第19話

 愛している。どちらもその気持ちが相手に伝わる様にと祈り、唇を重ねている。

 接している面が熱い、唇が溶けているのではないかという程の感覚だ。心を満たす幸福感に、ある種の恐怖さえ感じてしまう。


「ぷはっ!」


 しばらくして亞紋は自分から唇を離した。


(き、キスってどのタイミングで息をすればいいんだ? もう少しで死にそうになるところだった……!)


 亞紋は青い顔しながら、トロンとした表情で呆けているモネに軽く謝罪を行う。


「ごめん、僕、初めてだから……。やり方とか全然ッ分からなくて」

「んぁっ。大丈夫だよ。わたしもだからっ。でも前とは全然っ、違うね! わたし生身のお兄ちゃんとキスしちゃったんだ……、嬉しい」

「うん。そうだね。あ、えっと、あはは……! できれば前のヤツは忘れてほしいけど」

「んーっ、幸せ! 皆もしてもらいなよ!」


 ムクリと、人のシルエットが上半身を起こす。

 雫奈だ。口を結んで目を細め、亞紋をジッと見ている。それだけではなく逆の方向を見ればフィリアが笑みを浮かべ、ペティが無表情で手を振っていた。


「か――ッ! 起きてたの!?」


 先ほどの会話をバッチリ聞かれていたようだ。亞紋は恥ずかしさで破裂しそうになる。


「みんなもそれでいいよねっ?」


 他の三人はコクコクと頷いた。四人で亞紋の愛を共有する事に納得しているらしい。

 というより、事前にそんな話もしていたようだ。ペティが教えてくれた。


「ま。アタシら、もう一心同体みたいなモンだし? マスター取り合うとかピンとこないっていうか。あ、でも勘違いすんなよ。アタシら四人だけだかんな。もし他のヤツにヘラヘラしたらブチ切るから。そこんとこ、まじ、よろな」


 ブチ切る――? 亞紋は青ざめるが、すぐに真剣な表情になった。亞紋としても、優柔不断な選択かもしれないが、それでも四人への愛に、優劣はつけたくなかった。


「モネ、雫奈、ペティ、フィリアさん! キミ達は全員僕の嫁だ! ぶははは――、いやゴメンっ、やっぱ今のナシ! だからとにかくッ、つまり僕はその……! いろいろダメダメなヤツだけどッ、でもそれでもキミ達を愛してるって事は誰にも負けない自信があって! つまりだからあのその――」


 格好悪くて不恰好な意思表明かもしれないが、伝わったようだ。

 モネに促されて雫奈が亞紋の傍にやって来た。三つ指をついて、頭を深く下げる。


「不束者ですか。よろしくおねがいします。四葉亞紋さま」


 亞紋も起き上がり、同じように手をついて頭をペコペコ下げた。


「シズナもモネと似たような立場でございました。男尊女卑がまだ強い里ですので、出来の悪いシズナはいつもバカにされてばかりで……、あげくには従者になる事で遠まわしに家を追い出されてしまいました」

「……知らなかった」

「ですが、ご主人様は、このシズナの事を必要としてくださいました。あの喜びは今までに感じた事のない熱をシズナの心に落としたのです」

「別に、普通だよ。キミが本当に僕の力になってくれたからお礼を言ったし、応援した」

「その普通を教えてくれたのがご主人様です。良いではないですか。シズナの里も一夫多妻制でございますよ?」

「長いし。もうッ、好きな理由の説明とかいちいち良いから。さっさとやっちゃいな」


 ペティに急かされた。なので雫奈は真っ赤になって唇をなぞる。


「と、とととにかくっ、その――、お近づきの証に、ど、どどどどうかシズナにもせ、せせせせせ接吻を――」


 今まで恥ずかしくて口にした事もない単語を、よりにもよって意中の相手にぶつけるなんて雫奈にはできなかった。なので、別の言い方でここは一つ。


「ちゅ、ちゅぅ、ちゅうをしてくださいませ」

「や。そっちの方が恥ずかしいだろ」


 ペティの冷静なツッコミは聞こえちゃいない。 雫奈は肩を竦めると、ギュッと目を閉じて顎を引く。

 緊張しているのが見ているだけで分かる。プルプル震えているし、強張っていた。


「あのさ、雫奈。顎引きすぎっしょ。それじゃマスター困っちゃう」

「そ、そうでございますか……。なるほど」


 今度は極端に変化し、思い切り唇を突き出して数字の『3』の様な形にしている。


「力みすぎじゃね?」「は、はい!」


 雫奈は、普通に目を閉じるだけにして亞紋を待つ。その亞紋は困ったように肩を竦めていた。いろいろ刺激が強すぎてフリーズしているのだろう。それを察知したのか、ペティが亞紋の背後にやってきて、囁く。


「ぐだぐだ考えんな。いいから――、ぶちゅれ」


 ぶちゅる。ぶちゅれば。ぶちゅる時。ここまで煩悩に塗れた言葉もなかなか無い。そう考えていると、ペティに背中を押された。あっ、と思い、手をついた時には雫奈の顔がそこにあった。

 亞紋は覚悟を決める。雫奈の肩に手を乗せると、唇を重ねた。

 呼吸はもう諦める。愛だ愛。それ以外に何がいる?


「うぅ! ぐすっ! ひっく!」


 呼吸の乱れを感じて顔を離すと、雫奈が大粒の涙をボロボロ零しているじゃないか。


「ご、ごめん! 嫌だった!?」

「違うんです! シズナは……、ひっく! 嬉しくて……! えっぐ! ずっと夢見てきました。ぐすっ! ご主人様とこうなれる事を……! うぅっ!」

「そっか……。僕も嬉しいよシズナ。ずっとキミたちを見ていたから、凄く、本当に嬉しいし、幸せだ」

「はい……! このシズナも同じ気持ちでございます」


 雫奈は涙を拭うと、嬉しそうにモジモジと亞紋を見る。


「こ、ここここれでシズナもご主人様の……、はにぃになれたでございますか?」

「は、ハニー……」

「フィリア様から借りた恋愛小説に書いてありました。あはっ!」


 雫奈は嬉しそうに微笑むと後ろへ下がっていく。

 同じくして背後から抱きつかれる感覚。振り返ると、フィリアがニコニコと。


「マスターくぅん。お姉ちゃんにもキスしてほしいなぁ」

「フィリアさんッ。まだ酔ってるんですか?」

「酔ってないよぉ。お姉ちゃん全然平気だよぉ? ねえ、ほら、キスぅ」


 その実、フィリアの酔いは既に醒めていた。まだ少しフワフワしているが、酔った時の性格を再現しているだけである。何故そんな事をするのか。亞紋には覚えがあった。


「お願いですフィリアさん。僕は貴方と、その……、キスがしたいです!」

「うん! いいよぉ。いつでもきてぇ」

「でも、目を開けてもらってもいいですか!」

「え、えッ、え!? そ、それはダメッ! 絶対ダメ!」


 そう、フィリアは恥ずかしがり屋なのだ。亞紋の世界でもそういう人は多く、マスクやメガネをつけて誤魔化す人がいるが、フィリアも同じなのである。目を閉じて魔力で人を把握するのは魔力を高める練習でもあるが、何よりも人と目を合わせるのを防ぎ、自分の世界に一枚壁を作ることだった。

 亞紋は何となくソレを理解していた。フィリアは積極的だが、肝心なところで誤魔化し、一歩引くスタンスがある。それでは嫌なのだ。だからもっと踏み込みたい。


「フィリアさんは僕の素顔を既にご存知かもしれませんがッ、僕はそうじゃない。貴女の素顔を見たいんです!」

「フィリアお姉ちゃん!」「そうですよフィリア様、ここまで来て!」「がんばえー」


 モネ達の応援を受けるが、やはり恥ずかしいようだ。モジモジと肩を竦めている。


「ダメじゃないですが……、その、ガッカリされるかも」

「する訳ないじゃないですか! いいですかフィリアさんッ、僕は貴女の事が好きなんです! 愛しているんですっ! だからお願いですから僕を見てください!」

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