第18話 目が覚めたなら③

 本当なら、ハルカナだって自信満々な顔をして余裕ですよ! と答えたかったのだ。

 実際、それほど困難なお願いというわけでもなかったのだ。

 ハルカナが万全でありさえすれば。

 ハルカナが自信満々な顔で言えなかった、アルシノエには言わなかった理由。それは、

 ハルカナの機体の状態だ。

 まず第一に、赤外線センサーだ。コイツが早々にイカレてしまったせいで、夜の闇はハルカナにとっても闇になっていた。光学センサーだけの視界では、数十メートル先も見通せない。それから、左前腕だ。肘から先が完全に死んでいて、飾りか重りでしかない。右膝の調子が悪いのも相変わらずだ。信号に対する反応が0・一秒ほど遅れ、可動範囲も三十パーセント程度低下している。致命的な損傷だ。この先悪くなることはあっても改善されることはないだろう。そしてなにより問題なのが、先ほどの戦闘でハルカナのエネルギー残量が四十五パーセントにまで減ってしまったということだ。緊急事態の連続だったとはいえ、燃費も効率も無視してエネルギーを使い過ぎた。この先補給は望めるだろうかと自問する。絶望的な答えしか返ってこない。

 だからこそ、危険を冒してまで仲間を助けたいといったアルシノエの気持ちを、ハルカナはなんとなく推測することができた。

 ――仲間がいると心強いものね。

 機体全身から上がってくる情報を元に総合的に判断すれば、今は行くべきではない、という結論になるのだが、今回はハルカナは感情野の判断を優先した。

 八十七年待った。

 助けを求めている人たちがいる。

 ハルカナはそのために造られた。

 そんな思いもあるが、それより何より、

 アルシノエの役に立ちたい。

 その感情に従うことにしたのだ。

 出発してから一時間ほど経っていた。

 夜空には行く手と見分けが付かない濃さの闇があるだけだった。目に見えないほどの細かい塵も大気圏まで覆い尽くせば月も星も隠せるのだ。もちろん、『メガホイール』も。

 行く手の闇は手触りさえ感じられそうなほどの深さだ。

 明かりはない。

 ハルカナもアルシノエも照明器具は所持していなかったし、あったとしても使うことはなかっただろう。

 この闇の中で明かりを点けていれば、ファイバにここにいますよと教えているようなものだからだ。

 損傷した赤外線センサーを補うために音響・電磁波センサーの感度を最大にして、特殊部隊並みの慎重さでここまで進んできた。センサーの感度を最大にしたまま使い続けるのはけっこう消費が激しいもので、ただでさえ残量に不安を抱えるエネルギーをジリジリと削っていったが、安全確保のために背に腹は変えられなかった。

 ハルカナの足なら直線距離で行けば十分もかからない距離に一時間もかけたのは、昼間に襲われた場所を避けるために大げさなくらい迂回したからだ。アルシノエの指示を聞きながら、何度かこの暗闇で道を間違えつつも、目印である「鉄柱」の元まで辿り着いた。

 周囲には今のところ、アルカナとアルシノエ以外になんの反応もない。

 そして、それはつまり、ひとつの事実をハルカナに教えていた。

 ここにはすでに、人はいない。

 考えてみれば当然だった。ファイバが現れてからすでに数時間経過している。その間にファイバの勢力圏内にあるここが気付かれないわけがなかったし、ここにいた人々の危機管理意識が高ければ襲われる前に逃げ出しているはずだった。

 生きているものが出すあらゆる反応を、ハルカナのセンサーはついに検出することができなかった。

 見渡す限り瓦礫と鉄屑だけの大地の中に、なにかの冗談か忘れ物のように有機的によじれた「鉄柱」が立っていた。アルシノエたちウルティオ・アイルの停泊地は、その下にあった。

 すでに過去形である。

 そこにあるのはもう停泊地と呼べるものではなかった。本来なら十隻はあったであろう履帯船に、無事なものはひとつもない。潰れるか、ひっくり返るか、バラバラかのいづれかだ。まるで嵐が過ぎ去ったあとのようにあらゆるものが散乱している。工具や食器や衣服。ガラクタみたいなおもちゃ。武器まである。焚き火の跡があちこちにあり、調理された食べ物さえ残っているものがあった。

 ただ、人だけがいない。

 アルシノエが前を歩いている。小声でいろんな誰かの名前を呼びながら、あちこちを歩き回って懸命に誰か残っていないか探している。

 ハルカナでなくとも、ここにはすでに誰もいないことくらいわかるはずだった。

 ハルカナはアルシノエの役に立ちたい一心で、そのことを教えようとした。それで役に立てると思ったのだ。

「アルシノエあのですね、ハルカナの耳と目とアンテナによれば、このあたりにはすでにだれ」

「そんなことないしっ!!」

 叩きつけるような勢いで叫び返された。

 ハルカナはなおも続けようとする。

「でもですね、アルシノエ聞いてくだ」

「ハルカナはちょっと黙っててっ!! いるんだからっ! 隠れてるだけなんだからきっとっ! うちが来るの待ってるはずだからっ!! うちのジャマしないでっ!!」

 目をきつく閉じて両の拳をぶんぶん振り、駄々っ子のようにアルシノエが叫ぶ。それからツイッと顔を背け、そのまますたすたと歩き出す。少し遅れてハルカナがアルシノエに付いていくと、ちらっとだけ振り返ってそれを確認してから、ハルカナを待つことなく再び誰かの名前を呼びかけ始める。声は、さっきよりも弱々しくなっていた。

 ――お、怒らせてしまった……。嫌われちゃったかもしれない……。

 さっきよりも三メートルは遅れてアルシノエの後に付いていきながら、ハルカナはどんよりと考える。

 ハルカナの何がいけなかったのだろう。邪魔しないで、と言われたが、アルシノエの邪魔をしたつもりはこれっぽっちもなかった。むしろ役に立ちたかったのだ。だからアルシノエに誰もいないことを教えてあげたのに、どうやらそれがいけなかったらしい。

 ハルカナはアルシノエの思考経路を精一杯推測してみる。

 たぶん、きっとこうだ。アルシノエは自分で確かめたかったに違いない。自分の光学センサーで観て、音響センサーで捉えないと納得できないことなんて確かにいくらでもあることだ。ただ、人間のそれらはハルカナのものよりも遥かに感度が低いというだけの話だ。だからアルシノエはきっと、自分で確かめるよりも先にハルカナに言われて怒ったのではないだろうか。たぶん。おそらく。きっとそうだ。

 それにしても、とハルカナは周囲を眺めて考える。ここにいた人間たちはどうなったんだろう。この停泊地がファイバに襲われたのは間違いない。が、ここにいた人間たちもそのとき一緒に襲われたのかどうかまでは、ここに残された情報からだけでは読み取れなかった。なにせ奴らは人間と見るや跡形もなく喰らい尽くすのだ。襲われたあとには死体ひとつ残らない。だからここにいた人間たちがファイバに全滅させられたのか、それとも可能性は高くないが襲われる前に逃げ出したのか、あるいは襲われはしたが逃げ延びた人間もいるのかまではハルカナにもわからなかった。

 もしまだ生き残っている人間がいるのならばアルシノエのためにもどうにかして助けてあげたいところだが、正直この状況で探し出して救出するのはハルカナでも困難と言わざるを得ない。

 名前を呼ぶアルシノエの声が、いつの間にか消え入りそうになっていた。すでに呟きと変わらないくらいにまで、か細くなっている。多分アルシノエにも、もう認めざるを得ないということくらいはわかっているのだろう。それでも呼び続けるのは、いわば、彼女の意地のようなかもしれなかった。

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