五章 人形は魂を吸いとるでしょう? 3—1

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 猛がキッチンに行ってしまうと、蛭間は蘭のとなりに移ってきた。


「刺されたけど助かったのは、私の人形が安全だってことだと思いますか? 実験は成功したのだと?」


 蘭はソファのすみに寄って、間合いをひらく。


「まあ……そうでしょうね。刺したのは人間だから、呪いのせいだとは思えない」


 蛭間は笑った。やっぱり、笑顔が薄気味悪い。


「そうかな? 呪いが人を動かしたのかもしれない。人形使いが人形をあやつるように、人形が人を動かしたんだ」


 もう、イヤだなあ。だから、この人と二人きりになりたくないんだ。猛さん、早く帰ってきてよ——


 と思うが、猛は愛波と楽しそうに(?)話している。おまけに皿洗いまでしている。

 ダメだ。猛が、ああいうホスト的サービスをするのは、情報収集をしてるときだ。とうぶん、帰ってこない。


 情報収集といえば、じつは、蘭も一つ確認したいことがある。

 さらわれた夜のことだ。どうしても気になっていることがあった。しかし、それをたしかめるためには、二階の蛭間のアトリエに入らなければならない。いよいよ猛の目のとどく範囲から遠くなってしまう。


 蘭が迷っていると、蛭間が一人で、しゃべり続ける。


「私としては、呪いはないほうが都合がいいんだが。実験は成功した。ならば、私があなたの人形をつくっても、かまわない。あなたさえ、『はい』と言ってくれれば」


 やはり、その話か。

 蘭は話題をそらした。


「この戸棚に僕は入れられていたんですね。いくら僕が夏場で体重落ちてるからって、女にはムリな仕事だ。男のしわざですよね」

「三村くんだろう? 君は友人だから信じたくないだろうが」


「違う。三村くんじゃない。友だちだから、かばうわけじゃない。さらわれたときだけど、背後に立った人の気配が、三村くんじゃなかった」

「なんとなくじゃ、あてにならない」


「それはね。顔を見たわけじゃないです。だけど、あえていうなら匂いかな。僕らは一つ屋根の下で合宿みたいな生活をしてた。四人とも同じシャンプーやボディーソープを使ってた。使い続けてるシャンプーの匂いって、意識しなくなるじゃないですか。でも、あのとき、僕をおそった人物は、僕と違う匂いがした」


 蛭間は肩をすくめる。


「じゃあ、そう警察に言えばいい」

「言いましたよ。だけど、僕は栗林さんによく思われてないのでね。証拠能力は低いと言われただけ」


 お返しに、蘭も肩をすくめてみせる。

 蛭間は蘭の一挙一動をなめるように見て笑う。こういうところが、ストーカーっぽい。


「君は本当に奇跡だ。私が見た稚児の君。あれから二十年たってる。正直言うと、今さら会っても失望するだろうと思っていた。今の君に手紙を送り続けたのは、昔の君をモデルにする承諾を得るためだった。だが、じっさいに会った君は、あのころのまま、奇跡の美しさをたもっていた。男女の性別を超越して。花が美しいように、君は美しい」


 急に、ほめちぎりだした。が、蘭の心は動かない。容姿に対する讃辞は聞きあきてる。


「それは、どうも」


 そっけなく、こたえる。


 蛭間は二人のあいだをつめてきた。


「だが、君も年をとる。十年、二十年……あとは、おとろえるばかりだ。君の美が朽ちていくのを見たくない。その美を永遠に、とどめたくないか?」


 蘭は、ため息をついた。

 この人の前ではヨダレをこぼして寝ることは、ゆるされないなと考えて。

 どんな蘭でも受け入れてくれるのは、やはり、東堂兄弟だけなのだ。


(僕は、ほんとに、いい友に出会った。それが僕の人生最大の幸運)


 蘭は蛭間の目を見返し、言いきる。


「興味ありませんね。永遠なんて」


 蛭間も、ひかない。


「君の美は芸術家にとって至宝だ。絶対に、とどめておくべきだ。君の生き稚児の映像。最初に見たときの衝撃を忘れられない。ごうかな金らんの衣装を着せられ、白ぬりに真っ赤なおちょぼ口。

 神々しかった。まさに神にささげる供物だと思った。これほどの作品を私は、まだ造れてない。それが、くやしかった。そのあと、アトリエに、こもりきりで、君の人形造りに没頭した。だが、満足のいく出来は、ひとつもなかった。全部、くだいて、すてた。自分の腕の未熟を痛感した。それで、修行のためにヨーロッパへ渡った」


「渡英したのは、恋人に死なれて傷心だったからでしょう?」

「そう言っておくほうが世間体がいい」


 なんなんだ。こいつ。ふつうじゃない。


「あなた、本当に美里さんや阿久津さんのこと、愛してたんですか?」

「もちろんだとも。彼女たちは美しかった。内面が外面の美に比例しないのが欠点だったがね。だまって立ってさせえれば、もうしぶんなかったよ」

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