六章 探偵は、ため息つくでしょう 2—3


「人形盗難については、昨日、あんた自身、みとめた。カボチャに頭をかくして、胴体は女の子の人形とさしかえた。

 もちろん、蛭間さんは人形のボディが変わってることは、すぐに気づいた。なにしろ、鮭児でさえ気づいたくらいだ。でも、このときは、そんなイタズラを誰がしたのかまでは知らなかった。こういうことをしそうなのは、今井さんだとでも思ったかもな。

 そのあと、蛭間さんは人形を盗んだのが妹の愛波さん、あんただと気づく。人形がなくなって、全員でアトリエに行ったときだ。

 蛭間さん、あんた、とだなにカギをかけようとして、顔をしかめただろ? そのまま、カギをかけずに置いてしまった。なぜか? カギが、あわなかったからだ。じゃあ、なんで、カギはあわなかったのか?

 ここに二つの、よく似た戸棚がある。カギも見ただけでは違いがわからない。だが、見ためはソックリに見える戸棚でも、カギの構造は一つずつ違うんだ。

 さあ、それじゃ、さっきの答えだ。なぜ、カギはあわなかったのか? 答えは一つ。二つのカギが、すりかわってたから。アトリエの戸棚のカギだと思って、蛭間さんが寝室から持ってきたのは、じつは一階のリビングのカギだった。

 そう。人形ドロボーは、事前に二つのカギをすりかえておいた。そうすることで、すばやく人形が盗める。しかも、こうしておけば、蛭間さんが、アトリエのカギのかくし場所を変えてしまっても問題ないしな。

 そして、二つのカギをすりかえることができたのは、愛波さん、あんただけだ。あのパーティの前日に、あんたは、この家に出入りしてる。とうぜん、蛭間さんも、それに気づいた。人形を盗んだのは妹だと。そうですよね? 蛭間さん」


 蛭間は言い返す気力がないのか、椅子にくずおれた。


 猛は愛波に視線をもどす。


「そのあと、立川さんの死体が見つかったときには、とだなにカギがかかっていた。ということは、人形探しが終わってから、死体発見までのあいだに、ふたたび、愛波さんが、カギをすりかえたってことになる。だから、蛭間さんは、あんたが立川さんを殺したんだと考えた」


 愛波は強情に、猛をにらみかえしてくる。その目は本気で怒っているように見えた。


「そうよ。たしかに、カギはこっそり、すりかえた。でも、それだけ。カギを使って、とだなに死体を入れたのは別の人よ」

「蛭間さんは、そうは思わなかった。ことによると、あんたが立川さんに、おどされてるところを見てしまったのかもな」


 愛波は顔をしかめる。

「やだ……ほんまに、なんでも知ってるんや。あなたも見たの?」

「まあね。ぐうぜん」と言っておいた。


 念写で見たとは言えない。


「そうよ。立川さん、わたしがカギをすりかえるとこを見たの。それで、人形をかくしたのが、わたしだと気づいた。兄にバラされたくなければ、ホテルに来いって。ひっぱたいてやったけど」


 それが念写に写った瞬間なわけだ。


「だって、わたしは人形をかくしただけで、ただのイタズラよ。そんなの犯罪にもならないでしょ?」

「まあ、ゆすりのネタにしては弱いな」

「なのに、なんで、わたしが立川さんを殺さなきゃいけないの?」


 猛は大きく息を吐きだす。

「だから、さっきから言ってるじゃないか。あんたたち兄妹は相互理解がたりないって」


 うなだれていた蛭間が、おどろいて、顔をあげる。


「なんだって?」

「立川さんを殺したのも、ましてや細野さんを殺したのも、あんたの妹じゃないよ」


 しばらく、蛭間は口もきけないほど、ショックを受けていた。

 それは、そうだろう。

 連続殺人犯は男だと思わせるために、自分を傷つけて、死にかけているのだ。


「蛭間さん。蘭は、あんたのこと、蛇だって言ったんだってね。でも、そうじゃない。むしろ、あんたは繊細で傷つきやすい。感受性ゆたかな人だ。だからこそ、谷口美里の裏切りが、ゆるせなかった。傷心をいやしてくれた阿久津響子が、人殺しだと知り、女性不信になった。そうなんでしょう?」


 蛭間は世をすねたような目つきで、猛を見る。


「……女は、きたない。どいつもこいつも貪欲で、みえっぱりで、みにくい。母も美里も、響子もだ。おれを失望させる」

「でも、妹だけは違う」


 ほのかに蛭間は笑った。


「そりゃそうだろ? 君だって、弟を猫可愛がりしてる」

「うちは特殊な家庭の事情があるから、よけいだけど」


「よく言うだろ? 子どもは幼いころの純真なしぐさだけで、すでに親に恩をかえしてるんだって。おれと愛波は十以上も離れてるからね。それに近いものがあった。

 父が死んですぐに再婚した母。義父への母の態度は、オヤジのときと、ずいぶん違ったよ。それを見て、母はオヤジを愛してなかったんだ、財産目当てで結婚したんだって気づいた。

 義父はいい人で、おれにも優しかった。が、母の態度を見ると、やりきれなかった。毎日、他人の家に帰ってくような、よそよそしさを感じたよ。そんなとき、愛波のあどけなさが、どれほど救いだったか。この子のためなら、なんでもしてやろうと思った。

 でも、片親が違うからな。成長すると、二人のあいだに、みぞができてくようで、さびしかった。おれの言動が愛波をいらだたせるみたいだったし。遠くから見守ってたよ。愛波が困ったときには、いつでも助けるつもりで……だから……」


「だから、愛波さんが立川さんを殺したと思い、疑いがかからないようにしようとした。自分を傷つけてでも」


 蛭間はうなずく。

 それを見て、猛は続ける。


「ふつう、自傷行為をするときは、ためらい傷ができるものですよ。だけど、あなたには、それがなかった。死にかけるほどの大ケガになってしまったのも、あなたが手かげんなしで自分を刺したからだ。よほど、必死だったんですね?」

「無我夢中だったから」


 猛は愛波を見た。

 いかに、かたくなな愛波にも、今の兄の言葉は響いたのではないかと。


 愛波は泣いていた。

 両眼からポロポロ涙をこぼしながら、しかし、口を出たのは、彼女らしい言葉だ。


「バカじゃないの。そんなことしてくれって、いつ、わたしが頼んだの」


 言いながら、涙をおさえようとする指さきは、ふるえている。


 もう心配ない。この二人は。

 愛波は兄の財産を手に入れるために、蛭間をおとしいれたいのだと言った。

 でも、あれは愛波の本心ではない。本心の一部だ。兄を憎いと思う一方で、愛しく思う気持ちも、愛波のなかには、たしかに存在している。


「愛波さん。あなたが蛭間さんの人形をかくしたのは、お兄さんが呪いのぎせいになって、死ぬんじゃないかと思ったからですよ。それが一番、しぜんな心の動きだ。そろそろ、自分の気持ちに素直になってもいいんじゃないかな?」


 愛波は答えない。涙にぬれた目を一瞬、猛に向けた。その瞳にはもう、かたくなな、かげはない。


 猛は紅茶をひと息で飲みほした。ちょうどいい温度になっていた。


「じゃあ、おれは失礼します。愛波さんに受けた依頼は、今日じゅうに片付けておきます。変なウワサで、お兄さんが苦しむことは、もうないでしょう」


 どちらかに車で送ってくれとは言えそうにない。

 兄妹は十年ぶんのミゾを、これから埋めなければならないのだから。


 ただ、その前に、ひとつだけ、どうしても聞いておかなければならないことがあるのだが……。

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