第15話 夢の終わり④

 最後のチャンスかもしれなかった。

 いつ他のファイバが集まってくるとも知れない状況で、これ以上時間はかけられなかった。

 両脚の二連装軽迫撃砲を起動。テンタクラへ向け仰角ほぼゼロで牽制の一斉発射。起き上がろうともがくテンタクラは砲弾を食らうに任せて身を守ろうともしない。そんなものを食らった程度では表面の繊維体しか傷つかないことをわかっているのだ。ハルカナも同感。構わずに『シンデレラ』に指令、フルスロットルの短距離ダッシュからスラスタージャンプでテンタクラの頭上から突撃させる。バックパック開放、中から五・五ミリ短機関銃を選び出しさらに弾幕を張る。

 テンタクラの頭部に激突する、直前で、突然テンタクラが今までのもがきが嘘のように体を起こし、未だ健在の七本の触手を閃かせて『シンデレラ』を左右から挟み込んだ。

 『シンデレラ』が、まるで粘土細工のようにあっさりと潰される音を、ハルカナは頭上で聞いた。

 コネクタを外してすでに『シンデレラ』から離脱していたハルカナは、『シンデレラ』の背部マウントポイントから引き抜いた超震動ブレードを右手に構えて掌の専用ターミナルと接続、鉄屑上に着地後三歩で最大速度に至りブレードが発する振動音の尾を引いて一秒後にはテンタクラの横を駆け抜けていた。

 胴体を中枢繊維体ごと真っ二つに斬り裂いて。

 力を失ったテンタクラの身体がばらばらに解けて、雨のように鉄砂漠に降り注いだ。

 これで終わりになるほど、ファイバは甘くない。

 すでに音響・電磁波各センサーが、近距離戦闘圏内に侵入した敵性反応に警報をがなり立てていた。

 ハルカナは振り返る。女の子が十メートルほど離れたところからこちらを見ている。その女の子の周囲三地点に異変。何かがいる。その「何か」が、鉄屑を盛り上げながら魚雷のように女の子に直進する。女の子の悲鳴。鉄屑を撒き散らして三体のそいつらが女の子に飛び掛った。全長三メートルほどの「ワーム」。もっとも単純な構造のファイバで、中枢繊維体と、先端の捕食器官しかない。その捕食器官を大きく開いて女の子に食らいつく

 直前でハルカナは矢のような勢いで一体を後ろから両断し左腕で女の子を拾い上げ二体目を正面からすれ違いざまに切り落とした。急停止。三体目が再び鉄屑の中から跳ねる。ブレードを一閃。ハルカナの背後に、そいつは二つになって落ちた。

 ワームは集団の尖兵だ。こいつを一体見たら三十体はいると思え、というのは冗談のような真実である。

「ヤバいのでっ! どのくらいヤバいのかとゆーと、レーダーが反応で埋まるくらいなのでっ! そりゃもう周りじゅうなのですよっ! ファイバが集まってくるので全力で逃げますのでっ!」

 抱えたままの女の子に向けて言うと、女の子は強張った表情のまま壊れたロボットのようにかくかくと何度も頷いた。

 ハルカナは鉄屑の斜面を斜めに駆け上がる。四分の一周したところで上に出た。見知らぬ世界。記憶野が現在位置を特定しようと地図情報から検索をかけ始めた。GPSの電波はずっと音沙汰なしだ。現在位置は後回しにして、ハルカナは音響・電磁波センサーがもたらす情報に従って走り出す。瓦礫と鉄屑に埋め尽くされた大地のあちらこちらから敵性反応が集まりつつあった。ここでようやくハルカナは赤外線センサーが馬鹿になっていることに気付いた。至近距離で爆発を食らった影響だ。結構痛い。

 まともに歩くのでさえ困難な鉄砂漠の上を人類には真似出来ない速さで駆ける。敵性反応はもうすぐそこまで来ている。止まってしまったら津波のように押し寄せてくるだろう。正確な数はもうハルカナにもわからない。鉄屑の丘を駆け上がる。その向こうに四つの反応。瞬間最大速度で突っ込んだ。

 丘の天辺に出た。待ち構えていたかのような距離にいた六本足のインセクトが前肢を振り上げて振り下ろすより早くハルカナはブレードで二本の肢を斬り払って置き去りにする。反応の遅れた二体のインセクトのうち一体を頭部から尾部にかけて二枚に下ろし、七メートルクラスの人型ファイバ「ギガント」が振り下ろした雷のような拳を間一髪で避けてお返しとばかりに胴体に致命的な一撃をお見舞いした。

 一瞬たりとも止まるわけにはいかなかった。下り坂をほとんど飛ぶような勢いで駆け下りる。もうセンサーが無意味に思えるくらい、周囲が敵性反応で溢れている。周囲の鉄屑に無数の盛り上がり。見える範囲全てを埋め尽くすほどの数。初めて焦りを感じた。集団のど真ん中に誘い込まれたみたいになっていた。目の前で鉄屑が弾ける。ハルカナは神速の反応で左に避ける。インセクトが、ワームが、ハルカナの後方で次々と浮上していた。突然、情報処理野が発狂したように警報を発した。左。鉄屑の丘の中。ギガントの待ち伏せ。そいつが鉄屑を蹴散らして襲いかかるより早く、ハルカナはそちらへ方向転換、問答無用でブレードを鉄屑の丘に突き立てた。錆びた鉄板や鉄パイプを真っ赤に切り裂きながら駆け抜ける。鉄屑の丘が崩れ、中から大量の繊維体がこぼれ落ちてくる。

 直後、ハルカナを飲み込むように突如として鉄屑の丘の上部が崩れ落ちてきた。中に潜むギガントが他にもいたのだ。

 ハルカナの行く手を完全に塞ぐ勢いで鉄屑が降り注いでくる。駆け抜けるにはもう間に合わない。防ぎ切るのも不可能。直撃コースの鉄屑を斬り払いながら0・一秒未満で計算して、ハルカナは苦渋の急停止を決断した。鉄屑の絨毯爆撃をさらに後方へ跳んで避ける。殺人的な機動に左腕に抱えた女の子が「ひゃぅっ」と空気の抜けたような声を漏らす。

 半ば針山と化した鉄屑の大地にハルカナは精密機械顔負けのバランスで着地した。その際、右膝が予想外に砕けて、僅かによろめく。ここまでの機動で、ダメージのあった右膝が悪化していた。

 隙を見せたつもりはなかった。が、一瞬の停滞が致命的だった。

 情報処理野の絶叫。足元に違和感。

 ――真下!

 ハルカナの周囲の複数で鉄屑が弾ける。真っ黒なワームが三百六十度から矢のようにハルカナに襲い掛かる。ハルカナは光速の反応。掲げたブレードを下に向けて最高速の信地旋回機動。切り刻まれた繊維体と、体液と、美しいほどの光の軌跡が飛び散り、それを運良く逃れた一体のワームがハルカナの右腕に喰らい付いた。さらに細長い胴体を蛇のようにハルカナに巻きつける。女の子の悲鳴。捻り潰さんばかりの締め付け。右腕が動かせない。周囲に集まる敵性反応。警報。

 ――なんの、これしきっ!

 ハルカナは左腕に抱えた女の子を放した。自由になった左手で手刀を作り、耐久性度外視で瞬間最大出力の全力突きをワームの中枢繊維体目掛けて繰り出した。肉を抉る音と骨の砕ける音が両方から聞こえた。確かな手ごたえと、無視できないレベルの損傷警報。ハルカナに中枢繊維体を貫かれたワームは一度びくりと震えた後、解けた縄のようにばらばらと落ちていった。露になったハルカナの左手は、目を背けたくなるようなひしゃげ方をしていた。使い物にならないかもしれない。でも今はそれどころじゃない。

 ハルカナは女の子を振り返る。女の子も今にも泣き出しそうな顔でハルカナを見上げている。その真下にいる。ハルカナは右手のブレードで未だに絡みつくワームの繊維体を必死に斬り払いながら、左腕を女の子へ伸ばした。掴もうとした左手は、やっぱり使いものにはならなかった。突き飛ばすより他に方法はなかった。

 女の子が後ろへ転がるのとほぼ同時に、鉄屑が噴火した。ファイバの影。大口を空けたそいつが、女の子を突き飛ばしたハルカナの左腕を飲み込んだ。左腕に深刻なダメージ。左腕を噛み付かれたまま、ハルカナは身体ごと持ち上げられる。そいつが鉄砂漠の中から姿を現す。グレイ・イーター。八メートルクラスの百足脚のワニ。

 ――しつこいからっ!

 全体の三分の一を占めるグレイ・イーターの大きすぎる捕食器官に左腕を挟まれたまま、ハルカナはそいつの中枢繊維体目掛けてブレードを突き刺した。体表を守る繊維体が溶解し溶けた体組織を撒き散らして胴体の反対側まであっさりと突き抜ける。グレイ・イーターの巨体がぐらりと傾き、地面に倒れる前にそいつの体はばらばらに解けていった。左腕を解放されたハルカナは地面に着地後、間髪入れずに女の子に駆け寄る。さらに襲い掛かってくる四体のワームを一呼吸にも満たない間でバラバラにし、女の子に左腕を差し出す。肘関節が奇妙に捻れてうまく動かせず、そこから先は完全に機能停止していた。

「突き飛ばしたりしてごめんなさい、あのあの、ああするしかなかったのでっ。撤退続行しますのでっ、ハルカナに掴まってくださいませっ」

 女の子はまだ泣きそうな顔でハルカナの顔と壊れた左腕を見ている。

 ハルカナは笑顔を見せた。

「へいきへいき。なんてことないのでっ」

 女の子がハルカナに抱きついてくる。ハルカナはうまく動かない左腕で出来る限りしっかりと抱き締めて、立ち上がる。

 鉄砂漠のあちこちからファイバが津波のように押し寄せてくる。

 ハルカナはすぐそばの鉄屑の丘を駆け上がった。

 右膝の調子も心配だったが、たとえ壊れることになったとしても、走ることを止めるわけにはいかない。

 ――ハルカナの身体がどうなろうとも、女の子だけは守る。

 それは、八十七年間待ち続けたハルカナに与えられた、最初の任務なのだ。

 果たさないわけにはいかなかった。

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