第4話

 まず動いたのはモネだ。タタタタと早足で亞紋のもとへ向かう。彼女が一歩近づくたびに亞紋の心臓の鼓動が、ますます早くなった。



「ほ、本当にお兄ちゃんなんだよねっ! クロス――、お兄ちゃん!」


 クロス。K・Fで使っている亞紋の名前だ。『亞』の中に十字架があるから名づけた。


「え? あッ、はい! キミは……! えっと、その、僕のモネなの?」


 そこで亞紋はアッと声を漏らして口を閉じる。『僕のモネ』とは……。

(なんて、お気持ちの悪い……、言い方)

 やらかした。全身にジットリと嫌な汗が浮かんできた。

 しかしモネは引くどころか、目に涙を浮かべてコクコクと頷いている。


「うんっ、貴方の、貴方だけのモネだよ……っ!」

「へ?」


 亞紋は真っ赤になって、引きつった表情のまま固まった。

 モネが両手を広げたと思えば、次の瞬間、亞紋を強く抱きしめていたのだ。

(ぅお、ぉぉぉぉおおおおっっ!?)

 なんて柔らかい。モネは背が低いため、頭が亞紋の肩くらいにある。

 今はグッと密着しており、顔を亞紋の胸に埋めていた。


「はふっ、お兄ちゃん……、良い匂い」

「んほぉぉお」


 自分でもゾッとするほど気持ち悪い声が出た。死にたくなった。

 いや本当にダメだ。こんな間抜けな声を出している場合ではないのだ。するとそんな想いが伝わったのか、フィリアが傍に来て、モネを引き剥がしてくれたじゃないか。


「あら、いけませんよモネちゃん。嬉しいのは分かりますが、マスターくんが困っているじゃありませんか」

「ンーっ、そうなの? お兄ちゃんっ」

「いや、やッ! 困ってるっていうかッ、その、ほら! 僕も混乱してて!」

「そうでしょう、そうでしょう。ええ、ええ。お気持ち分かりますわ」

「で、ですよね! そ、そそ、それであの、フィリアさん。一つ質問があるんですが!」

「はいー、なにかしら? あ、恋人ならもちろんいませんよ。うふふふっ!」

「やッ、そうじゃなくて! なんで貴女も密着してくるんですか!」

「うーん、どうしてかしらぁ? 不思議ですねぇ」


 訳が分からない。亞紋が助けを求めようと辺りを見回すと、ペティと目が合った。

 タレ目なのは柔らかい印象を受けるが、逆に言えばアンニュイにも見える。ペティは冷めた瞳で、つまらなそうに亞紋をジッと見つめていた。

(たまらねぇ……)

 ゾクゾクとした物が亞紋の背中を駆ける。あの目ですよ皆さん。あの目がいいんです。

(踏まれてぇ。なじられてぇ。もっと見下されてぇ)

 そんなアホな事を考えていると、ペティの方から口を開いた。


「ってかさ、何なん? さっきからジロジロ見て」

「……大変申し訳ありません。二度としません。いくら払えば許してくれますか」

「いや謝り方の重さよ。や、ちがくて……。おのきフィリア」


 ペティがフィリアをどかして亞紋の傍に立つ。亞紋はついふとももを見てしまう。


「……バカじゃね。ガン見しすぎ」「うッッ!!」


 蹴られると思ったが、どうした事だ。ペティは亞紋を抱きしめたではないか。

 どうなっているんだ一体。好きな人がそこにいて、好きな人が抱きしめてくる。もうダメだ。もう無理だ。こんなのまるで――、お祭りだ。オラ、ワクワクしてきたぞ!

 そうしていると再びモネとフィリアが迫ってきて、腕にしがみついてくる。


「んもーっ、長いよペティお姉ちゃんっ! わたしももっと抱っこしてほしいのにっ」

「そうですよぉ、マスターくんだって私とギュッギュしたいですよねぇ?」


(い、いかん! このままでは僕のリトルクローバー【下ネタ】が!!)


 最低な事を考えていると、そこでポワンとファンシーな音がして、モネ達三人の体が大きなシャボン玉に包まれて空中をフワフワ漂う。


「いい加減にしてくださいませ! ご主人様がお困りでございます!」


 雫奈は呆れた様子でシャボン玉に入ったモネ達を見ている。

 どうやら水の魔法少女の手に掛かれば、脆く儚いシャボン玉も、相手を閉じ込める固いシールドになる様だ。

 亞紋は初めて見る『魔法』に腰を抜かし、絶句していた。すると雫奈はヒラヒラとした和風のドレスを揺らし、涼しげな表情で亞紋に手を差し伸べる。


「大丈夫でございますか。ご主人様」

「え? あ、ありがとう――、ございます」


 亞紋は差し出された手を取って立ち上がる。

 しかし雫奈は亞紋が立ち上がった後も、ずっと手を握ったままだった。


「えーっと、あの、雫奈さん?」


 手を離そうと力を抜く亞紋だが、雫奈はむしろキュッと繋ぐ力を強めてくる。

 見れば雫奈は視線を下に落とし、頬を桜色に染めているではないか。


「……マジか」


 亞紋も釣られて赤面である。それを見てフィリア達がブーブー叫んでいる。


「ズルイですよ雫奈さぁんッ! 卑怯だと思いますッ!」

「かぁー! ちゃっかりしてんね~ッ!」「んむぅ! 出してよ雫奈お姉ちゃんーっ!」


 そうしていると、雫奈がモゴモゴと。


「こ、このシズナっ、ご主人様の事をずっとお慕い申しておりました……! よ、よよよよろしけれびゃ! シズナの事も、ギ、ギュギュギュってしっしいししてくくくっ」


 声が震え、音量も小さすぎて何を言っているのか全く分からないが、とっても可愛い。

 ポケットの中にある携帯電話や、クラブのキング。そしてキングダム・ファンタジア。気になる事は山ほどあるが、今は全て無視しよう。目の前だけを受け入れよう!




 ココが――、天国か。亞紋は涙を流しながら天を仰いだ。

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