五章 人形は魂を吸いとるでしょう? 2—3

 *


 一時間前。蛭間邸。リビングルーム。

 蛭間の手料理をごちそうになっていた猛は時間を確認した。九時少し前。


「そろそろ、おいとまします。なあ、蘭? 蛭間さん、退院したばかりだから、ムリさせちゃいけない」


 なにやら蘭は物思いにふけっていた。われにかえって、うなずく。


「まだいいじゃないか。食後のコーヒーをどうぞ」と、蛭間が呼びとめる。


 立ちあがろうとするので、愛波がとどめた。


「わたしがやるわ。兄さんは待ってて」


 今日は蛭間兄妹のほかは、猛と蘭だけだ。


 愛波がテーブルの上の皿を片づけだす。

 いい機会なので、猛は手伝った。愛波とは二人きりで話したいことがある。

 猛が皿を持って、あとを追うと、愛波は、とまどった。よろこびたいが素直に喜べない。そんな感じ。


「……ありがとう」

「皿洗いは達人なんですよ。作らないぶん、片づけは、おれの分担だから」


 でも、そういえば、このところ、さぼっていた。薫が何も言わないから、ウッカリしてた。


 愛波は流し台の前に立つ猛を、じっと見つめる。


「ほんとに仲がいいんですね」

「そりゃ、兄弟二人だからね」


 猛は愛波の視線を受けとめて、続ける。


「あなたも兄妹二人きりでしょ?——と言いたいところだけど、じっさいは違う。あなたのお父さんは存命だ」


 愛波は一瞬、目をふせた。

 その間に彼女の内にある善なるものが後退し、邪悪なものが目ざめたかのようだ。ふたたび顔をあげた愛波は、挑戦的に言いかえしてきた。


「わたし、一度も自分の父が死んだなんて、言ったことありません」

「ええ。亡くなったのは蛭間さんのお父さんだ。あなたは、蛭間さんのお母さんと、再婚した小篠さんとのあいだの娘。あなたと蛭間さんは異父兄妹だ」


「それが何か?」

「父親が違うということはね。同じ兄妹でも天と地ほどの差がある。じつは深草のあなたの家をたずねました。あなたのお父さんにも会った。おだやかで、とても、いい人だ。でも残念ながら、お金持ちじゃない」

「………」


 猛が皿を水洗いするあいだ、愛波はだまりこんでいた。


「金持ちだったのは、蛭間さんのお父さん。そして、その遺産を受けついだ、蛭間さんだ」

「そうですよ。わたしはただの銀行員です。自分の働いたお金で暮らしてます。あなたをやとったお金だって、わたしの夏のボーナスから出ています」


 猛は挑戦的な愛波の目から、視線をはずす。スポンジに洗剤をつけて、皿をあらう。


「でも、あなたはお金持ちになれるじゃないですか。あなたのお母さんは再婚したあとも、蛭間家の籍に残った。あなたのお父さんのほうが婿養子に入った。そう。あなたは、まごうかたなき蛭間家の娘だ」


 愛波は、また、だまりこむ。

 猛は泡だらけの皿をにぎったまま、愛波の目をのぞきこんだ。


「蛭間さんが亡くなったら、お兄さんの財産は、あなたのお父さんと、あなたのものになる」


 愛波は唇をかんで、猛を見る。が、やがて、くすりと鼻先で笑った。


「だから、わたしが兄を殺そうとしたとでも言うんですか? ざんねんだけど、兄が侵入者におそわれたとき、わたしは藤江さんの部屋で話していました」

「そうらしいですね。あなたは今井さん、藤江さんを車で送ったあと、一時間あまり話しこんでいた。あの夜の犯行時間、関係者のなかでアリバイがないのは、鮭児だけだ。警察の調べで、それは、はっきりしてる」


「じゃあ、わたしは犯人じゃありませんね?」

「でも、蛭間さんの人形を盗んだのは、あなただ」


 愛波は驚がくの表情で、猛をあおぎみた。言いわけしようとするのを、猛はさえぎる。


「あのとき、みんなのバッグのなかまで見て、家じゅう、調べつくした。なのに人形は出てこなかった。出てきたときには、頭部と体が分離していた。それを考えれば、人形のかくし場所はわかるんだ。

 あの日、あなたは、お兄さんにカボチャを食べさせようと買ってきた。客がいるにもかかわらず、料理した。あれは証拠の品を早く処分したかったからだ。

 ミステリーには、氷の凶器を使用し、とかして消滅させる手口がある。それと同じだ。あなたは家から中をくりぬいたカボチャを持ってきた。そして、盗んだ人形の頭部をそのなかに、かくした。

 胴体のほうは、アトリエの戸棚にかざってあった人形とさしかえた。蛭間さんの人形はボディーも男だからね。裸にしとくと、ひとめでバレる。女の子の服をきせて、かくしておく必要があった。さしかえたほうの人形のボディーは、ばらして作業台の上に置いたんでしょう。

 残るは蛭間さんの人形の服だけ。服だけなら、キッチンで燃やすこともできる。小さくたためば、ポケットにも入ったかも。

 みんなの手荷物検査が終わったあと、カボチャは調理。なかにかくしていた人形の頭部をキッチンのたなに入れた。これが、あなたの使った人形消失マジックのトリックだ」


 愛波はだまりこんだまま動かない。


「なぜ、そんなことをしたんだろう? あなたはお兄さんの死をのぞんでる。蛭間さんが死んで、その財産が自分たちのものになる日を待っている。なのに、なぜ? 人形が人目にふれて、呪いだか人為的なものだかで、お兄さんが亡くなったほうが、あなたには都合がいいはずだ」


 愛波は、あきらめたように、ため息をついた。


「そこのところは、わたしにも、よくわかりません。前日に、兄がわたしにだけ、人形を見せてくれました。みんなの前で発表するって聞いて、なんとなく、隠されなきゃって思ったんです。

 あなたみたいに勘のいい人が気づいたときの予防線にしときたかったのかな。わたしが、いかに兄の身を案じているかって。兄の身に何かあるとイヤだから、隠したんだって言える。そしたら、ほんとに何かあっても、わたしは疑われないでしょ?」


「ほんとに、それだけ?」


 愛波は透明マニキュアで、きれいにネイルした爪をかんでいる。無意識のようだ。


「そんなに憎いですか? お兄さんが」


「憎い……わけじゃない。兄が悪いわけじゃないことも、わかってる。兄だけがお金持ちで、わたしは、そうじゃないのも。でも、どうしようもなく不公平じゃないですか。子どものころから、ずっと、その差を見せつけられるのって。

 母は、みえっぱりで、旧家の資産家の嫁の座をすてることができなかった。そんな母に頭のあがらない父。気のいいのだけが取り柄で。いつも、兄の顔色をうかがって。

 そりゃ、兄は気前はいいですよ。わたしの大学卒業までにかかった費用は、全額、兄が支払ってくれました。友だちが、うらやましがるような成人式の晴れ着も、車も、買ってくれたのは兄。

 わたしは優しい父のこと大好きなのに、心のどこかで、けいべつしてる。ぎりの息子に金銭的援助を求めるしかないダメな男だって。父のことをそんなふうに思わせる兄が嫌い。もう、うんざり。早く自由になりたい。兄が死んでくれれば、こんな気持ちから解放されるのに」


「でも、あなたは、おれをやとった。お兄さんを助けたいからじゃないのか?」


 愛波は皮肉な笑みをうかべた。


「わたしは、あなたが優秀な探偵だっていうから、賭けてみただけ。あなたが、わたしの苦しみを終わらせてくれるんじゃないかって」


 だまっていると、愛波は続けた。


「わたし、うたがってるんです。ほんとは兄自身が、みんなを殺したんじゃないかって。だから、あなたに、それを証明してほしいの」


 猛は愛波を見つめた。


 その瞳のなかに、いつわりがないか、見通すために。

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