六章 探偵は、ため息つくでしょう 3—3



 京塚は棒立ちになったまま、猛をにらむ。こがらな老人だが、若いころには武芸のひとつも、たしなんだに違いない。一瞬、猛に、とびかかろうとするような目の動きを見せた。


 すばやく、猛は立ちあがり、身構える。


 すると、今の京塚の体力では猛を負かせないと自認したようだ。くずれるように、すわりこむ。


 猛も腰をおろした。


「わかっているんです。なぜ犯人は立川さんを戸棚のなかに入れたのか。意味もなく、そんなことをする必要はない。なぐって殺して、そのまま放置しておけばよかった。たとえ、戸棚が、おあつらえむきに、あいてたって、その場を誰かに見られたら、おしまいなんだから。犯人にしてみれば、寸刻を惜しんで逃げるのが当然だ。

 なのに、わざわざ、そんな手間をかけた。その労力に見あった理由があるからだ。犯人が立川さんを戸棚に入れたのは、犯人に、それをするだけの力があることを見せつけるためだった。

 つまり、奥さんが立川さんをなぐって逃げたあと、あなたが遺体を運んで戸棚に入れた。女の腕力では立川さんを持ちあげ、運ぶことは不可能だからです。あなたはお年だが、同じ年のかたより、ずいぶん体力がある。さっきの身ごなしからも、わかります。あなたは犯行が男によるものであるように見せかけるために、立川さんを戸棚に入れた。

 細野さんの事件も同じだ。奥さんは眠っている細野さんを殺して、すぐに逃げた。そのあとのことは、あなたが奥さんのアリバイ工作のために、やったんだ。奥さんが自宅に帰るまでの時間かせぎにね。そうですよね? 京塚さん」


「あんさんは切れ者やが、それは、ちゃいます。わてがしたんや。静子は関係ない。全部、わての罪や」


「それはムリだ。立川さんの事件はともかく、細野さんの事件は、どうやっても、あなたにはできない。なぜなら、あの夜、あなたは蛭間さんの家に行くことができない状態にあった」


「乗り物ですかいな? わても車の運転しますえ」


「そうは言っても、あなたはあの夜、自家用車を持ってなかった。句会の送迎バスで、鞍馬の温泉宿に泊まりに来てたじゃないですか。おれたちと同じ宿に。まさか、送迎バスを乗りまわして、蛭間さんの自宅まで行ったとでも?」


 京塚は決定的に打ちのめされた。


「……知ってはりましたんか」


「近所の人に、あなたが句会に入ってることを聞いたものですから。ちょっと調べさせてもらいました。あの夜、あなたは句会の一員として、宿に来ていた。

 おどろいたでしょうね。家にいるはずの奥さんを、そこで見て。しかも、宿泊客のように、ゆかたを着ている。句会のおばあさんが一人、入浴中に、ゆかたを盗まれて困ってました。奥さんのしわざですね。不審に思ったあなたは奥さんのあとをつけた。そして、奥さんが細野さんをころすところを見た」


「違う。そんなん、なんの証拠もありまへんがな」


「あるんですよ。細野さんが殺されたのは、奥さんの盗みの現場を目撃したからだ。薫の人形を蛭間さん宅から持ちだしたところをね」


 猛はポケットから一枚の写真をとりだした。今日の一枚めだ。


 写っているのは、紙粘土細工の女の子の人形。それに、ならべられた薫の人形。


「さっき、あなたを待っているあいだに、撮りました。先日、奥さんが、うちで休んでいかれたときに、持っていったんですよね?いや、もともと、あのとき、うちに来たのは、その人形を持ちだすためだった」


「それは……たしかに、すんまへん。家内は、その人形が気に入ってしもて。お返しいたします。せやけど、それは、あんさんのお宅から持ちだしただけどす。蛭間はんのところから、とっていったんは、細野さんと、ちゃいますか?」


 このごにおよんで、しらをきる。やはり、手ごわい。京塚の必死の思いが伝わってきた。


 だから、探偵業は悲しい。

 追いつめたいわけじゃないのに、追いつめなくてはならない。


「……ちがうんですよ。細野さんじゃない。あの人は人形のかくし場所に気づいてなかった」


 猛は二枚めの念写写真をとりだす。座卓の上を、すっと京塚の前まで、すべらせた。


「これは、おれが六月三十日に、たまたま気がむいて撮ったものです。温泉に行く前に、蛭間さん宅へ立ちよったときのことです。ここに写ってるものが、わかりますか?」


 それは蛭間のアトリエの写真だ。日付は六月三十日。

 作業台近くに、何色か、なめし革が置かれている。丸めて筒状に。人形のクツや革製の服を作るときなどに使用するのだろう。


 その筒の一本の中心の穴から、小さく、のぞいてるものがある。プラスチックのクツをはいた人形の足だ。片方だけ足首の関節でまがり、かろうじて、ひっかかっている。


「薫の人形です。立川さんは、こんなところに、かくしてたんですね。このとき、細野さんも蛭間邸に来ていた。人目をしのんで人形をバッグに入れることは簡単にできた。おれたちに怪しまれるのを承知で、宴会をぬけだして、盗みに行く必要はなかった。

 もちろん、横領の証拠を盗みに行くついでだとしてもだ。目的が増えれば増えるほど、長く時間がかかる。ほんとに盗みたいものが別にあるなら、ほかのことに時間をさくようなマネはさける。欲しければ、見つけたそのときに持っていってるはずです。なぜ、そうしなかったのか?」


「たんに気づけへんかっただけやないですか? 盗みに入ったとき、たまたま見つけたんでっしゃろ」


 そう反論されるだろうことは、猛も予想していた。


 そこで、もう一枚の写真をだす。


「これは、その前日の写真です。おぼえてますか? 立川さんの遺体が見つかったとき、警察が来る前に、蘭が現場の写真をスマホで撮りまくってましたよね」


 返事はない。


「蘭がプリントアウトしてたのを一枚、拝借してきました。これと、さっきのおれが写した写真、見くらべてもらえますか? 少しだけ異なるところがある」


 やはり、京塚は何も言わない。


「間違い探しみたいなもんなんだが、わかりづらいかな。じつは、この部分に、薫の人形の足が写ってる。よく見てください」


 写真は、さきほどと同じ、蛭間邸のアトリエ。筒状のなめし革が大きく写っている。


「ほら。よく見ると、さっきと人形の足の位置が違う。さっきの、となりの革にひっかかってる」



 京塚は、いぶかしげな声をだす。

「それが、何か?」

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