければいけないことがいくつかあったが、それらは頑張ればなんとかこの状態でもできるはず。いやできる。やる。
まずは右手を伸ばして荷台の隅の荷物を取り、中身を引っ掻き回して寝袋を発掘し、アルシノエに上から掛けてやる。それから明かりを消さなくてはいけない。荷車に張ってある天幕はある程度の遮光性はあるようだが、所詮はある程度だ。光を完全に抑えられているわけではない。ファイバが近くにいるかもしれない状況で明かりを灯し続けているのは、ここにいますよ、と目印を出しているようなものだ。ハルカナは博物館級のオイル式ランプの風防を外して空気を吹きかけ、火を消した。
闇に包まれたテントの中で、ハルカナはほっとひと息。
これでやっと、落ち着いて作業に取り掛かれる。
ハルカナの黒髪の中から、一本だけ親玉みたいな太い髪がぴょんっと立ち上がる。送受信用のアンテナ髪だ。
目を閉じて集中する。
そしてハルカナは、ささやき声にも満たないほどの微弱な電波に、たった一つのメッセージを載せて、軍事用に割り当てられた十二GHzのマイクロ波で、用心深さにもほどがあるくらい念入りにファイバの鳴き声に偽装した迷彩まで施して、アンテナ髪から電波の届く限りの周囲に向けて、放った。
きっと今もこの星のどこかで戦っているはずの、姉さまたちや防衛軍に向けて。
それに『メガホイール』のみんなからの返信に期待を込めて。
昨日一昨日はダメだったけど、今夜こそはと意気込んで。
残り四十パーセントを切ったエネルギー残量のことも気にかけずに、ハルカナはひたすら電波の呼びかけを放ち続ける。おそらく今夜もまた、一晩中放ち続けることになるだろう。
ハルカナが放つ電波に載せられた、たった一つのメッセージ。
『ハルカナは、ここにいるよ』
返信は、いまだ来ない。
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