六章 探偵は、ため息つくでしょう 3—2
猛が口をつぐむと、京塚は目をあけた。
「それで?」
「立川事件で補足しておくと、犯人は凶行におよぶとき、ビニールの手ぶくろをつけていたでしょうね。蛭間さんの新作がなくなったと言って、みんなでアトリエに行ったとき、くばられたやつです。だから、アトリエには犯人の指紋はなかった。
あの手ぶくろが残っていれば、そこからルミノール反応でも出たかもしれない。が、残ってるはずがない」
「ああ、あれなら、なんの気なしに、ほかしましたわ」と、京塚は言った。
「そうでしょうね。うちも同じです」
京塚は、また目をとじた。
猛に続きを話せという合図だろう。
「では、次に細野さん殺しです。すでに、京塚さんもご存じでしょう。あの夜、おれたちは鞍馬の温泉宿に泊まっていました。蛭間さんと京塚さんご夫妻をのぞく、関係者全員です。
宴会の席で、細野さんは姿をくらましました。仕事の電話と言っていたが、じつは蛭間さんの自宅へ盗みに行ってたんです。自分の横領の証拠をなくしてしまうためでした。
不幸なことに、その夜のドロボーは、細野さん一人じゃなかった。あの屋敷には、まだ薫を模した人形が、アトリエのどこかにかくされていた。犯人は、それを探しに蛭間邸に、しのびこんだ。ようやく見つけて、出てきたところを、細野さんに見られてしまった。
細野さんは自分のことは棚に上げて、犯人をおどした。立川さんの遺体とともに、おれの人形が出てきてる。かたわれの薫の人形を見れば、誰だって真相に気づく。人形をとりあげたうえ、立川殺しをばらされたくなければ三千万用意しろ——というような、ムチャな要求をしてきた。
犯人は、したがうふりをした。帰っていく細野さんのあとを追い、鞍馬温泉へやってきた。あの宿は明治時代の建物が、そのまま残っている。風情はあるけど、セキュリティは悪い。フスマ一枚あけるだけで、他人の部屋に入ることができる。犯人は細野さんが眠りだすのを見すまして侵入し、首をしめて殺した」
京塚が目をあける。
「ニュースでは、露天風呂で発見されたようなこと言うてましたがな」
「あれはアリバイ工作です。犯人は細野さんを殺したあと、衣服をぬがせた。衣服は大浴場の女湯のロッカーに入れた。その間、女湯に清掃中のふだをかけ、なかに誰も入ってこない細工をした。ふだをかけたまま、細野さんの死体のある梅の間まで帰る。ロッカーのカギを手首につけておけば、細野さんは入浴中の風体になった。
犯人は細野さんを部屋の窓から落とした。一階の屋根の上におろしたんです。犯人の腹づもりでは、そのまま細野さんを女湯の露天風呂に投げこむ予定だった。しかし、女湯は屋根の端より、かなり遠くにある。つきおとした死体は、そこまで行ってくれなかった。
どこに、ひっかかったと思いますか? 女湯と男湯のさかいにある岩の上です。この岩、源泉をポンプで引いて、滝のように上部から流してる。だが、その時間には、もうポンプは止まっていた。細野さんの死体は全裸で岩の上という、とりかえしのつかない状態になってしまった。
あわてて犯人は逃げだそうとする。窓から梅の間に戻り、ろうかへ出ようとした。
そのとき、近づいてくる足音がした。犯人は、うろたえた。いま見つかっては困る。急いで身をひそめたのは、細野さんが寝ていたフトンだ。
それが奇跡を呼んだ。とにかく、あの夜の犯人は強運だった。犯人がフトンのなかで息を殺していると、フスマがひらいた。蛭間愛波さんが声をかけてきた。『こっちの部屋に移ってきてもいいですか』というんだが、そんなことしてもらっちゃ困る。一心不乱に寝たふりをした。愛波さんは、あきらめて去っていった。
犯人は急いで逃げだした。おかげで、そのあと、さらなる奇跡が起こった。翌朝、温泉を流し入れるため、ポンプが稼動した。あの滝、ふだんはチョボチョボだが、湯をためるあいだは水量が最大にされている。細野さんの遺体は、滝の水圧で男湯に、ころがりおちた。全身のすり傷と複数の骨折は、そのためだ。
犯人にとっては申しぶんない結果だった。前夜の清掃中にはなかった死体が、朝になって現れた。おまけに、夜には細野さんは寝ていたという愛波さんの証言もあった。細野さんは朝になってから殺されたと、警察は推定した。犯人は鉄壁のアリバイを得ることになった」
あいかわらず、京塚は目をとじたまま動かない。しかし、気のせいか、ひたいに、うっすら汗が浮かんできた。
「ちなみに、細野さんの体重と同じ重さのダミーを使って、警察に実験してもらいました。停止していたポンプが稼動するとき、大岩の上に置いたダミーが、どうなるのか。結果は半々で、男湯と女湯の露天風呂のなかに落ちる。
細野さんの遺体が女湯に落ちていれば、犯人にとってベストだった。でも、モアベターだったんですよ。
前夜、犯人が屋根の上で、細野さんの遺体をひきずっていたころ。じつは、男湯には、おれたち四人がいた。そういえば、おれたちが露天に入ってるとき、ドスンと大きな音がした。あれが遺体の投げられた音だったんですね。
そして、女湯には愛波さんがいた。そんなバカな。女湯には清掃中の札がかかっていた——と思うでしょ?
ところが、あの札は酔っぱらった蘭が強奪して、男湯に、かけなおしてしまった。なにも知らない愛波さんが、あとから来て、女湯に入ったんです。
もし、あのとき、岩にひっかからず、男湯、女湯、どちらにしろ、遺体が投げこまれていれば、とんでもないことになっていた。目撃者の目の前で空から降ってきた死体。まちがいなく大騒ぎになって、警察が全室検査していたでしょう」
京塚の表情は変わらない。が、ひたいの汗が目立ってきた。内心は、かなり動揺しているようだ。
「生きた心地がしないでしょうね。京塚さん。あの夜、人が騒ぎだせば、あなたは屋根の上にいるところを見られていた。
たとえ、そのときは見つからなくても、梅の間の向かいには、今井さんや藤江さんがいた。さわぎで起きてきて、ろうかをのぞいてみたら、梅の間から出てくるあなたと鉢合わせしたかもしれない。言い逃れはできない状況だ」
京塚は目をあけた。まっすぐ、猛を見た。
「さようです。わてが殺しましたんや。立川はんも、細野はんも、わてがやりました」
猛は、ため息をついた。
「やはり、そうおっしゃるんですね」
京塚の眼光が、するどくなる。
「やはりとは、どういう意味でっしゃろ。そこまで知られてしもたからには観念します。かならず自首しますさかい、数日だけ待ってもらえまへんやろか。身辺整理したいんどす」
うむを言わせぬ口調で言い置いて、京塚は立ち去ろうとする。
猛は呼びとめた。
「待ってください。身辺整理とは、つまり、奥さんを安楽死させるという意味ですか?」
京塚は立ちどまった。青ざめたおもてで、猛をかえりみる。
「なんやて?」
「さっきの推理、おおむね正しいものの、かんじんな部分が、はぶいてあるんです。立川さん、細野さん殺しの犯人は一人じゃない。主犯と事後従犯——すなわち、奥さんと、あなたが関与している。二人を殺したのは、奥さんのほうだ」
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