六章 探偵は、ため息つくでしょう 3—1
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猛が蛭間邸を出たのが、六時十五分すぎ。ここからが本番だ。
ケータイでタクシーを呼んだ。今日は念写を二枚してるから、クラッシュさせる心配はない。
しかし、なんだろうか。妙に落ちつかない。
近ごろは猛も自覚している。
自分の念写能力は、どうも虫の知らせとか、以心伝心とかいう、第六感的なものが大元らしい。
こういう胸さわぎがするときは、よくないことが起こる前ぶれだ。
(薫か蘭に、なにかあった……?)
いや、だが、そういうときに感じる激しい悪寒は、まだない。
これから何かが起ころうとしているのだろうか?
いったん、家に帰ろうかとも考える。が、思いなおした。
犯人と一刻も早く直接対決したほうがいい。そうすれば危険も回避できるはずだ。
やってきたタクシーに乗りこむと、猛は口早に行くさきを告げた。
「急いでください」
「ええけど、ラッシュ時やしねえ」
ドライバーをせかして、京の町を急ぐ。
時刻は六時半になった。
真夏の陽は、まだ明るい。マンションの建ちならぶ西の空が、ピンク色に染まりかけている。
ベテランドライバーが一方通行の道を駆使して急行してくれた。
目的地は——京塚人形店。
店舗には、この前の四十代の女性がいた。猛を見おぼえていたらしい。
「ああ。こないだの。お父さんに、ご用ですか?」
「いらっしゃいますか?」
「どうぞ。あがってください。今、呼んできますさかい」
あいそよく迎えられるのが、つらい。どうやら、この人は何も知らないようだ。
先日と同じ奥座敷に通される。
東堂家の座敷は、今では薫の部屋になっている。女の子のポスターがベタベタ貼られて、ずいぶん格式が下がってしまった。
が、この家の座敷は、しぜんと背筋の伸びるような趣きがある。床の間の掛け軸は、有名な俳人の句だろうか。
待っていると、京塚がやってきた。
「お待たせしました。なんぞ、ご用どすか?」
「何度も、すみません。ときに、先日は勘違いしていました。さっきの女性、京塚さんの実の娘さんではないんですね。息子さんの再婚相手だ」
「へえ。そうどす。どなたかから聞かはったんどすな」
「近所のかたから。一人娘の幸子さんは、お若くして亡くなったそうですね。お婿さんが再婚して、店を継いだ。知らないこととはいえ、以前は無神経なことを言った気がします。すみません」
「そんなん、気にせんといてください。世の中、いろいろありますわ。お話とは、そのことでっか?」
「いえ……」
猛は京塚をまっすぐ見つめる。
「おれが、なんの話をしに来たかは、もうわかっていらっしゃいますよね? 京塚さん」
京塚は正座して、居住まいを正している。祖父に育てられたせいだろう。きぜんとした老人には頭が下がる。
「いえ。わかりまへんな」
「そうですか。では、長くなりますが、説明させてください。立川さんと細野さんの件です」
「聞かしてもらいまひょ。なんで、わてに、そないな話しはるんか、それはわかりまへんけどな」
あくまで態度をくずさない。
これは、手ごわそうだ。同情に目をくらまされていると、こっちが、やりこめられる。
猛は気をひきしめた。
「ことの始まりは、不幸なぐうぜんでした。蛭間さんに、あのウワサが立ったことです。蛭間さんの技術が、すばらしいのは、悪魔に魂を売ったせいだとか。彼の人形はモデルの魂を吸いとってしまうとか。もちろん、それほど魅力的な人形だというパラドックス的な、ほめ言葉なんだが。
悪いことに、それを、まにうけてしまった人が二人いた。一人は蛭間さん本人。まあ、ムリもないでしょう。あの人のモデルになった女性が次々と五人も亡くなっている。
だからって、ほんとに人形が魂を吸うなんていう呪いが存在するわけじゃない。呪いを起こしてるのは、人間の力だ。
はっきりわかっているのは、谷口美里さんと、阿久津響子さん。谷口さんは蛭間さんに横恋慕する阿久津さんに殺された。阿久津さんは、それを苦に自殺。ただし、確たる証拠もなく、二人の死の真相は闇に葬られた。
これが、ますます、いけなかった。蛭間さんと、もう一人の人物は、ウワサで言われていることが、厳然たる事実だと信じこんだ。
蛭間さんはイギリスに逃げた。もう一人は——かりにAとしておきましょう——Aは待った。蛭間さんが日本に帰ってくるのを。蛭間さんは七年の歳月をかけ、傷心をいやし、帰国した。そこから、おれたちの知る事件が始まった」
話すあいだ、京塚は、ぴくりとも動かない。腕をくみ、目をとじて、眠っているようにさえ見える。
「立川さん。細野さん。二人の事件は最初から特殊でした。突発的な事故とでも言うべきもので、犯人の本意ではなかった。というのも、二人は蛭間さんの人形のモデルになったわけじゃない。一見、呪いの人形とは、まったく無関係の事件に見える。
だが、決して無関係なわけではないんです。
あの日——最初の誕生パーティのあった日。蛭間さんの新作のほかに、あの家に三体の人形が存在した。鮭児のつくった人形です。モデルは、おれ、薫、蘭。それを見て、Aは思った。この人形も欲しいと。これほど、よくできているのなら、この人形にも魂が宿るに違いないと。
そこで、Aは誰も見ていないすきに、鮭児の人形のうち二体、おれと薫の人形を自分のバッグに入れた。蘭の人形を残したのには、ある重要な意味があるんですけどね。ところが、これを見ていた人物がいた。立川さんです」
ふたたび、言葉を切り、京塚を見る。さっきと、まるで変わらないポーズだ。
猛は、ちょっと不安になった。
自分の推理が間違っているはずはないのだが。
「立川さんはAと二人になる機会を作り、力ずくで二体の人形をうばった。返してほしければ金を出せとでも言ったんでしょうね。
立川さんは、この人形をかくすために、蛭間さんのアトリエに行った。あの人はバッグを持ってなかったからです。
犯人は誰にも見られないよう、しゃがんで腰板に身をかくし、一階のろうかを突破した。二階へ行くと、人形のかくし場所を探している立川さんの背後に、しのびよった。そして、一撃。
凶器は庭に落ちていた大きめの石だと思います。トイレのまどがあいていた。あそこから出入りしたからでしょう。
立川さんをなぐったあと、犯人は、あの戸棚に目をつけた。おそらく、鮭児の人形をかくすため、立川さんが、なかの人形をとりだしていたからだ。それは人間を入れておくのに、ちょうどいいサイズだった。犯人は、そこに立川さんを入れた。置きっぱなしになっていたカギで、戸に施錠した。
そのとき、立川さんが隠していた、おれの人形には気づかなかった。気づいていれば、とうぜん、持っていったはずだ。
そのあと、犯人は再度、一階のろうかをしゃがんで通りぬけた。凶器はトイレから外へ出て、すてた。これが、あの夜の立川事件の全容です」
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