六章 探偵は、ため息つくでしょう 3—5


 猛は、うなだれた京塚を見つめる。


「以前、蛭間さんが言っていましたね。蘭が祇園祭で稚児をしたときの映像。知人から見せてもらったんだと。あの録画映像を蛭間さんに渡したのは、あなたなんですね? 蛭間さんに、蘭の人形を作らせるために。そりゃ、あの蘭だ。蛭間さんがとびつかないわけがない」


「家内がな。言うんですわ。蘭々の婿はんは三国一の婿やないとあかんて。蘭々と蘭。名前も似とるし、運命のように感じたようどす」


「それで、蛭間さんをそそのかし、蘭の人形を作らせた。その人形を手に入れる算段もした。蛭間さんが、自分が死んだあと、コレクションの人形をたくすと約束したのは、あなただそうじゃないですか。どうりで、鮭児の作ったやつ、蘭のだけ盗まれなかったはずだ。蛭間さんの作のほうが、断然、いい出来に決まってる。あなたも、見ましたか? その人形」


「それはもう、渾身こんしんの出来栄えでっせ。蛭間はんの生涯でも最高傑作でっしゃろなあ」


「蘭を池に落とし、薫を交差点でつきとばしたのも、奥さんですね。おれたちは、ついウッカリ、いつもみたいに蘭のストーカーだと勘違いしてしまったが」


 あるいは谷口や阿久津の人形を作るよう示唆したのも、京塚なのかもしれない。

 かわいい孫の友達が、もっと欲しいと、妻が願えば……。


 そういえば、この人も蛇つかい座だったなと、猛は考えた。笛の音にあわせ、ゆらゆら、ゆれる蛇の頭が、意味もなく浮かんだ。


「人形を作るのは蛭間さんだが、その蛭間さんをあやつってたのは、あなただった。蛇つかいが笛の音で蛇をあやつるように」


 京塚は懇願こんがんした。


「お願いします。全部、わてのしたことにして、かならず自首しますよって。一週間——いや、五日でもええ。待っとくれやす」


 畳にこすりつけんばかりにして、京塚は頭をさげる。


「京塚さん……」


 猛が言いかけたときだ。

 ポケットのなかで、ケータイが鳴った。どうせクラッシュさせるからと、持たされているのは、いまだに二つ折り。それも、猛の静電気をおそれて、誰もかけてこない。このケータイが着信音をひびかせるのは、よほどのときだ。


 猛が電話をつなぐと、いきなり、蘭の声が、とびだしてきた。


「猛さん! かーくんが見つからない」

「え?」

「昼にも帰ってこなくて。そのときは買い物でもしてるのかなって。三時ごろにメールが来たんです。急用ができたから、かわりにケーキをとりに行ってくれって。それっきり、帰ってきません」


 蘭は半泣きだ。

 猛は、あせった。


「ちょっと待ってくれ。ケーキとか、話が見えない」

「なに言ってるんですか! 今日は猛さんの誕生日でしょ。だから、みんなでサプライズパーティをって。でも、ほんとに、かーくんがいなくなっちゃった」


 誕生日! そんなもの、すっかり忘れてた。


「薫がいないって?」

「一人でパーティの準備してたんです。野菜切ったり、したくした痕跡がある。でも、そのあとの行方がわからない。ケータイにかけても出てくれないし。こんな日に、この時間まで帰ってこないなんて普通じゃない。かーくんの身に、なにかあったんじゃ……」


 猛は京塚をふりかえる。

 京塚は座敷を出たあと、あわてふためいて帰ってきた。


「静子がおりまへん」


 イヤな予感が急激に高まる。

 うちから持ちさられた薫の人形。以前は猛の人形と二つだったのに、今度は、薫だけ。ターゲットが薫に、しぼられたからでは……?


 猛は蘭との通話を切り、薫のケータイにかけなおした。


(たのむ。つながってくれ。薫)


 祈るような心地で呼びだし音を聞いている。

 すると、やがて、つながった。


「薫かッ? 今どこだ!」


 一瞬、間がある。


「……大声だすなよぉ。ビックリした」


 なんだって薫は、この危急のさいに、こんなにもノンビリしていられるのだろう。ほんとに、わが弟ながら、防衛本能が欠如しているというか……涙が出そうだ。


「どこにいるんだ?」

「西寺跡だよ? 今ねえ、もう帰るから。猛も早く帰って。んじゃ」

「待て。バカ。切るな——」


 そのときには、もう切れている。


「京塚さん。西寺跡だ」


 言い残して、猛は京塚家をとびだした。通りへ出ると、西寺跡に向かい、一直線に走っていく。


(薫。薫。薫——)


 おまえがいないと、生きてられないよ。


 夕暮れの街かど。

 道行く人が、おどろいて、ふりかえっていくほど、なりふりかまわず走りとおした。


 西寺跡の公園には、すでに街灯が、ともっていた。

 薄紫に澄んで、下方にオレンジとピンクの層をなした空が、広く見渡せる。


 人影は見あたらない。

 いや、遠くのほうで、猛の姿を見て逃げだそうとする、おろか者がいる。わが弟だ。


「待てよ! 薫。サプライズは、もういいんだ!」


 声が届いているのだろうか?


 猛は、けんめいに走った。

 薫のそばに、もう一人、立っている。京塚静子だ。バッグから何かをとりだした。街灯の光に、わずかに、きらめく。


(やめてくれ。つれてかないでくれ——)


 ひたすら、走る。

 しかし、そのあいだにも、薫に刃が迫っていた。

 薫は起こっていることを理解できないように、ぽかんとしている。

 京塚静子のにぎるナイフの動きが、スローモーションのように見えた。


「薫——薫ッ!」


 猛は夢中で静子に、とびついた。思わず、刃をにぎる。が、痛みは気にならなかった。

 薫が、無事だから。生きているから……。


「薫……」


 静子からナイフをうばいとる。

 猛は、いまだに、ぽかんとしている薫を抱きしめた。


 よかった。まにあった。失わずにすんだ。明日も、また兄弟で生きていける。

 猛には、それが何よりのバースデープレゼントだ。

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