第12話 夢の終わり①
音響センサーが、外界に反応があったことを告げた。
ハルカナはそのとき、いつものように夢を見ていた。
ハルカナの人工神経回路網の中で、見張り番の情報処理野がその反応に大変大変! と騒ぎ出し、叩き起こされた記憶野が欠伸のように今回で九十三回目、と告げる。機体管制野は今も冬眠中。寝起きの感情野がひねくれたようにどうせ今度も関係ないさ、と吐き捨て、ようやく中枢野がのそり、と起き始めた。
久しぶりの反応だった。
前回反応があったのが、今から約一万八千二百五十時間も前のことになる。ほぼ二年前だ。
この八十七年と十ヶ月の間に九十三回の反応があったわけだから、平均すると大体八千二百七十二時間に一回のペースになる。その平均を大きく上回っていることから、今回の反応までがいかに長かったかがわかるというものだ。
ハルカナはそれまでの間、ただでさえ数少ない動かすことのできる機能を、エネルギー消費を極限まで抑えるために、音響センサーとそれを監視するためだけの一部の情報処理野を残して、すべて眠らせていた。今も大半が眠ったままだ。言ってみれば寝惚けた状態である。このままではできることもできなくなってしまうので、ハルカナは急いで機能をひとつひとつ起こしにかかった。
センサーに二回目の反応。
感知した反応が微弱すぎて、何の音なのかは明確にはわからない。
――だまされるもんか。
感情野の呟きが聞こえた。
ハルカナの人工神経回路網の中にある四つの思考野は、それぞれが独立している。それぞれが別々に作業し、同時に活動し、各個に考えることができる。その中で感情野だけが頑なな態度を崩さなかった。
無理もない、とハルカナの中枢野は冷静に分析する。
こんなことは今まで何度もあった。
前回までの九十二回がすべて、そうだった。
それらは決まって小動物の足音だったり、瓦礫が崩れる音だったり、時にはファイバの気配だったりした。
人間と思しき反応があったことは、今まで一度もなかった。
これまでに九十二回も裏切られてきた。
八十七年と十ヶ月の間待っても、ハルカナを起こしに来る者は現れなかったのだ。
それは紛れもない事実だ。
でもでも、と中枢野は意気込む。
今度こそ、今度こそはきっと、起こしに来てくれたに違いない。ハルカナは大いに期待している。
根拠ならある。
なぜって、『メガホイール』のみんながいるから。
若い技術者も青白い研究員もおやっさんも教授もきっと空の上からハルカナのことを見てくれているから。
たったそれだけだ。
ハルカナの人工神経回路網を支えるのは、たったそれだけのことだ。
たったそれだけのことで、ハルカナが八十七年と十ヶ月も待ち続ける理由には十分だった。
たったそれだけのことで、いつかきっと必ず目覚める日が来ると信じるには十分だった。
それがきっと今日になると希望を抱くには十分すぎるほどだった。
――今回の反応はきっと防衛軍の人だ。防衛軍の人がやっとハルカナを見つけてくれたんだ。
――もしかしたら『メガホイール』の誰かかも。若い技術者さんとかが自分から探しに来てくれてたりして。はやく、はやくハルカナを起こして。
三度目の反応はずいぶん近かった。
ハルカナはようやく寝惚け頭から抜け出した。孤軍奮闘してきた音響センサーに加え、使えない光学センサー以外の全センサーをアクティブ。電・熱・気・圧・放のあらゆる感覚を駆使して全力で外界の様子を探る。
音が近付いてくる。
それが足音であることにはもう気付いていた。
電磁波も超音波も低周波も発しない、放射性物質を含まず体表面の温度が三十六度強の、小動物以上ファイバ以下の大きさをした、二足歩行で移動する生き物。
まさか、と思った。
やっぱり、とも思った。
それは、紛れもなく、人間だった。
ハルカナの全思考野が色めきたった。
やっと来た。とうとう来た。やっぱり来てくれたのだ。ちょっと遅かったとは思うけど、でもやっぱり『メガホイール』のみんなはハルカナのことを見てくれていた。ハルカナのことを忘れてはいなかった。八十七年と十ヶ月の間待ち続けて、三万二千六十一回夢見て、九十二回裏切られ続けてきたハルカナの願いが、とうとう叶う日が来たのだ。
ハルカナは今までにないほどの興奮を自覚していた。あれほど頑なだった感情野が、今ではウソのようにはしゃぎ回っていた。身体を動かせないのがもどかしかった。もし動くことができたなら、踊り出してしまいそうなほどの気分だった。
ハルカナははやく、はやく、とはやる気持ちを抑えてそのときを待った。
そして、おかしなことに気付いた。
各種センサーが拾い集めてきたその人間の推定外観によると、その人間は身長が百五十センチもなく、体重が四十キロもなく、わずかに聞こえる声から男でもなかった。
つまりは、女の子だった。
さらには、その聞こえる声も問題だった。明確な言葉ではない。しかし、ハルカナはそれを、データとして知っている。
それは、泣き声だった。
あれれ、と思った。身体が動いていれば首を捻っていたことだろう。
ハルカナを起こしに来たはずの人間は、若い技術者でも青白い研究員でもおやっさんでも教授でもなかった。それどころか『メガホイール』の誰かでも、防衛軍の人ですらないかもしれない。
ハルカナはちょっと混乱した。
ハルカナのところに向かってきているということは、その人間はハルカナを起こしに来たに違いないのだ。ハルカナの人工神経回路網では、どうやってもそうとしか考えられなかった。
それなのに。やってきたのは若い技術者でも青白い研究員でもおやっさんでも教授でも軍人でも大人でもない。女の子が、ひとり。
――なんで女の子?
――なんで大人の人じゃない?
しかもだ、
その女の子は泣いてさえいるのだ。
ここまで来たらもう、ハルカナの思考の限界を完全に超えていた。
なんでハルカナのところに向かってくるのが『メガホイール』の誰かでも防衛軍の人でもないのかも、なんで女の子なのかも、なんで泣いているのかも、ハルカナ自慢の高性能のセンサーをどれだけ駆使したところでさっぱりわからない。それらの理由を計測する術を、ハルカナは持たない。
――まあ、いいや。
ハルカナはそれらのことについてこれ以上深く考えるのをやめた。
正直、最も重要なことに比べればそれらのことなんてどうでもよかったのだ。なんだったら、起きてから直接聞けばいい。
そう、ハルカナを起こしてくれさえすればそれでいいのだ。
それこそが、今のハルカナにとって最も重要なことだった。
今まででもっとも鮮明な反応。
斜面を転がり落ちるような音。そして、硬いものにぶつかるような振動。
――もう少しだよ。
――ハルカナはここにいるよ。
そこからほんのちょっと進んでくれれば、カプセルの上に積み重なったものをちょっと掻き分けてくれれば、
ハルカナはここにいる。
ここにいるのに、しかし女の子は、ハルカナの方に寄ってくることもなければ、探そうとする様子もない。それどころか、まったく動こうという気配すらない。
――どうしたんだろう。
――どうして起こしてくれないのかな?
明らかにおかしな様子なのに、どう考えてもその可能性は低いというのに、この期に及んでハルカナはまだそんなことを考えている。
その女の子がハルカナを起こしに来たに違いないと、その考えから抜け出すことができずにいる。
ハルカナは、最後までそうなのかもしれなかった。
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