第15話

(やられた――ッ! まんまとオレ達はッ!)

 かなりリスキーでアバウトな作戦ではあった。事実、ほとんどが作戦とも言えない賭けの連続である。しかし結果として、体人達は狙いどおりに動いてくれた。


「ちっくしょぉおおおおお!」「きゃああああああ!」「いやああああああ!」


 ドバァンッ! と音がして湖に大きな水しぶきが上がる。

 衝撃はあるだろうが、強化された肉体が着水のダメージを軽減してくれるだろう。


「ブハァッ!」


 水面から顔を出す体人。続いてキャミーとラミーも顔を出すが――


「ぴゃあ! ぷはっ! あっぷ! た、体ちゃん! あたし泳げないよぉ! 助けて!」

「う、ウチもっす! あぷっ! ぶくぶく! ぷわぁ! はぷぁ!」


 亞紋はキャミー姉妹が水嫌いという情報をSNSで見かけていた。

 仕方なく二人を助けるため腕を取る体人。そんな彼の額に、矢が押し当てられた。


「終わりでございます。快心体人様」


 顔を上げれば、水面の上で雫奈、ペティ、モネに支えられた亞紋が、武器を構えて体人達を睨んでいた。

 雫奈の魔法で水面に立っているのだ。体人達を運ぶ負担が大きかったのか、フィリアは汗だくになって平地に倒れているが、今はもう四人で十分だろう。

 足のつかない水の中、仮にキャミー達が泳げたとしても圧倒的に有利である。

 体人は左右を見る。右には涙目のキャミー、左には涙目のラミー。


「体ちゃん……」「体くぅん……」

「ぐぐぐぐッ! まさか攻撃をせずにコッチの攻撃を封じる手があったなんてよ!」


 体人は悔しさに歯を食いしばる。悔しい、悔しいが――


「……やるじゃねぇか、亞紋」

「僕じゃない。モネ、雫奈、ペティ、フィリア、皆のおかげだよ」


 亞紋の視線を受けて嬉しそうに微笑む従者達。


「ああ、そう。そうだな。オレの負けだぜ……」


 体人はガクリと首を落とし、大きなため息をついた。


 負けを認めた体人は潔いものだった。正直、川から引き上げた途端襲ってくる可能性もあったが、今までの無礼を亞紋たちに謝罪する程の誠意を見せてくれた。

 真っ赤に燃える夕日を受けて、オレンジに輝く湖は神秘的で美しい。

 そこに添えられる土下座。なんともシュールな状況であった。


「亞紋。モネ達もマジですまんかった! 頼む、一発オレを殴ってくれ!」


 首を振るモネ。雫奈達も苦笑いを浮かべるだけで、怒りは覚えていないようだ。


「気にしないで。むしろ謝ってくれて、とっても嬉しいっ!」

「モネ……!」


 亞紋も頷いて体人の肩を持つ。


「いいよ別に。気にして無い――、しッ! オラァ!」

「ぐほぉっ!」(え? 嘘だろコイツ)


 なんの前触れもなく亞紋は体人を殴った。

 口から出た言葉と思いきり矛盾している気もするが、そこはまあ置いておこう。

 体人はさらに自身の携帯を渡すとも申し出たが、それは断ることにした。


「その代わり、ダイヤのキングがどこにいるのか知ってたら教えて欲しい」

「あ、ああ! 知ってるぜ!」


 雫奈がメモを持っていたので場所を記録する。


「あ。あと一つ」

「な、なんだ! もう一発か!?」

「やめてー! 体ちゃんをこれ以上いじめないでー! 根は良い子なのー!」

「反省してるっす! 許してほしいっす! ちょっと不器用なだけなんすーッ!」


 体人を抱きしめてブルブル震えているキャミー達。誤解だ。亞紋が聞きたいのは――





「お金の引き出し方、教えてくんない?」






「んんん! つかれたっ」「べへーッ、もうあるげまぜん……!」


 モネとフィリアはソファの上にばったりと倒れる。魔法は魔力を消費して放つもの。魔力が減っていくと、精神的にも肉体的にも疲労していくので連発ができないのだ。

 あれから亞紋達は体人達と別れ、セントラルにあるモネの家に戻った。

 やはりそこはアプリのホーム画面、拠点とはまるで違っている。洋風の二階建てで、そこそこ広く、モネの両親が用意してくれたものらしい。

 それぞれの部屋もあり、雫奈の部屋に関しては畳が引いてあった。

 リビングにはクラシックなタイプだが冷蔵庫や、ブラウン管タイプのテレビもある。

(まあでも良かったかな、レンくんにお金も返せたし)

 拠点に来る前に集会場に寄って、亞紋はレンへ立て替えてもらっていたお金を返しておいた。しかし驚きだ。まさか携帯に表示されているジェスの欄をタップすると引き出し画面に移れるとは。そこで設定した額が、実際に携帯から排出されるのだ。

(お金はたんまりあるし、ここなら何不自由ない生活が送れるって訳か……)

 ふと、亞紋は体人が言っていた言葉を思い出す。

『この世界は、オレには魅力的過ぎる』

 それがやはり心に刺さった。


「ねぇ、お兄ちゃんってばっ、聞いてる?」

「え? あ、ごめん。なに?」

「おふろ用意したから、どーぞ! すごく気持ちいいから、入ってみてねっ」


 体も重いし、汗もたくさんかいた。亞紋はお言葉に甘えることに。

 脱衣所で服を脱いで浴場へ入ると、大きな浴槽が目に入った。

(凄いなぁ。家の中も結構広かったし、モネの両親ってお金持ちなのかな……?)

 亞紋は素早く頭と体を軽く洗って、さっそく萌黄色に濁るお湯の中に足を入れてみる。


「だはぁ、確かに気持ちいいなぁ」


 少し温めのお湯が染みわたる。何でも魔法で作った入浴剤が入っているらしい。ずっと重く圧し掛かっていた気だるさが、みるみる消えていくのが分かった。

 間違いなく今まで入った風呂の中で一番気持ちが良い。亞紋はゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐き出す。心地良いまどろみの中で、ふと天井を見上げた。

(少しは前に進めた気がするけど、どうだろう?)

 コンコン。そんな音が耳を貫く。


「おじゃましまーす!」


 フィリアの声が聞こえる。ガラッと浴室の扉が開いたかと思うと、一糸纏わぬ姿にタオルだけを巻いたフィリア、ペティ、モネが立っていた。


「なッ! なななななな! にゃにをしゅとりゅんでしゅか!?」

「それはもう、マスターくんのお背中でも流そうかなぁと」

「そうそう。ま、気にしなさんな気にしなさんな。よくあるやつや」

「お、おじゃまします……」

「え!? あ、いや! 気にするよ!!」


 ドボーンとまずフィリアが飛び込んできたかと思うと、ペティ、モネの順で浴槽に足を踏み入れた。一応モネは恥ずかしそうにしているものの、後の二人はニヤニヤと笑みを浮かべて亞紋へ近づいていく。


「あれ、どうしたのかなマスター。顔を赤くしちまって」


 ムニュリとした感触が先程から二の腕を支配している。


「あの、ペティさん、当たってますけども……!」

「あのさぁ、アホじゃないんだし分かってるって。え? 何? やなの? そっか、嫌なら止める。ゴメンこんな事して。もう二度としないし、話しかけない。絶交やね」

「いや重いな! 別に、嫌って訳じゃ……、ないんだけど」

「は? いや、ハッキリしろし。嫌なら嫌。していいなら、していいって言ってみ?」


 ペティの深い緋色の目が亞紋を貫く。沈黙は一瞬だった。


「お、お願いします」

「ふふ、よしよし。素直で良い子だなマスターは」

 ペティは唇を釣り上げ、ムニュムニュ当ててくる。

 亞紋は、必死にニヤケそうになるのを堪えていた。いかん、何か話を逸らさねば。

「と、ところで雫奈は?」

「あぁ、誘ったんだけど、何かブツブツ言っててさー」

「まだ婚約していない殿方と素肌を晒しあうのは破廉恥がどうのこうの言ってました」

「ハ、ハハ、雫奈らしいじゃない」

「んま、そこにいるけども」

「え? ってうぉぁあ!?」


 浴室の扉が少し開いていて、そこから雫奈が顔の半分を覗かせていた。

 ウズウズとしながら、少し戸惑いがちに浴室内をジロリと観察している。


「気になるなら来ればいいのに。極楽ですよ、マスターくんとお風呂!」

「……違うでございますぅ、シズナはただお湯の加減が気になっただけでございますぅ」


 だがすぐに沈黙。間。雫奈は眉毛を八の字にして一言。


「お話は……、弾んでおられますか?」

「お話――ッ、て言っても、まだ三人とも来たばかりだから……!」


 そこでペティはため息をひとつ。

 伊達にずっとチームを組んでいない。雫奈の性格を良く理解しているのだ。


「素直になれば?」

「な、なんのことやら! シズナにはサッパリでございます!」

「でもでもっ、お兄ちゃんだって一緒に入りたいよね?」


 モネのアシストで、再び沈黙が訪れる。


「あれっ? 違った?」

「いや、それは……」


 亞紋は雫奈を見る。モジモジウズウズしている。明らかに何かを期待している。

 しかしだからと言って、欲望をむき出しにするのはどうなんだろうか?


「雫奈が嫌なら、無理にとは……」


 ちょっと良い声で言ってみる。

 教科書通りの答えだろう。とりあえず当たり障りのない答えにはなった筈。我ながら上手くいったと亞紋は頷くが、当の雫奈といえばシュンとして背中を向けてしまった。


「そう、ですよね。シズナから断ったのですから、ココにいるのはおかしな話なのです」

「え? あ、ちょ!」


 トボトボと肩を落として歩いて行く雫奈。ぺティたちの視線が痛い。


「マスター、マジヘタレ」

「あーあ、マスターくん、かいしょーなし!」

「お兄ちゃんっ、雫奈お姉ちゃん行っちゃうよ!」

「うぅぅぅぅッ!」


 お湯をすくって顔にかける亞紋。駄目だ、やはり思考が鈍っている。

 何をやっているんだとつくづく思う。雫奈はそういう性格である事は、ゲームで何度も見てきたじゃないか。いくらゲームと今は違えど、同じ部分もある筈だ。

 なにより、自分の気持ちに素直になろうと決めたじゃないか!


「雫奈、待ってくれ!」

「はい。何でございましょう……?」

(速ッ!)


 雫奈はギュンと音が鳴るほどの勢いで戻ってくると、再び顔だけをチラリと覗かせた。


「と、とにかく! 僕は! キミとお風呂に入りたい!」


 実に間抜けなお願いだ。言葉の最後である『い』を口にした瞬間、少しだけ消え去りたくなったが、反対に雫奈はパァと表情を明るく変化させた。

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