五章 人形は魂を吸いとるでしょう? 3—2
これは女に浮気されるはずだ。
蛭間が愛したのは、彼女たちの外面だけなのだ。いや、蛭間にとって、見ためさえよければ、中身なんて最初から、どうだっていいのだ。
美里は財産目当てだったから、それでもよかったかもしれない。
しかし、阿久津は蛭間にベタぼれだったという。蛭間の愛情の欠落に苦しんだのではないだろうか?
「わかった。阿久津響子を殺したのは、あなただ。あなたは真の意味では人を愛せない。そのことに悩んだ阿久津は自殺した。自動車事故に見せかけて」
蛭間は、あっけなく、みとめる。
「そうかもね。響子は、ひんぱんに、うちをたずねてきては泣きごとをくりかえしていた。うっとうしくなって、『君も人形になれば愛してあげるよ』と言った。事故の知らせを聞いたのは、そのあとだ」
「そういうのは未必の故意ですよ。自分のその行動によって相手が死ぬかもしれない可能性を認識しながら、あえて行動する。あなたは自分の言葉が阿久津さんを追いつめると予測していた」
「かまわないんじゃないか? 響子自身も人を殺してる。きっと、罪の意識にたえかねたんだろう」
「人をって……」
蘭はさとった。
阿久津は、いちずで、けなげなだけの女ではなかったらしい。陰気で執念深かったという。蛭間への愛は妄執的だっと。
そんな響子が、財産目当ての女に蛭間をうばわれた。そのうえ、女が別の男と浮気しいる事実を知ったら?
「谷口美里を殺したのは、阿久津響子なんですね」
「だろうね。そんなこと、響子が口走ったことがある。まあ、いい潮時だったよ。美里を手放したくはなかったが、彼女の生臭さに、正直、ヘドが出そうだったから」
「阿久津に示唆したんでしょう? 『美里は、どうせ金目当てなんだ。今でも立川と続いてる。ゆるせない』とかなんとか言って。おおいに嘆いてみせたんだ」
「さあ。どうだったかな。もう忘れた」
忘れるはずがない。もちろん、そうなるように、しむけたのだ。
蘭だって、多くの恋をしてきたわけじゃない。
最初の彼女がクラスの女子のイジメにあって殺されてからは、二度と恋はできないと自覚した。そういうスイッチが完全に、こわれたのが感じられた。
だが、恋してたころの感覚は、おぼえている。愛がどんなものかぐらいは知っている。
蛭間には、そんな感情が最初からないみたいだ。
「あなたは蛇だ。冷たい心。愛を持たない」
蛭間は否定する。
「君のことは本当に愛しい。これほど人を愛したことは、かつてない」
「あなたのは、ただの芸術家のゆがんだ愛だ。僕の顔が好きなだけでしょ? 猛さんや、かーくんみたいに、僕がヨダレたらして寝てても、笑って許してくれるわけじゃない」
蛭間は蘭がヨダレと言った時点で、そのさきのセリフを拒絶するように耳をふさいだ。
蘭の口の動きを見て、両手をはなす。
「君は、そんなこと言っちゃいけない。君は美しい蘭の花だ。高貴で冷たい女王だ」
「泥酔すると幼児化するんです。寝てると指をしゃぶるクセがある。しめきり前には三日間、フロにも入らなかったり」
ふたたび蛭間は耳をふさぎながら叫ぶ。
「君は早く人形になるべきだ。一刻も早く。その美しさを永遠に閉じこめなければならない。そうすれば、不完全な生身の君は消える。君は完全になる。私の愛するコレクションたちのように」
「おことわりです。あなたは芸術家としては天才かもしれない。だけど、僕の友人にはむいてない」
蘭はつきはなした。
が、蛭間は急に嘲るように笑った。
「もう遅い。君の人形は、とっくに完成してるんだ。君の魂も、もうじき吸われる」
ドキッとして、蛭間を見つめる。
魂が人形に吸われると思ったわけじゃない。もっと現実的な不安がよぎった。
「その人形、誰かに見せましたか?」
「ああ。見せたよ。私の死後の保管も頼んである」
蛭間は真顔でせまってくる。
「蘭。いっしょに人形になろう。そして永遠を生きるんだ」
蘭は身ぶるいした。
もしや、この前、さらわれたのは、そのせいだろうか。
あるいは、蛭間自身が……?
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