第13話 夢の終わり②

 そして、それは唐突に来た。

 センサーがまったく別の反応を感知した。

 それは、計測ミスと疑いたくなるほどの数値だった。一番初めに感知した音響センサーは、その足音から「そいつ」が推定で体長十メートル以上、体重は二十トンを超える、二足歩行する生物であると告げている。赤外線映像が真っ白になるほどの熱量。センサーを焼き切らんばかりの、司令官クラスの強力な電磁波。あまりに近い。すべての観測結果が緊急事態を示している。情報処理野が警報を喚き立てる。

 ファイバだ。しかも、とんでもなくでかい。帝王種に違いなかった。

 考え得る限り最悪のタイミングに最悪の敵だった。

 なにもこんなときに、というのがまずハルカナの思ったことだ。

 ハルカナが起きた後ならば何も問題はなかった。女の子はおらず現れたのがファイバだけ、というのでもよかった。それならばハルカナはやり過ごすこともできただろう。けど、その二つが最悪のパターンで見事に重なってしまった。現れたのが帝王種というのも何者かの悪意を感じるくらいに最悪だった。帝王種は軍団級以上の集団規模を統べる特殊な司令ファイバだ。その危険度は自然災害にも匹敵する。そんなのが、今、このすぐ近くにいるなんて、観測データの間違いを疑いたくなる状況だった。せめて、現れたのが兵種のファイバであればなんとかなったかもしれないのに。

 もしかしたら、だめかもしれない、とそのときハルカナはふとそう思った。

 ハルカナは結局目覚めることもできず、女の子を助けることもできず、ファイバと戦うこともできず、ずっとこのままかもしれない。女の子が殺されるのを、ここで観測しているだけなのかもしれない。

 すべてが手遅れなような気がした。

 女の子はもう逃げることもできないだろう。ハルカナを起こすにしたって、上に積み重なったものを掻き分けてカプセルを見つけてサスペンドを解除するなんて手間をかけている暇もないだろう。ファイバが女の子を殺すのに三秒とかかるまい。

 なす術もなくハルカナは観測を続ける。

 まるで、ここで起こった全てを記録するのが自分に課せられた使命であるかのように、ハルカナは光学以外の全センサーをアクティブにしたまま、じっと耳を澄ました。女の子の泣き叫ぶ声。指向性を持った喜色まみれの電磁波。這いずる音。ほぼ真上だった。

 そして、ハルカナはその音を聞いた。

 ガラスのひび割れる、小さく鋭い音。

 それは、ハルカナのいるカプセルのカバーから上がった音だった。通常、そのカバーの上に大の大人が乗ったところでその強化ガラスにひびが入ることなどない。しかし、あらゆる衝撃からハルカナを八十七年間守り通してきたそのカバーの強化ガラスにも限界があった。それが今、女の子の体重がカプセルの上にかかったところで、訪れたのだった。

 無論、そのカバーの強化ガラスが割れて砕けることはなかった。それほどやわな代物ではない。しかし、その小さなひびは、カプセルの緊急解除・解放機能を作動させるには十分だった。

 驚きに一瞬センサーさえ停止した中、緊急解除を告げる魔法の電子音が響く。

 ハルカナを八十七年間縛り続けてきたサスペンドの呪いが、解ける。

 だれかたすけて、と女の子のか細い声。それはまさしく、ハルカナがひたすら待ち続けた「そのとき」を告げる合図として、彼女に届いた。

 そこからは一マイクロセカンドの遅滞も許されなかった。ハルカナの全思考野が一瞬にして臨戦回路に切り替わる。戦闘以外の不要な回線がすべてシャットアウトされ、予備CPUが解放され、活性処理が隈なく施される。目覚めたばかりでまだ眠気眼の機体管制野に予備CPU領域をバカスカ投入、今できる最大の処理速度で叩き起こした。八十七年ぶりに目覚めた機体管制野は狂ったように働き出す。最低出力の維持稼動だった二つの反応炉にエネルギー効率も耐久性もガン無視で燃料を一挙に放り込み、無理矢理最大出力まで引き上げる。突然の酷使に反応炉が軋みを上げるのも構わずに、発生した電力を惜しみなく使って全身の自律系、電子神経回路、誘電エラストマーアクチュエータ、ナノファイバセルに火を入れていく。およそ一世紀ぶりの力強い鼓動をハルカナの耳が捉えた。一度、深く息を吸い込む。ようやく全身を巡り始めたナノファイバセルのうち、まだ四十パーセントが起動していない。電子神経回路にもいくつか断線が見られ、一部のアクチュエータとまだ回路がつながらない。早く早く。思考だけが空回りしている。カプセルのロックが外れ、カバーが動いた。ここまででおよそ一・七秒。あまりにも貴重な時間が過ぎていく。取り返しのつかない一瞬が迫っている。もうこれ以上は待てなかった。

 現状で六割。それで十分。

 そう判断して、ハルカナはカプセルのカバーを上に積み重なった瓦礫と鉄屑ごと蹴り飛ばした。

 爆発級の瓦礫と鉄屑の飛散。

 その中を、ハルカナも一緒に飛び上がっている。

 八十七年と十ヶ月ぶりの、三万二千六十一回夢見た、外界だった。

 光・音・気・圧・電・熱・放全ての感覚器から入ってくる情報に、情報処理野がはしゃいでいる。

 八十七年と十ヶ月分の運動不足を取り戻そうと、機体管制野が意気込んでいる。

 ようやく得られた大量の情報から現在の位置・状況を急いで割り出そうと、記憶野が躍起になっている。

 感情野はさっきからずっと子供みたいに歓声を上げっぱなしだ。

 そして中枢野は、いま最優先でやるべきことを確認した。

 未だ空中にいるハルカナの五メートルほど下に、彼女のキックの衝撃に巻き込まれて鉄屑の上にひっくり返っている女の子がいる。ちゃんと生きてる。ちょっとやりすぎちゃったけど生きてるなら問題ない。はず。その女の子を助ける。それがハルカナに与えられた目的だ。

 見上げる。

 ハルカナがはじめて直に見るファイバの姿は、十メートルほど上の斜面の天辺にあった。こいつの身体は何百万という大量の繊維体でできており、コブのようにわずかに盛り上がった頭部には大きさのバラバラな六つの赤い目玉があり、体長が十五メートルほどもある。突然変異によって生まれてくるとも言われている帝王種。今のところ確認されているこの種はすべてが単体でしか存在しない。何気なく記憶野を漁ると、驚いたことに該当するデータがあった。個体名「テンタクラ」。体長体重云々より目を引くのは、その最大の特徴である胴体と見紛うほどの巨大な両腕だ。その腕が太いのは触手が束になっているからで、解けば片方六本計十二本の触手になる。太さを犠牲にすれば最長二十メートルまで伸びるその触手は、さらにおよそ一千万ボルトという落雷級の電圧を数秒間にも渡って放つことができる電撃ムチでもある。その電気触手によって、今まで数々の防衛軍部隊が葬り去られてきた、とそのデータは告げている。つまりこいつは、八十七年以上も前からこの辺りを支配してきたかなりの古豪の帝王種のようだ。

 もしかしたら、今まで誰もハルカナを起こしに来れなかったのはこいつのせいかもしれないな――ふと、そんなことを考えた。

 空気が帯電している。テンタクラは十二本の触手を孔雀のように広げ、すでに臨戦態勢。ハルカナが女の子の目の前に着地した直後、テンタクラが斜面の上から飛び掛ってきた。同時に、青白い放電の尾を引いて十二本の触手が豪雨のように降ってくる。ハルカナは女の子を脇に抱えて処理速度限界の速さで触手の雨を避ける。「ひゃぁっ!?」女の子の悲鳴が取り残される。地響き、鉄屑の大波。着地の衝撃を不定形生物のように形を歪ませて吸収したテンタクラは、鉄屑の下に潜らせた十二本の触手をハルカナに向けて放つ。十二本の鉄屑の飛沫が有機的な曲線を描いてハルカナに迫る。下からの嵐のような突き上げ。瓦礫と鉄屑と「ノア7」の残骸と積荷が次々と吹っ飛んでいく。ハルカナはそれらの攻撃を慣性をもねじ伏せたステップで避けつつ、全力で後退する。八つかわしたところで攻撃が止んだ。射程外。テンタクラが起き上がる。頭の天辺が斜面の天辺より上にあり、触手を左右に広げれば窪みの横幅に迫りそうなほどの、圧倒的な質量感。

 三十メートルほどの距離を開けて、ハルカナとテンタクラは対峙した。

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